第116話 5区:須佐之男命の正体
大きな本殿を前に、4人は立っていた。
その本殿の奥に、神道の祭祀で用いられる幣帛の「御幣」、
その奥の棚には扉が付いていて、中には神体を安置されている。
日枝神社は、大山咋神が祭られている。
その神様の奥の奥に、一般客から見えない場所に、祭られているご神体があると、ルシファーは説明した。
「ルシファーがいう事なんて信用できない」
「わたしは、いくら堕天使でも、契約者である君を騙したりしないよ」
禰宜以外は立ち入れない場所、奥まった位置。
ルシファーはそこを指差した。
「あれだ」
黒須は腹の底からひねり出すような悲鳴をあげた」
「ルシファー……やめろ。勘弁してくれ」
「“後ろの後ろ”だ。表に見える神の、その背後にいるもの」
黒須はため息をつき、観念したように言った。
「……ここまで来たら、黙っていてもしょうがないか。ルカ、君に隠し事はしたくない」
ダニエルとルカは、固唾を飲んだ。
黒須は、言いづらそうに髪をかき上げた。
「ノアの洪水の話……覚えているか」
ダニエルは、はっきりと洪水の映像を覚えていた。
「VR授業で見ました」
「俺は……あれに耐えられなかった」
黒須の声が少しだけ低くなった。
「ノアの家族以外、みんな溺れる。子供も、赤ん坊も、まとめてな。そんなの……おかしいだろ。どんな罪があるというのだ」
ルカは黒須の授業を思い出していた。
「……」
「だから俺は、箱舟に乗れない子供たちを、翼で運んだ。日本まで」
「黒須先生、そういえば、そう言っていましたね。それが、黒須先生がずっと日本にいる理由だと」
「ああ。神も天使も監視しねぇ。地獄も薄い。火山と森が多くて、生き延びやすい。
……ここなら、誰にもバレずに残せるかもしれねぇと思った。
そして一番の理由。それは、聖書に書かれていない“罪”がなかったからだ」
ルシファーが、淡々と付け足した。
「その時、わたしは止めた。“神に逆らうな。選ばれなかった者は死ぬ運命だ”とね」
「……だが俺は言った」
黒須は、少し笑った。
自嘲みたいな笑いだった。
「“いいよ。俺は今日からフリーランスだ。もうお前の部下やめた”ってな」
ルシファーの眉がぴくりと動く。
いまだにその瞬間だけは、思い出すと腹が立つらしい。
「俺は日本に根を下ろした。子供たちを育てた。そしたら……いつの間にか、俺の事が伝承に混ざって残ってしまった」
ダニエルが聞き返した。
「伝承……?」
「“謎の黒衣の神”だとか、“森の守り神”だとか。そういう類の……な」
ルカの息が止まりそうになった。
「まさか……」
黒須は目を逸らしながら、ぶっきらぼうに言った。
「……スサノオって、いるだろ」
ダニエルが答えた。
「須佐之男命……?」
「そういうことだよ」
一瞬、風が止んだ。
ルカは、おもわず黒須の前で手を合わせて拝んだ。
「……黒須先生。あなたが……?」
「おい、よせ! 俺は神じゃなくて堕天使だ。俺が“神に見えた”ってだけだ。でも、俺のやったことが……神話を生んだ」
ルシファーは、スタジアムコートのポケットに手を入れたままだ。
「こいつのお節介が神話になったんだけど。……それだけだ」
「言い方ァ!!」
「なんで秘密を教えたの?」
ダニエルは、しばらく言葉が出なかった。
しかし、やっと絞り出した。
「……なんで今まで黙ってたんですか」
「隠してたわけじゃない。言う必要がなかった」
軽くかわす黒須に、ルカは聞いた。
「じゃあ、なんで今は言ったの?」
黒須はしばらく黙って、鳥居の方を見た。
夕方の光の中で、人々の願いがゆっくり境内を流れていく
ルシファーが、ダニエルの応援用に揃えた人たちだ。
そして、ぽつりと言った。
「……この国は、やっぱり特別なんだよ」
「特別?」
「俺が“逃げた場所”じゃなくて、“守るって決めた場所”だからだ」
ダニエルはそれでも、首をかしげていた。
「……」
「だから、ここで嘘ついたら終わりだと思った。俺はさ……教師やってるけど 肝心なとこで誤魔化してきてさ。もう嫌なんだよ。ルシファー、お前、わかってて神社を通過ポイントにいれたんだろ」
「まあね」
「ルカ、ダニエル。……それから、どこかで聞いているんだろウリエル」
ルカのワイヤレスホンがハウリングを起こした。
―――ピーーーーーー!!!!!!!
