第19話 ダニエル日辻・人間化計画
それから数日後の放課後。
ルカは黒須を赤坂の恋愛CIAオフィスに連れてきた。
堕天使を天界東京出張所に連れて来るのは、どうかと迷ったが、今後の作戦を話し合うために相応しい場所を、他に思いつかなかった。
恋愛アプリで偶然マッチして以来、黒須といるとどうも意識してしまうルカ。
エレベーターの中の沈黙に耐えられず、ルカは強気の言い方をした。
「ここがわたしの……職場。黒須先生は特別に入れてあげるんだからね!」
ルカがブロンドの髪を耳にかけると、フローラルな香りがした。
黒須は聞いているのかいないのか、エレベーターのボタンをじっと見つめていた。
だが、やっと口を開いた。
「ここが……君の職場か? 最初、君は女子大生っていうから一人暮らしのアパートに住んでいるかと思ったけど……、ま、天使だからそんなはずないよな。それで?……俺は特別……なんだ」
「職場っていうか……拠点だ。天界出張所に入る堕天使なんて、特別の中の特別に決まってんじゃん」
ルカは曖昧に笑いながら、22階のガラスドアを開けた。
黒須はドアの表示を見て叫んだ。
「おっとぉ、恋愛CIAオフィスって書いてあるじゃん!!! 最近さぁ、恋愛CIAからのサポートが来なくなったんだよなぁ。ルカとマッチングしたら来なくなった」
「あれ、まだやってたの? マッチングアプリ」
「当たり前じゃないか。君と連絡とるのにマッチングアプリしか方法がねぇんだもん」
「あ、そっか……」
(ってか、この男、マジでポンコツか? 目の前に恋愛CIAオフィスって書かれている場所に、わたしの職場よって案内しているんだよ? 普通、それで気づくだろ……わたしが恋愛CIAだ)
「あ、わかった!」
(ついに、わかったか。バレたらしょうがない……)
「ルカとマッチングしたからさ、サポート終了したってことか。恋愛成就したから必要ないってことなんだな!」
(なんでそうなる?!)
「黒須先……? あのぅ……その解釈は、ちょっと違うと思うけど……」
ルカは、軽く受け流しながら、オフィスの中に入って行った。
すると、オフィスでパソコンをいじっている水色の髪の少年、……ウリエルが顔をあげた。
「……お客さん? らっしゃませー!」
「わたしだ、ウリエル。お疲れさま。あと、ちょっと話したいやつ連れてきた」
「連れてきたって……、ひっ! 堕天使の黒須サトル!!」
黒須は軽く会釈し、紙袋を差し出した。
「ルカ先生からお話は聞いてます。ウリエルくんかい? 俺は黒須サトルです。どうぞよろしく」
「あれー? 俺の名前、知ってる。話ってどこまで知ってるっすか?」
「つまらないものだが、これ、差し入れです。駅前のドーナツ屋、行列だったけど、ちゃんと並んで買ってきたから。ズルしてないよ、安心してくれ」
ウリエルは、後ずさりした。
黒須は、怖がるウリエルときちんと話がしたくて、ふたたび主張した。
「ホントに並んで買ってきたんだって。魔術でズルなんかしていないって」
ウリエルは恐る恐る箱を受け取り、中身のドーナツを見ると……一転して、パァッと明るい顔になった。
「お! 案外いいやつじゃん! こういう気配りできる人、職場に欲しかったんだよな!」
黒須は、他意はなく純粋に聞いた。
「職場って……ここでどんな仕事を?」
「……仕事っすか? あんたへの恋愛サポートっすよ。あれは、僕がしていたんだよ。……あ、言っちゃいけないやつ? これ……」
ウリエルは、うっかり口を滑らせてしまったが、黒須は理解できなかったらしい。
「へえー、君って、マッチングアプリのスタッフだったんだ。で、俺のサポートをしてくれてたんだ。なるほどなぁ……。こんな夜まで仕事しているなんて、案外、恋愛CIAってブラック企業なんだな」
「い、いいえ。ホワイトです。ルカ先輩、ごめんなさい」
ルカは黒須とウリエルの初対面を、楽しんで見ていた。
「大丈夫だ、ウリエル。黒須は、そこまで理解していない」
