第117話 6区:赤坂御用地→外苑
日枝神社を出ると、空気はまた「東京」に戻った。
赤坂一ツ木通り。
観光客やビジネスマンが行きかう商店街を抜けて、ダニエルとルシファーは走った。
黒須とルカは、ウリエルが運転する白い中継車に乗った。
「ルカ先輩、すみませんでした、日枝神社で中継許可が取れなくて。ダニエルは大丈夫でした? 何だか様子が変でしたけど、何か変わったことでもありました?」
「なんで?」
「いや、なんでって……、ルカ先輩も黒須さんも、やけに大人しいから……」
「いつもうるさいみたいな言い方!」
「いや、そうじゃなくて……。黒須さーん、助けてくださいよ。僕、悪いことしてないのに、なんで怒られるの?」
黒須は、中継車の窓の外を眺めていた。
「助けてやりたいが、俺が弁護したら、よけい機嫌が悪くなるかもしれない」
「何っすか、それ? 起爆剤?」
ルカは別に怒ってはいなかった。
ただ、この黒須サトルという堕天使はあまりに不器用すぎて、善い行いをしても決して言わない。
黒須は、自分の命をかけて、アブラハムの子孫たちをこっそりこの国に運んで助けていたのに。
運んだ先で、民に神さまと呼ばれようとも関心がない。
そんな黒須を知れたことが、……、なんだかルカはとても嬉しかった。
(言葉にしたら、嘘みたいになるから沈黙を守るのよ)
そして、ルカは何も言わずに、黒須の横顔を見つめていた。
ふと、黒須がルカの視線に気づいてこっちを向いた。
「何?」
「べ、別に……」
「そうか。……勘違いするなよ。俺は神じゃない。誰からも何処からも許されない存在。それが俺だ」
黒須はまっすぐな瞳をルカに向けた。
(う! 胸が苦しい。その目に殺されそうだわ)
赤坂御用地は延々と続く塀と深い森だ。
日枝神社を出てから、ずっと上り坂で、ダニエルの息が白く揺れていた。
赤坂警察署前を過ぎ、赤坂御用地の高い塀沿いを走る区間は、延々と景色が変わらない。
終わりが見えない。
脚に、来る。
肺が焼ける。
ダニエルの走りに疲れが見えて来た。
(……長い……)
そのとき……、ふっと風が止まり、街路灯がリズムを刻むように点滅した。
木々の影が塀に広がり、そこに恋愛CIAのロゴが浮かび上がった。
♪ 恋愛CIA presents……
ウリエルの顏が、交差点付近のビルの壁一面に明るく映し出された。
『はーい! きょうも頑張ってるみなさん! ここで恋愛CIA・特別CMでーす!
“人生は一人で悩まなくていい! 迷ったら、我々にご相談くださーい!”』
軽快なポップスが流れはじめた。
♪タッタタタタ~♪
『ねぇ、君。胸のドキドキが止まらないのは、どうしてだと思う?』
ダニエルは息を切らしながら答えた。
「……そりゃ走ってるから……でしょ……」
『うん、それも正解っス! でもね――ドキドキするのは、生きてるからっスよ!』
中継車に一緒に乗っていた黒須は、ウリエルが運転しながらCMを流しているのだと思った。
「おい、運転中だぞ。何やってんだ!」
「あれ、録画ですよー。ダニエルの答えを予測してつくったんっす!」
「あら、悪くないわね。さすが、ウリエル。わたしの一番弟子」
「あざーっす!」
一方、歩道を走るランナー側では、
ダニエルと並んで走っていたルシファーも、思わずうなった。
「天界CM、地獄よりクオリティ高いな……」
しかし、音楽が一瞬途切れた。
次の瞬間、ドォォォン!!という爆音が大都会の空に響き渡った。
街路灯がバチバチと点滅。木の葉が舞い上がった。
『――恋もドキドキするよね!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?』
爆音のようなCMに、ルカも黒須も耳を塞いだ。
「きゃっ!? 耳壊れるっ!」
「音割れしてる! 音割れっ!」
中継車に置いてあったダニエルのリュックから、ロクさんまでが顔を出した。
「だんなァ、爆音恋愛で鼓膜やられてまさァ!」
ウリエルは、慌ててリモコンを探した。
「あーーっ! やっべっ! リモコンを踏んづけて音量上げすぎたっス!!」
このCMは、放送部で活動している後輩天使たちの協力でオンエアしていた。
彼らの声が漏れ聞こえて来た。
「ウリエル先生、出力が天界規模です!」
「スピーカー一基、燃えましたぁ!」
『ど、どうして恋はドキドキするのか! それは……えーっと……誰かを、しっ――』
