第15話 授業「神聖ローマ帝国」
黒須の世界史授業は、面白いと生徒たちには評判がいい。
だが、教科書通りに進めないので、一部の保護者からは評判が悪い。
黒須は黒板に大きく【神聖ローマ帝国】と書いた。
「神聖ローマ帝国って受験ではよく出て来る。神聖ローマ帝国ってなんだかよくわからないっていう生徒が多いんだよな。神聖ローマ帝国って、何だと思う? 説明できるやついるかー?」
生徒たちは、隣を見たり教科書を見たりしているだけで、誰も答えられない。
「今日の日直は……佐藤か。佐藤、答えて見ろ」
「ローマ帝国ってついてるんだから、それはローマ帝国です」
「他にも聞いてみるか。高橋、どうだ?」
「首都はローマで、イタリア……。昔のイタリアのことなんじゃないですか?」
「ブブー。みんなそう思ってしまうんだよなぁ。違う。勘違いしやすい国ナンバーワン、神聖ローマ帝国の話を、今日はするぞ」
黒須はわざわざ、黒板に「神聖でもなければローマでもなく、ついでに帝国でもない」と書いた。
「さて、今日はヨーロッパ史のごった煮、神聖ローマ帝国のお話だ。
名前だけ聞くと、神々しく、ローマっぽく、統一された帝国を想像するだろう? 全部ハズレだ」
生徒たちから笑いが漏れた。
「神聖ローマ帝国っていうのは、イタリアじゃなくて、今でいうドイツのことだ」
生徒の一人が手を挙げて質問した。
「先生、なぜドイツなのに、神聖ローマ帝国なんですか?」
「いい質問だ。それはローマ帝国の後継国として認められたからだ。だからローマ帝国。
じゃ、なぜ神聖かというと、キリスト教の守護者として認められたからだ。具体的には、ドイツ王がローマ教皇から戴冠して皇帝になった。意味わかるか?」
生徒たちの中で、その意味がわかるものは一人もいなかった。
「しょうがねえなぁ。じゃ、軽く復習するぞ。その昔ローマ帝国というのがあった。だいたい紀元前8世紀に誕生し、そこからどんどん発展した。すると、カエサルとか出てきて、ローマ皇帝という存在が登場し、巨大な帝国へとのし上がっていった。ところが、そのローマ帝国は395年に東西に分裂してしまった。ここまではわかるかぁ?」
生徒たちは、うなずいたり教科書を見直したりしていた。
「そんな中、ヨーロッパではキリスト教の存在がでかくなってくる。すると、キリスト教も大きく二つに分かれて行くんだ。
それは、ローマ・カトリックとギリシャ正教。そんでもって、このギリシャ正教の偉い人が、東ローマ皇帝と結びついていく。この東ローマ帝国は割と長く続く息の長い国だ。
それに対して、カトリックのローマ教皇が結びつくのが、西ローマ帝国。
ところが、この西ローマ帝国はめちゃめちゃ短命で100年も持たない。息の短い帝国なんだ。弱かったんだなぁ」
生徒たちは、だんだん黒須の授業に興味を持ち始めた。
「って、ことは、カトリックのトップである教皇は、東に対して対抗できなくて焦ったわけ。
西のローマ教皇は言った。
『うっわっ! ヤバいじゃん。誰かいないかなぁ、わたしを守ってくれる強い人。そうだ! フランク王国に強い奴いるじゃん! その人にぜひ西ローマ帝国の後継者なってもーらおっと』
そんな中、ゲルマン人の一派フランク王国、今のドイツに素晴らしい王様が現れた。つまりカール大帝だ。その人が強いらしいよって噂になった。時の教皇レオ3世は、そのカール大帝をローマに呼び出して、冠を授けたんだ。
『これからは、あなたが西ローマ皇帝の後継者になるのです』」
黒須の臨場感あふれるセリフに、生徒たちは夢中になった。
「要するに、ゲルマン人のフランク王国が西ローマ帝国の後継国に選ばれたってわけ。
ところがだ! カールの戴冠をしたのに、このフランク王国は三つに分かれちまった。