「そうなんすか?」
ウリエルは安心して、ホッと胸をなでおろした。
そして、ドーナツを受け取ると、嬉しそうにキッチンへ向かった。
会議テーブルに資料が広げられた。
そこには「ダニエル日辻・観察レポート」と大きく書かれたファイルがあった。
「収集した情報を整理すると、ダニエル日辻は、官僚の父親とイギリス人の母親の間に生まれた帰国子女。でも日本の高校には馴染めず、友達ゼロ。と、いうことね? ウリエル」
ウリエルは、その情報に付け足した。
「ええ、そうっす。そんでもって、イギリス時代に悪魔崇拝にハマったらしいです。あれは単なる興味か、もっと深い理由があるか……」
黒須はボソッとつぶやいた。
「人間的な生活に慣れてない……のか」
ルカは頷き、そして言った。
「そこで……"人間らしく教育しよう作戦"を提案します。学校生活、友情、恋愛……すべての要素を体験させる」
ウリエルがニヤリとした。
「恋愛って、もしかして……」
「そう。あの子に『恋のドキドキ』を覚えさせれば、悪魔崇拝どころじゃなくなるわ」
黒須は咳払いしながら、焦っていた。
「いや、恋愛は違うだろ。学校で教えることではない」
ルカはホワイトボードに「ダニエル日辻・人間化計画」と大きく書いた。
ウリエルと黒須は、椅子に座ってコーヒーカップを手に考え込んでいた。
ルカは、具体的に話し始めた。
「じゃ、まずは“友達”からにするか。あの子、今までずっとボッチなんでしょ? 学校でも一匹狼気取りだけど、実際はただのコミュ障よ」
黒須の顔が曇った。
「コミュ障に友達って……ハードル高くないか? 俺だって人見知りだぞ」
ルカは黒須の言葉を意外に思った。
「あんたはドーナツ持ってきただけで、ウリエルの懐に入れた。それって、人見知りとは言わない」
「あれは甘い物で補正作戦。まずは餌付けだろ」
ウリエルは情けない顔をした。
「餌付けって……僕、犬じゃないんだから」
「君さ、名前、聞いたっけ? すまん、俺は忘れっぽくて……」
「僕はウリエルです。さっきまで覚えていたじゃないっすか」
「ウリエルくんさ、ダニエルの家で家庭教師するんだろ? 小さな菓子とか渡して会話のきっかけを作る。『これ好き?』って」
「いやいや、家庭教師は嘘で、実際は行きませんよ。情報収集したらもう終わり」
ルカは、黒須の意見にのった。
「それだ。大事なのは“最初の一言”だ。そこから共通の話題を作る。ウリエル、引き続き家庭教師に入れ」
「はーい、わかりましたぁー」
ウリエルはルカの命令には逆らえない。
「ウリエル君、ほら、ドーナツもう一個どうだ? 俺のも食べていいぞ」
「マジっすかぁーー? あざーす!」
ウリエルはドーナツを頬張りながら、もぐもぐして言った。
「なんかね、日本語の作文が苦手って言ってました。まずはそこからですかねー」
「「お前……やっぱり餌付けされてるじゃん!」」
ルカと黒須は呆気にとられた。
そのとき、黒須はふと切り出した。
「あのさぁ、遠足の下見しただろ? 遠足の遊園地がいいきっかけにならないか?」
「でも、黒須先生は、班の構成を考える仕事が……。あ! そうね、ダニエルと同じ班にどんなメンバーを入れるか。そこから考える……」
「そういうこと。どういうタイプとうまくいくか、情報が少ないけどな。悩むところだ」
「それ、いただきます!」
ルカは声高に叫んだ。
すると、ウリエルはデスクの上のドーナツの箱を抱きかかえた。
「ダメ―!! ドーナツは僕のものー!」
「ちゃう、ちゃう! 黒須先生のアイディアをいただくって意味」
「あ、なんだ。そっちか」
「そこで、ウリエルの出番よ。ウリエル、あの封印を解く者……ダニエル日辻の“嗜好データ”を取ってきなさい」
「了解ッス。……って、また潜入系っすか?」
「ウリエルはIT専門諜報天使でしょう? 天界一のハッキング技術を誇るなら、家庭教師ぐらい造作もない」
こうして、ウリエルは日辻家に再び派遣されることになった。




