第2話 敵の堕天使は恋愛偏差値0だった
神聖文字が刻まれた白銀のスナイパーライフルのスコープが、標的の姿を映し出していた。
東京湾沿いにそびえるタワーマンション、30階の一室。
薄いカーテン越しにも関わらず、男の動きははっきりと見えていた。
「冷たい眼……隙がない。あれが、堕天使こと黒須サトルか……」
ルカはスコープを覗きながら、小さく息を吐いた。
鋭い眼光に、無駄のない動き。
まるで訓練された暗殺者のようなターゲットを見て、ルカの遠い記憶が刺激された。
(こやつ、どこかで会ったか?)
黒須は今、何かに集中していた。机に向かい、目の前のスマホをじっと見つめ、指を滑らせている。
「ウリエル、手元の映像解析、お願い」
ウリエルは、手元のタブレット端末で、情報をハッキングした。
「はい。……対象は、女性の顔写真を一覧で見ていますね。ひとつひとつにチェックマーク……んっ? これ、もしかして……犠牲者リストっすか!?」
「やはり……恐ろしい奴……」
一瞬、ルカの顔が引き締まる。
遠い記憶と、目の前のターゲットがリンクした。
黒須は、鋭い眼光でスマホの画面を追っている。
「……あ、あれ? スクロールの動きが妙にスムーズ……まさか、次のターゲットを選んでいるのか。ウリエル、奴の見ている画面の詳細を!」
「確認します。少し時間をください。あ、……奴がトイレに向かいました、今のうちに侵入します」
ルカは思わず声を上げた。
「え?! 早っ……」
止める間もなく、ウリエルはもう動いていた。
ルカの持っているタブレット、GPSマップに映るウリエルのアイコンが移動している。
それを見て、敵の部屋に一瞬で侵入したのがわかった。
そして、ルカのイヤホンにウリエルからの音声が届いた。
―「よし、スマホ発見。ロック解除。アプリ履歴を確認します」
ルカのイヤホンに、困惑混じりの声が飛び込んできた。
―「こ、これはっ……!」
「どうした? ウリエル、はっきり報告しろ!」
―「……えーっと、マッチングアプリ、です」
「…………はぁ?」
―「顔写真は、アプリ内の候補一覧です!!
チェックしていたのは“いいね”の履歴。いま確認できる限り……プロフィールは……黒須サトル。本名で登録しています。しかもガチで課金勢。恋人募集中っす!」
「恋人、って……」
ルカは一瞬、スコープから目を離した。
「まさか、あの堕天使が……? どういうことだ」
ウリエルの声が急に鋭くなった。
―「まずい、戻ってきます! 退避します!」
「逃げるな! 天井に張り付け! 引き続き報告を!」
―「わかりました。張り付きます……って、虫か僕は!」
ウリエルはとっさに白い蝶に変身し、天井に張り付いた。
それと同時に、リビングのドアがガチャリと開き、男……黒須サトルが戻ってきた。
黒須は、冷たい表情のままスマホを片手に、ソファに沈み込んだ。
そして、おもむろに呟いた。
「……やっぱプロフィールの、“趣味:読書と料理”って盛りすぎだったか……。マッチング、全然しねぇ……」
その言葉に、ルカはスコープ越しに絶句した。
(……なんだ、このポンコツ……めっちゃ落ち込んでる。あれだけ、いいね押しても、マッチングしてないのか? ってか、フラれ過ぎじゃね?……)
あれほど鋭く、冷酷な雰囲気を纏っていた男が、今はスマホを見て落ち込むアラサー男そのものだった。
(待て、冷静になれわたし。これには何か……他の狙いがあるのでは……)
「ウリエル、奴のプロフィール欄をよく見ろ。何か狙いがあるはずだ」
―「了解。読みあげます。『サトルです。真剣に恋人を探しています。冷やかしはご遠慮ください』って、……これガチですね。おまけに、顔写真が本気すぎて……怖いっす。本気だと思われます。目力の圧が半端ないっすよ」
ルカは脱力した。
(なんか……想像していたのと、違うー。やはり記憶違いだったか)
ウリエルからの報告は続いた。
―「あ、たった今、マッチング成功しました! 相手は……『奈々子27歳、面白い人が好きです! 楽しくおしゃべり出来る人、メールお待ちしています』」
マッチングの画面を見ていた黒須の眼が、キラリと光った。
(奴の目つきが変わった。あれはハンターの目だ!)
