第20話 天使だから基本優しいはず
【家庭教師になったウリエル】
先日、水道点検の掛け持ちバイトとして、潜入捜査をしていたウリエルを、ダニエルの母はまったく疑うことがなかった。
「こんちはー! ウリエルでーす。ダニエルくんの勉強を見に来ましたー」
「ハーイ、こんにちは。よろしくお願いしマス」
ウリエルは、すんなりとダニエルの部屋に案内された。
男子高校生らしい散らかった机、本棚に半端な教科書。そして、部屋の真ん中に――不自然にきれいな丸いラグ。
これが最も邪悪な代物だ。
そして、それは先日点検済みで、その裏側をウリエルは知っていた。
「えっと、作文の宿題が苦手って聞いたけど?」
「うん。なんかさ、日本語って、ムズくない?」
「そうかな? でも、君は日本語を喋れてるじゃん」
「喋れるけど、書くのはムズイんだよな。漢字とか、カタカナとかなんで混ざるんだよ」
ウリエルは懐からタブレットを取り出した。
「じゃあ、僕が日本語のすばらしさを説明してやるよ。ほら、このアプリなんだけどね……」
説明の途中で、何かが起きた。
――パチン!
ダニエルが画面に触れた瞬間、タブレットが煙を上げて沈黙した。
「……君、どんな指してんだよ」
「普通の指だと思うけど、 僕が電気機器に触ると大抵こうなるんだ。だから、僕の部屋にパソコンは置かないことになってる。学校でもタブレットは使えない。あ、でも最近、この指で出来ることを発見したんだ」
「それって、何か聞いてもいい?」
「机の上で変な呪文書くのがマイブーム」
「ふうーん、そうなんだ。たとえばどんな?」
ウリエルは、彼が何を書いているか知っていたが、ダニエルが教えてくれるか試していた。
「……笑われるから、教えない……」
「ま、初対面のやつに、自分の大切にしていることって言えないのは当然さー。僕も言わなーい」
「でも……、先生の名前、……それくらい教えてよ」
「あ、ごめん、ごめん。ウリエルっていうんだ。よろしく」
「ウリエル……日本人じゃないの?」
「あれ、ダニエルと名前被っちゃったねー。僕も帰国子女なんだ。僕もイギリスにいた」
「え、本当? イギリスのどこ? どこにいたの?」
「えーっと……、町の名前ド忘れしちゃった……確かストーンヘンジの近く……」
「僕もそこにいた! ソールズベリー!」
「あ、そうそう、ソールズベリー……。ごめんね、ストーンヘンジしか覚えてなくて」
「うわっ! 奇遇だなぁ。まさか、同じ町から日本に来てたなんて」
「そうだね。日本語でこれを『何かの縁』って言うんだよ」
(テキトーに話を合わせただけなんだけどね。ストーンヘンジはあてずっぽう)
ウリエルに興味を持ったダニエルは、わざわざ丸いラグをめくって裏側を見せてくれた。
そこには、黒いインクで描かれた精緻な魔法陣……、しかも、天界の封印術式とほぼ一致していた。
ウリエルは知っていたが、初めて見るような演技をした。
「おいおい……すごいね君、これどこで覚えたの?」
「ネットのオカルト掲示板。『自己流悪魔信仰』ってやつで」
「……自己流ねぇ」
偶然の産物か、ダニエルの落書きが世界の均衡に干渉していることを、ウリエルは直感した。
だが、ダニエルの趣味を否定はしない。
むしろ、にっこり笑って褒めた。
「センスあるな。君の才能、すごいぞ」
それからウリエルは、ダニエルの好きなものをさりげなく引き出していった。
「チョコが置いてあるけど、好きなの?」
「別に……、これは師への捧げものだから」
「ふうーん、そうなんだ。じゃ、勉強始めようか……、ところで、その前に……、これ好き?」
ウリエルは青く球状のグミを差し出した。
「地球グミっていうんだ。これを食べると地球を食ってる気分になるよ。面白いだろ? よかったらどうぞ」
「地球を食べる……面白そう! でも、グミはあまり好きじゃない」
ダニエルなら食いついて来るかと思ったが、肩透かしを食らったウリエルは作戦を変えた。
「そっかー。だよねー。グミは好き嫌いあるからね。日本人の好みに合わないかな」
「先生は、僕と同じハーフだけど、日本人は好き?」
「僕は日本語も日本人も、日本の食べ物も好きだよ。日本語は難しいけど、表現のバリエーションが多いんだ。おもしろいぞー」
「僕も、日本の食べ物だったら好きだな」
(お、チャンス!)