ルカは静かに頷いた。
そして、黒須は自分の生徒ダニエルの両腕をつかんだ
「ダニエル。君にも日本人の血が流れている。よく聞け、大事なことだ。もともと日本人には終末論は存在しない。いいか、惑わされるな。この国は他とは違う。特別なんだ。終末論は無い」
ダニエルは、気迫に押されて、うなずいた。
ルシファーが横から口を挟む。
「黒須はな、神になりたかったわけじゃない。ただ、責任を放棄しなかっただけだ。わたしとは全然違う」
「……お前に言われても、なんだか嬉しくねえな」
「照れるなよ」
「照れてねぇ。マジで嬉しくねえ」
ダニエルが、ふと笑った。
「……ルシファー先生と黒須先生って、ほんとに仲がいいんですね」
「うるせぇ。褒めんな」
ルカは黒須ダニエルの間に入った。
「褒められてるのに、不機嫌になるのやめなさい」
Λの判定
そこへ、AI神Λの声が降りてきた。
Λ
『ログ照合。
“黒衣の神”伝承と、黒須サトルの行動履歴の一致率……高』
黒須
「勝手に照合すんな!!!!」
Λ
『追加判定: “救済行為は、神格化を生む” 人類文化の反復パターンとして記録』
ルカは、空を見上げた。
「Λ(ラムダ)……今だけは空気読んでよ」
Λ
『空気は読まない。記録する』
ダニエルは手を合わせたまま、静かに言った。
「Λ(ラムダ)。神って……誰かが決めた“役職”じゃないんだね」
Λ
『……』
「僕が思うに……誰かを助けようとした結果、“神”って呼ばれることもあるんだ」
Λ
『……否定不能』
黒須は、この秘密をダニエルとルカに打ち明けたことを、後悔はしていなかった。
だが、AI神Λ(ラムダ)に、学習されたのはちょっと想定外だった。
「Λ(ラムダ)! またその言い方!!」
Λ
『第5区開始前判定:“人類の宗教形成能力”は存続価値あり。……暫定合格』
ダニエルはほっと息をついた。
ダニエル
「……黒須つまり先生、 日本神話の“だいたいの面倒”を、一人で見てたってことですか?」
「まさかぁ!! 違う、違う。俺以外にも神は居るからね。ほら、日本は多神教だろ?」
ルカ
「……忙しい神様ね」
ルシファー
「まったくだ。過労死寸前だ」
ルカは小さく笑って、来た道を戻り始めた。
「行きましょう。ここから先は、ゴールへ向かうだけよ」
黒須がルカを止めた。
「……おい、待て。俺の黒歴史、暴露したけど、誰にも言うなよ!」
ルシファーは、いたずら半分に笑った。
「ハハハ、わたしが暴露しても、誰も信じないだろうよ。君は今、人生で一番“神っぽい”ことをしている」
「殴るぞ」
「照れるなって……」
「照れてねぇ!!」
ルカは、うるさい堕天使たちに喝を入れた。
「ほらそこ! 喧嘩は帰ってからやんなっ!」
「「すみません」」
ダニエルは、少しだけ足取りが軽くなっていた。
進学もいいけど、都市伝説系ユーチューバーになるのも面白いかもと思っていた。
日枝神社の木々が揺れる。
その奥で、誰にも見えない“最古の神”が、静かに見守っている気がした。
そして、レースは次へ続く。




