第16話 十字軍と聖地イェルサレム奪還
黒須はチョークを持ち替え、もう一方の黒板に【十字軍】と書いた。
「次、十字軍。そもそもの始まりは、11世紀後半。
キリスト教徒にとって最も重要な聖地エルサレムが、イスラム教の新興勢力、今のトルコの支配下に置かれたことから始まった。
それまで、わりと寛容だったイスラム教徒たちが、聖地エルサレムへのキリスト教徒の巡礼を妨害し始めたんだ。
それだけじゃない。イスラム教徒たちは、調子に乗って、東ローマ帝国に進行を始めちまった。なんか、現代とやっていることが似ているけどな」
生徒たちは、現代と聞いて興味を示した。
「それで、東ローマ帝国はどうなっちゃったんですか?」
「当然、助けを求めたさ。西のローマ教皇に『どうか、お助けをー!』
すると、西のローマ教皇ウルバヌス2世、は言ったんだ。
『うむ、東ローマが助けを求めに来た。ローマ教皇の好感度アップのチャーンス! 聖地イェルサレム奪還するのじゃ。この戦いの参加した者は、神がどんな罪も許してくれる!』
なーんてね、こんな無責任な事言っちゃった。
だから、この呼びかけで集まったのは騎士だけではなかった。
『どんな罪でも許されるんだってよ』
『マジかよ、じゃ、オラも行くべぇ』
ってな、具合になった、
病人も本当の悪党も、農民も、なんでももありの軍隊だった。これが第0回十字軍。こんなんで勝てるわけがない。だから、これは第1回にカウントされていないんだ」
「どんな罪でも許されるって、勝手に教皇が決めたの?」
「人間が決めたんだから、信じられないよね」
「でもさ、宣伝効果はあったんじゃないかな?」
生徒たちは、それぞれに自分の意見を言い始めた。
ルカは生徒たちの様子を観察していた。
(なるほど、これが考える授業か……)
黒須は教科書は使わないが、世界地図はよく使う。
「ここからは地図を見て進めるぞー」
黒須は黒板の上から、世界地図を降ろしてきた。
「んー、世界地図で言うと、この辺、ヨーロッパから中東、アフリカ大陸のあたり。これじゃ、小さくて見えねぇーな。おーい、みんな、タブレット出してー。地図アプリを開いて、この周辺をクローズアップしてみろ」
生徒たちは、地中海を中心とした地図をタブレットに出すと、イェルサレムの辺りをクローズアップした。
「『聖地イェルサレム奪還』って言葉が出てきたが、地図を見ろ。
ここイェルサレムはキリスト教以外にユダヤ教、イスラム教にとっても聖地なんだ」
ルカは、生徒たちの席の間を歩いて回わった。
地図を開けなくて困っている生徒がいたら、手助けしてやった。
「ローマ・カトリック教会、コンスタンティノープル教会、イェルサレムの場所がわかったかー? エジプトからトルコ辺りまではイスラム教だ。そして、11世紀より前の時代は、イェルサレムはユダヤ教の聖地でもあった。」
生徒たちは地図を見て叫んだ。
「いろんな教会や遺跡が、近い! もうちょっと離れてたらいいのに」
「なんだこれ、聖地銀座か?」
「カウントされない第0回十字軍は、失敗に終わった。そりゃそうだ、単なる寄せ集めだったからな。そこで生き残ったやつが次の十字軍に参加する。今度は戦闘経験のある騎士が入って、結果として軍事的大成功を収めたんだ」
「軍事的大成功ってことは、聖地エルサレムを奪還したのか」
「よかったね」
「えー? 戦いに“よかった”ってあるの?」
生徒のつぶやきを黒須は聞き逃さない。
「そこ! そこだよ。君、いいこと言うねえ」
褒められた生徒は、頭を掻いて照れている。
「戦争だからそういうものだと言ってはおしまいだが、酷いことも行われていたんだ。
エルサレムに向かいながら、食料などはどこで調達していたと思う? 現地調達だよ。道中やイェルサレムで残酷な方法で虐殺し、奪っていたんだ」