音がぷつんと切れる。
一瞬、静寂。
中継車の中は、居心地の悪い空気になった。
ルカが静かに口を開いた。
「今、ウリエル先生って聞こえなかった? 生徒たちに恋愛CIAの仕事を手伝わせたの?」
「おい、ウリエル。俺のかわいい生徒たちに事故か何かあったんじゃないだろうな。今すぐ確認取れ!!」
「ご、ごめんなさい。生徒じゃありません。天界のホワイトハッカー養成所の助手たちです。あの声は本物の天使です」
黒須はほっと胸をなでおろしたが、ルカは頭痛がした。
「……それで? ミカエル上官の許可は?」
「うーん、たぶん……忘れたかな?」
「ウリエル―! わたしが始末書を書くのか!」
「僕がぁーーー、僕が、書きますぅー!!」
赤坂御用地のコース。
街路灯が柔らかく光り、木々の影がハートの形を作っていた。
ダニエルは息を整えながら笑った。
「……うるさかったけど、ありがと、ウリエル先生。」
AI神Λ(ラムダ):『不明ノイズ、出力過多。……“恋愛CIA”……物理法則を逸脱』
ルシファーの口元が緩んでいた。
「そりゃそうだ、鼓膜も逸脱したわ」
ダニエルもちょっと笑った。
ウリエルが起こした軽率さが、ほんの少しだけ救いになった。
だが、その次にルシファーから聞こえた声は、救いとは程遠かった。
「なあ、ダニエル」
「……なんですか」
「黒須がスサノオノミコトだったって話。聞いてどう思った?」
ダニエルの胸がざわざわとした。
「……どう、って……」
「神話だ。だが、黒須先生は、“神”として祭られた存在だったというのは、事実」
走りながら、少し間を置いてルシファーは続けた。
「なのに、君はただの“人類代表”。勝てると思うか?」
「……」
「それにさ。日本って、無神論の国だよな」
ダニエルの足が心なしか、重くなった。
「ダニエル。わたしは君に話しかけているが、質問じゃない。
これさ、イエスが荒れ野で40日間の断食の修行しているときもにも、こうやって話したんだ。
わたしは誘惑するのが仕事でね。答えなくていいから、聞いてくれないかな」
「……」
「この日本という国は、大昔から何度も、どんな宗教が入って来ても、征服されなかった。なぜだと思う?」
ダニエルは沈黙した。
(そういえば、世界史ではある国が、どこかの国に攻め込んで、宗教や文化が変わって行った。だけど……、この国は征服されていない……何故だろう。ああ、黒須先生に聞けたらいいのに……)
「信仰が弱いからか? それとも……何も本気で信じてないからか?」
ルシファーの言葉は、ダニエルの精神を、少しずつ削っていった。
(……削ってくる……)
呼吸が乱れる。
脚が言うことをきかない。
その時、後ろから荒い息が聞こえた。
黒須だった。
「……っ、はぁ……。くそ……俺も……走る」
「せ、先生……!」
「当たり前だろ。生徒一人で走らせて、中継車で座ってられるか」
だが、その前に、ルカが立ちふさがった。
「ダメ!」
「……なんでだよ。ルカ」
「あなたが隣を走ったら、ダニエルは“黒須先生のため”に走っちゃうでしょ」
「それの何が悪い」
「今回は違うの」
ルカの声は、静かで力強かった。
「これは、“人類代表”のレース。あなたが支える場所は、ここじゃない」
「……」
「わたしたちは、国立競技場に先回りして待機よ。ほら、こっち来なさい!」
黒須は歯を食いしばり、拳を握り、そして止まった。
黒須を追いこすダニエルの背中を見送った。
「……頼むぞ」
「……はい!」
黒須とルカ、ウリエルは中継車にのりこみ、ダニエルから離れて行った。
再び、ルシファーのこえが、甘く優しく聞こえてくる。
「一人になったね」
「……」
「でも、君は知っているはずだ。宗教を利用した方が、民衆をまとめやすい。これは歴史が語っている。日本だってトップにいる天皇は神道だろ? 宗教によるピラミッド型社会。そのほうが、愚民を操るには都合がいいからな。国を治めるとはそういう事だ」
「……違います」
小さく、でもはっきり言った。
「神道は、教義や聖典がありません。でもだからって、無神論でもない」
「……ほう」
青山二丁目を右折した瞬間、景色が変わった。
外苑銀杏並木。
まっすぐ伸びる道。
黄金色の葉。
そして……、ダニエルは銀杏並木に入って、いつもの走りを取り戻した。
風が頬を撫で、汗が光を反射して瞬いた。
国立競技場の歓声が、ダニエルには、はっきりと届いていた。