ウリエルは、関心なさそうなふりして教科書を広げながら聞いた。
「じゃ、遠足とかあったら、おにぎり派かな?」
「うん、そうなんだけど……ママがイギリス人だからサンドイッチになっちゃうんだ」
「そうかぁ……」
(まさかの、ご飯好きかよ)
ウリエルが調べたダニエルの好きなものとは、こうだ。
“好きな食べ物:おにぎり
好きなタイプ:背が高くて髪が長い、ちょっと怖いお姉さんタイプ
苦手なもの:国語の授業と、女子の団体行動
趣味:怪しい儀式の落書き、落語を聞くこと
一通りのデータを収集したウリエルは、その夜、ルカに報告書を送った。
【赤坂の天界出張所・恋愛CIAオフィス】
「なるほど……つまりダニエルは、遠足で“女子の団体”に入れられるとパニックを起こす可能性が高いと……」
ルカは端正な指先で資料をめくりながら、淡々と確認した。
ウリエルはタブレットを抱え、やけに元気な声を上げる。
「そうッス。でも、“髪の長い怖い系お姉さん”が班にいたら、逆にテンション上がるっぽいッス!」
「怖い系お姉さん?」
眉をわずかに上げ、ルカは赤ペンを止めた。
視線の先で、黒須が椅子にもたれてコーヒーをすすっている。
「黒須先生、これを班分けの参考にしましょう」
「えぇ……また面倒なパズルだなぁ」
と、ぼやいたが、その目は一瞬だけ楽しげに光っていた。
ルカは嫌な予感を覚えた。
黒須は班割り表にさらさらと何かを書き加え、ニヤリと笑った。
「で、ルカは……ダニエルと同じ班な」
「……は?」
ルカは冷静に聞き返した。
「なんで同じ班? 普通、教師は全体を見守るんじゃないのか?」
「君は実習生なんだし、現場体験だよ。それに、ダニエルは絶対ぼっちになるタイプだし。
班の空気が終末みたいになるのを防ぐには、君みたいな“髪の長い怖い系お姉さん”が必要だろ」
ルカの笑顔が消えた。
「ちょっと待て。髪が長いのは否定しない。でも、怖い系って何? わたし、怖くないでしょう。優しいでしょう?」
胸を張った瞬間。
黒須とウリエルが……完全に息を合わせて……静かに首を横に振った。
「優しいの定義、もう一回辞書で引いてこいや」
黒須が笑いながら言うと……、
「黒須さん、それ正論っす」
とウリエルも小声で頷く。
ルカは深くため息をついた。
天使としての自制が、今日も試されている気がした。
「ウリエル、お前、完全に餌付けされてるぞ」
「そんなことないっすー!」
「ルカちゃんはダニエルと同じ班っと……じゃあ、決まりだな」
黒須が軽くペンを置くと、紙の上では“ルカ=ダニエル”の名前が並んでいた。
「くっ……わかったわ。ダニエルに友情や恋愛の素晴らしさを教えてやればいいのね。ただし……、わかったから、ちゃん付けはやめろ」
「おおっと! 恋愛は無しな。それは、俺のためにとっとけ、ルカ」
「……はぁ? それはそれで、失礼じゃない? 呼び捨てにするなんて百年早いわ!」
しかし、黒須はニコニコしていた。
まるで怒られることが、褒められるよりも嬉しいみたいに。
(……ほんとに、どうしようもないやつ)
ルカはペンを置き、再び深くため息をついた。
(この堕天使、恋愛以前に救済が必要かもしれない)