「えー?!」
「聖戦ですよねー」
「どんな罪でも許されるというお墨付きをもらってんだ。罪とは思ってなかった。関係なかったんだろ。勢いに乗った十字軍は、イェルサレム王国の治安を守ると言って、テンプル騎士団を結成した。ソロモン神殿の跡地を本拠地とし、十字軍の資金面を管理した。銀行だったという説もある」
「なんかすごいね。ソロモン神殿って」
「ちょっと都市伝説っぽくね?」
「この後、十字軍が作ったのがエデッサ伯国というんだけど、またイスラーム勢力に占領されてしまうんだ。それを取り返すために第2回が結成される。
だが、2回目は失敗。3回目は十字軍屈指の豪華メンバーだった。しかし、フリードリヒ1世は途中で事故死。フィリップ2世は仮病の帰国しちゃうし、残ったリチャード1世が頑張るしかなかった」
ルカも当時の事を思い出していた。
(そうそう、がんばれリチャード1世って、わたしも陰で守っていた)
「奪還まではいかなかったけど、とりあえず休戦までは持ち込めた!」
生徒の一人が言った。
「巡礼できるようになったら、とりあえずOKじゃね?」
「そうだよな。そこで終わらせればいいものを、教皇は休戦が気に入らなかった。第4回十字軍を派遣するんだ。時は、12世紀の終わり頃、教皇の権威は最盛期を迎えた。
インノケンティウス3世の時代で「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉があるように、教皇が最強の存在だったんだ」
「まさか、また……ですか? 先生」
「はい、正解。第4回は、インノケンティウス3世の呼びかけで始まった。イェルサレムが
休戦なら、エジプトからいけばいいってことになった」
生徒たちは、地図を見てエジプトの場所を確認した。
「海を渡るのかな」
「だね」
「ところがだ。ヴェネツィアの商人に頼んで船や兵士を運んでもらってたのに、十字軍は金欠状態でお金を払えなかった。
『おいおい、金がねーのなら、しょうがねえな。なら、こっちの頼みを聞いてもらうか』
『悪いな、何でも言うことを聞くから、代金は帳消しにしてくれ』
『ほんじゃ、ライバルの都市を攻撃してもらおうかな』
『へい、そこはどこですか?』
『コンスタンティノープル。東ローマだよ』
というわけで、十字軍は商人の言いなりになる形で、最終的にコンスタンティノープルに対しても攻撃してしまった。仲間なのによ!」
「聖戦って何?」
「おお、いいこと言うねー君。回を重ねるごとに「聖地奪還」という当初の目的は失われちまった。合計7回の十字軍があったんだ。
ところが、回を重ねるごとに「聖地奪還」という当初の目的は失われちまった。
教会が『神のために戦え』と檄を飛ばし、騎士や農民が武器を手にエルサレムへ。
……で、実態は?
宗教的熱狂と商売、略奪、政治的ご都合主義の見事なミックスジュースってわけ」
黒須は、地図を指しながら続けた。
生徒の何人かがクスクス笑い、真面目な優等生は苦笑いしてノートをとった。
黒須は、黒板の端にこう書き足した。
【歴史は、勝者と宣伝上手が作るもの】
黒須はチョークを置き、生徒たちをまっすぐ見た。
「よく聞け。……聖戦なんてものはありえない。うそっぱちだ。
“十字軍に参加しよう!” 教会の広告宣伝に踊らされたのは、……民衆だ。
少年もいた。お前らと同じ年の子が、聖戦へ駆り出されたんだぞ。少年十字軍。この末路は語るも悲惨だ。結局、エルサレムへは到達できず、港で奴隷商人に騙されて、アフリカで奴隷にされた。
これが十字軍の実態だ。
いいか、これだけは覚えておけ。戦争に聖なるものなどない」
一瞬、教室がしんと静まり返った。
後ろの扉近くで授業を見ていたルカは、腕を組んで小さく息を吐いた。