『ええーー! せっかく冠授けたのに三つに分裂しちゃうのーーー? 聞いてないよーー! じゃあさ、この三つの中で誰が一番強いのーー? 誰なんだよぉーー』
って、話になって、一番強かったのが東フランクだった。
時の教皇ヨハネス12世は、
『あなたが西ローマ帝国の後継者になりなさい』
と言って東フランクの王様オットー1世に冠をかぶせたわけ。それで、東フランクは正式に西ローマ帝国の後継国に選ばれたと言う話。
このころから神聖ローマ帝国と呼ばれるようになったんだ」
黒須の授業は、まるで見て来たような臨場感があった。
それもそのはず、堕天使として、その時代を実際に見ていたのだから。
「ところが、ところがだよ。神聖ローマ帝国ってのは、小さな国の寄せ集めみたいな感じなんだ。実態は、細かい領邦に分かれた中世版パッチワーク国家だ。
『神聖』というより『神経質』、ローマというより『田舎』、帝国というより『寄り合い所帯』。
あえて言うなら、文化的カオスの見本市だな」
生徒たちはクスクス笑った。
すると、ある生徒が手を挙げた。
「先生、寄り合い所帯みたいな国って言うけど、それぞれに偉い人がいたんですか?」
「いたね。諸侯ってのが、支配していた。クラスごとに学級委員がいるようなかんじだ」
「じゃあ、それぞれの地域でいろんな意見が出ると、まとめるのって大変そう」
「そう、大変だったんだよー。よくわかったね、君。300近い国の寄せ集めだから、神聖ローマ皇帝が……
『おーい、みんなー、今年の文化祭は面白いイベントやろーぜ』と言ったところで、
『反対』
『反対』
『お前らだけでやれー』
『勝手にやれば? 俺んとこ関係ねーし』
各学級委員が言うこと聞かない生徒会と同じ。生徒会あるあるなんだよ」
そのとき、ダニエル日辻がつぶやいた。
「じゃ、どうやって周りの諸侯を納得させたんだろ……」
「いいところに気が付いたな、ダニエル。そこがポイントなんだよ」
ルカも思わず、黒須の授業にのめり込んでいた。
(あいつがダニエルを褒めた!)
「オットー1世は考えた。ここの寄り合い所帯は、みんなキリスト教徒なんだわ。だから、キリスト教の偉い人を支配すれば、この周りの諸侯たちを支配することができる。そう考えたわけだ。はい、キリスト教の一番偉い人って誰だー?」
生徒たちは口を揃えて答えた。
「「「教皇」」」
「そう、教皇を支配すればいいと考えたんだ。ところで、教皇ってどこにいるの?」
「「「ローマ」」」
「そう、ローマ。イタリアだね。だから、東フランクからオットー1世はしょっちゅうイタリアに遠征してたんだ。イタリアに遠征すると国が留守になる。すると、ますます諸侯たちは言うこと聞かなくなった。
『何やってんだー、神聖ローマ帝国? そんなの、知らねーよ』
そして、ローマ教皇も怒った。
イタリアに遠征してきてローマ教皇を支配しようなんて、そりゃ教皇は怒るわな。
それで、めっちゃ揉めたわけ。
でも、この時代は、教皇の方が強いんだわ。
だから、次の皇帝に代わると、神聖ローマ帝国側は速攻で謝ることにしたんだ。
『すみませんでしたー。調子に乗ってました。許してくださーい』
カノッサというところで、雪の中三日三晩謝り続けた。これがカノッサの屈辱だ」
生徒たちは口々に、「教皇ってそんなに偉いんだ」などと言いながら、黒須の演技にのめり込んだ。
「その後の時代は、フリードリヒ1世とか、フリードリヒ2世とか神聖ローマ帝国の皇帝は時と共に代替わりしていく……第4回、第5回十字軍で活躍した人物だな」
「先生、十字軍ってそんなに何回もあったんですか? 一回きりかと思ってました」
「それな。それについて解説しよう」
黒須はチョークを持ち替え、黒板の右側に【十字軍】と書いた。
授業に聞き入っていたルカも、ノートに同じ言葉を書き留めた。




