第114話 4区:上智大学→日枝神社
赤坂の交差点を越えると、溜池山王へ向かう広い歩道が続く。
ダニエルは一定のリズムで走っていた。
呼吸も、足取りも、崩れていない。
……だが、黒須は違和感に気づいた。
「……あ?」
黒須は走りながら、後ろを振り返った。
「おい……ルシファーは?」
黒須に聞かれて、ルカも周囲を見回した。
さっきまで、確かに後ろにいたはずの堕天使の姿が、どこにもない。
「……いないわね」
ウリエルも後ろから追いかけてきて、タブレットで確認した。
「GPS通信も……切れてます。位置情報、消失……」
「……あいつ」
黒須は舌打ちした。
「例の組織に捕まったか……。それとも、話し合いに行ったか」
ルカは黒須の横顔を見た。
「どっちだと思う?」
「……どっちもあり得る」
ルカは、小声で黒須に伝えた。
「実はここ最近、ルシファーが一人で出かけるところを、度々見かけてたの。ウリエルとも話したんだけど、なにか裏でコソコソして嫌な感じがするって」
「やべぇかもしれねぇな……」
少し間を置いて、黒須は続けた。
「あいつはな、歪んでるんだよ」
「え…………、今さら言うこと?」
「今までいろいろあったからな。そりゃ、ああもなる」
「黒須先生、まるで素行の悪い生徒を指導するみたいに……」
赤坂の高層ビルの隙間を、風が抜けていった。
「あいつは、想像以上に非情な奴だ」
ルカは何も言わず、ダニエルの背中を見つめながら、走り続けた。
黒須は、ルシファーの非情さはよく知っている。
「レースで劣勢になってる今……、何をしでかすかわからねぇ」
「……」
ダニエルは、二人の会話を背中で聞きながら、黙って走り続けていたが、ポロリと本音をこぼした。
「……黒須先生」
「何だ」
「ルシファー先生、戻ってきますよね」
「……さぁな」
それは、黒須の正直な答えだった。
「だが、あいつは逃げるタイプじゃねぇ。どんな形であれ、必ず“結果”を持って戻ってくる男だ思うよ」
その時……、ルカが、一歩ダニエルの横に並んだ。
「ダニエル!」
「はい? ルカ先生」
「今は、前だけ見て走りましょう」
「……はい」
ルカは、きっぱりと言った。
「大丈夫。君はわたしが守るから」
その後ろで、黒須はルカの背中を見つめていた。
「……」
言葉では何も言えなかった。
だが、心の中では思っていた。
(ああ……こいつ、ほんとに天使なんだよな)
赤坂の高層ビルが、傾き始めた太陽を反射した。
その先に、日枝神社の鳥居が、まだ遠く、しかし確かに見えていた。
Λ
『観測継続。地獄代表、不在。レース続行』
黒須は、呆れかえった声を出した。
「……続行、だとよ。ライバルがいなくなったというのに」
「温情はないみたいね、AIは」
ダニエルは、何も言わず、ただ速度を落とさずに走り続けた。
日枝神社が見える距離まで来ると、なんと鳥居の前に立っているのは、ルシファーだった。ルシファーは先回りしていたのだ。
鳥居の前に大勢の人たちをバックに従えて、ルシファーは偉そうに腕組みしていた。
「黒須。お前はほんとに生徒想いだな。一緒に走ってやるなんてお優しいことで」
「ルシファー! 途中で勝手に消えるなよ」
「AIは、ルシファーの行方を知っていたということね」
ルシファーは後ろに集まっている人たちに向かって、にやりと笑った。
「お集まりのみなさーん!! あそこに突っ立っている先生と生徒が、わたしの友達だから、仲良くしてくれないかなーー!」
後ろにいたのは、大人も高校生も男も女も様々な普通の人たちだった。
それぞれが、顔を見合わせて、「ルシファーさんのお願いならば……」と頷いた。
「じゃ、よろしくね、みなさん」
ルシファーがそう言うと、集まった人たちは日枝神社の鳥居をくぐり、階段を駆け上がった。
石段を登って行く大勢の人たちは、なんと、ダニエルに声援を送った。
「がんばるんだよーー」
「上まで行けば、涼しいからね」
黒須は思わず叫んだ。
「ルシファー! お前、……。あの人たちは……?」
「ここ数日間で集めた、わたしの従順なしもべたちだよ」
「なっ、お前、何をしたんだ? 買収か?!」
「フフフ……簡単な根回しさ。たいしたことじゃない……」
ルシファーは、邪悪な顔になって、そのたいしたことじゃない動きを得意げに言った。
「重い荷物を運んであげたり、学校の掃除をしたり、フフフ、購買部でレジをしたり……、花壇の手入れもしてやった。そうそう、あのおばさんにはリップサービスもしてね……、要は、地獄の悪魔が大好きなものだ。それは、偽善だ」
「ルシファー、こいつ……」
ルカは、ルシファーの言葉になんて返したらいいのか、頭の中がぐるぐるしていた。
(こいつ、性格が歪み過ぎて……一周回って善良じゃん……)
黒須はルシファーを見つめた。
「……お前……」
一瞬、言葉を失ってから、黒須は吐き捨てるように言った。
「それ、下僕じゃねぇだろ。ただの……恩返しだ。手伝ってもらった人間が、恩返しに集まっただけだろ。要するに……ファンじゃねぇか」
ルカはため息をつきながら、石段に座って長い足を組んだ 。
「黒須はまだわかってないね。わたしはルカと契約を結んだんだ。契約者の命令通り、“悔い改め、善き行いを”しただけさ。しかも、それが偽善にもなるなんて……、おっと、黒須、くやしがるなよ」
黒須は、ルシファーがわからなくなった。
(……ってか、自分の方が邪悪だぞって示すために。こんなにムキになるって……、こいつ思ったよりもガキか……?)
ルシファーは得意げに続けた。
「黒須、お前が今回のハルマゲドンレースに、観衆や応援を呼ばないから、わたしが何もかも先回りしてやったんだよ」
「え……」
「フフフ……お前だって、堕天使だろう? 嘘や偽善って大好きだよな。でも、それはわたしが全てやった。なあ、黒須。ここ数日間、PR活動がなかなかできなくて、さぞ悔しかっただろう」
黒須は小声でルカに言った。
「どうしよう。反応に困る」
「わたしも……だけど、やるか」
黒須とルカは、思いっきり息を吸って、演技した。
「「悔しいーーー!」」
生徒で、ただ様子を見ていたダニエル。
黒須とルカの悔しがる顏を見て、感動した。
(あ、黒須先生たち、空気読んでくれた。優しい……)
ルシファーは、完全に上から目線で満足していた。
「ざまぁですわ!」