―「ルカ先輩、黒須はメールしています。女へ送っている内容を読み上げましょうか?」
「お願いする」
―「『はじめまして』
『あなたのような素敵な人、キラー、キラーしていて、見ていて血が騒ぎます。マーダーマーダーゆっくり楽しみたい始末』
『なーんちゃって』」
ルカは耳を疑った。
(killer、murder、始末……殺しのギャグ連発かよ? 普通に怖いよ)
ウリエルからの報告は、続けて届いた。
―「あ、ブロックされました」
黒須は、スマホを見てショックを受けている様子だった。
「『なぜブロックするんだ……』みたいな顔しているけど? 当然だろ! そりゃブロックされるわ!」
ルカは呆れて、思わずツッコミを入れてしまった。
「はっ、いけない。わたしとしたことが……冷静さを失ってしまった。早く奴を消滅させないと……」
―「ルカ先輩、やつはキッチンに向かいました。食事でもするのかな」
黒須は冷蔵庫を開けると、中から黒いビニール袋を取り出した。
「そうか。いや、……違うと思う」
―「あの黒いビニール袋、何っすかね」
「そういえば、聞いたことがある。堕天使はターゲットをバラバラにして持ち帰ることもあると……」
黒須はまな板の上に黒いビニール袋を置くと、まな板の横にいろんな種類の包丁を丁寧に並べはじめた。
そして、その中から、一番長い刺身包丁に目を止めると、ゆっくりと手に取った。
鋭い眼光でまな板にある物体に目をやり……思いっきり突き刺した。
勢いで、黒須の顏に赤い血しぶきが飛び散った。
「ひっ! むごい! この距離でも伝わって来る殺気。ウリエル、今のうちにこっちに戻れ。こっちのメンタルが持たない」
―「了解! 戻り……、いや、違う。あれは……、まな板の画像を撮りました。送信します!」
「げっ! いらん、いらん! そんなむごい画像見たくない!……、って、え――!!!……これ魚の三枚おろし? 魚さばいていたのか?!」
―「すごいっすねー、魚一匹さばけるなんて」
「すごいわー。普通にすごい。だけど……婚活でアピールするなら、肉じゃがとかカレーとかじゃない?」
―「あ、さばいた魚を写真に撮って、マッチングアプリの女の子に送信するようです。メールしています。読み上げますか?」
「頼む」
―「『はじめまして』
『料理が得意です』
メールと一緒に、画像を添付していますけど……三枚おろしの横に血だらけのまな板が映りこんでます。
画像グッロ!! あっ、速攻でブロックされたぁ!」
黒須は、ブロックされた通知を見て再びショックを受けていた。
(だから、なんで失恋の顏するんだ?! わたしだって引くわ)
黒須はソファに沈み込むと、悲しそうに膝を抱えて横になった。
その時、天井にとまっている白い蝶が目に入った。
黒須は、ソファの下から拳銃を取り出すと、白い蝶に狙いを定めた。
――カチャッ
「ウリエル、緊急退避せよっ!」
黒須は引き金を引いた。
パーーン!!
ウリエルは瞬間移動し、ルカの横に戻ってきた。
「あっぶねー。ヤバいっすよ、あいつ」
「やはり、冷酷な男か」
「奴が狙ったのは僕じゃないっすよ」
「何?!」
「天井にアプリで見つけた女の写真が貼ってあった。その周りに円が描いてあって、好き・嫌いって書いてあったんだ。奴が狙ったのはその的っす」
「え、射撃占いかよ? 物騒すぎるっ!」
黒須は狙った弾が「嫌い」に当たって、酷く落ち込んでいた。
「もう……、見てられない。奴は恋愛運とか以前の問題じゃない?」
(ターゲットがこんなに恋愛偏差値0だとは思わなかった。この堕天使に、天界の力をわざわざ使う価値あるのか?)
「ルカ先輩、早く任務遂行をっ!」
「ええ……」
「先輩? あの……、早く! 今なら完璧に成功します!!」
「……なーんか違う。こんなやつに勝っても、なーんか意味なくね?!!」
「え?」
「ウリエル……」
「はい?」
「………帰る。今日はもう、いい」
「えっ? ま、待って! ルカ先輩! 任務は……? 冷静かつ確実に任務を遂行って、言ってたじゃないっすか」
「戦意、喪失した。あんなやつ、倒す価値もないわ……」
ルカはスナイパーライフルを静かに解体しながら、そっとつぶやいた。
「奴が……立派に恋人を作ったら、やる価値がある。奴が幸せを手にしたその瞬間、それから消滅させても遅くはない。あれじゃ恋愛という戦場で即死確定よ……」
ウリエルが小さく吹き出した。
「ルカ先輩、それって支援する気じゃ……」
「支援? 違う。ただの監視よ。ただの……か・ん・し! 作戦を変える」
そう言いつつ、ルカはスマホを取り出し、例のマッチングアプリを検索し始めていた。




