第112話 3区:本郷キャンパス → 文教地区
上野公園の不忍池を抜け、大通りを渡るとすぐに東京大学本郷キャンパスの池之端門があった。
ルシファーは、どこで手に入れたのか、あるいは自分で作ったのか、東大の通行許可証を警備員に見せた。
「文科省から、お話は聞いていると思いますけど……」
警備員は許可証を見ると、ハルマゲドンレース参加者と教師たちを大学敷地内に通した。
ウリエルは、白い鳩にの小型カメラ通信機を付けて、中継車で待つことにしてある
ダニエルは、さっそく東大本郷キャンパス内を走ろうとすると、ルシファーに止められた。
「おいおい、人類代表ランナーさんよ。慌てるんじゃない。AI神Λ(ラムダ)の指示を待て。それから走るんだよ」
「ルシファー先生、ごめんなさい」
東京大学池之端門をくぐり抜けると、空が少し曇り始め、Λ(ラムダ)の声が響いた。
Λ
『第3区テーマ:堕天使と天使たちが関わっている仕事について、検証したい』
黒須は、自分の仕事を研究材料にされるようで不機嫌になった。
「検証ってなんだよ!! 教育は実験じゃねぇ!! ルシファー、お前も何とか言えよ。文科省の回し者だろ」
「面白いじゃないか。Λ(ラムダ)は、まだ教育とは言っていない。わたしたちが関わっている仕事としか言っていないぞ」
ダニエルは文句も言わず、軽く足踏みしてスタンバイしていた。
「ダニエル、お前、ウォーミングアップか?」
「先生たちの喧嘩が終わるの待ってたら、時間の無駄ですから」
「ルシファーと話しているのは、喧嘩じゃねぇ!! 教育議論だ!!」
「黒須、やめよう。ダニエルのほうがずっと大人だ」
「誰が大人げないんだ!!」
ルカがタブレットを手にウリエルと通信していたが、黒須の大声で遮られていた。
「ハルマゲドン・レースの妨害者は、速攻で東京地検に護送される。 わかってんだろうなー!」
「え、嘘……」
「嘘だ。ふっ……やっと、静かになったね。だが、忘れるんじゃないよ!。ここは東京地検が一番近いんだからな、悪党ども! こっちはウリエルと通信中なんだ。邪魔するな!」
ルカ姐さんの言葉に、黒須とルシファーは素直にうなずいた。
ダニエルは、そんな黒須たちを全くスルーして、静かにΛ(ラムダ)の指示を待っていた。
Λ
『観察記録:“教師は、しばしば生徒より大人げない”』
「うるせぇよΛァァァァ!!」
「黒須先生! ハルマゲドン・レースはこれから徐々に東京地検に近づいていきまーす!」
「はい……」
Λの声が響いた。
Λ
『第3区・教育評価。“知恵とは何か” を問うことに決めた』
黒須はダニエルの横に並んで走り出っていた。
「来たな……教育編。よーし、ソロモンの話でもするか」
ルカは、まだ授業で取り上げて間もないソロモンの話と聞いて、ため息が漏れた。
「また勝手に授業始めた……」
走りながら、黒須は唐突に語り出した。
東京大学本郷キャンパスの東京大学病院の横を走っていた。
中には入れないが、大学の知のプロムナードで話すには、ぴったりの「知恵の王ソロモン」を選んだあたり、黒須のセンスが光る。
「先日も、VR授業でやったけどさ、ソロモン王がいてさ。覚えてるか?」
「はい、ウリエル先生のアバターだったやつですね」
「そう、そう! ある夜、ソロモンが寝ていると夢枕に神様が立つんだよ」
黒須は神の声真似をした。
「『ソロモンよ、おぬし、何が一番ほしいかの。なんでも望みを叶えてやろう』」
ルカは小さな声で「この罰当たりめ」とつぶやいた。
それをルシファーは聞いていて、思わず笑いそうになり、ぐっと腹筋に力を入れた。
「黒須先生の解説によると、神様って、そんな優しかった……って、思いますけどね」
黒須は、ダニエルの意見に激しく同意した。
「いやオレも、言ってて違和感あるんだけどな。マジで、神ってそんなに甘くねーよ、普通」
ルカも一緒に走りながら、今度は聞こえるように言った。
「そこははっきり言うのね」
何を言われても、今の黒須は別に気にしない。
なぜなら、授業モードに入っていたからだ。
「で、ソロモンは言うわけだ」
黒須は、今度はソロモンの声真似をした。
「『神よ、善と悪を正しく見分ける力をください』」
ダニエルはふっと笑った。
「ふっふ……ウリエル先生、そっくり」
黒須の解説はつづく。
安田講堂の前、イチョウの並木道を走った。
「でさ、神は驚くんだよ」
黒須、再び神の役。
「『うぬぬぬ!! よく言った!! 金でも長寿でもなく智慧を求めるとは!! よし、おぬしに智慧を授ける! ついでに富も名声も長寿も全部やっちゃう!』」
「大サービスなんですよね、このとき神様……!」
「だろ!? なにこの太っ腹! そんなに気前良かったっけ? 神って!!?」
ルカは、こんな黒須をたしなめた。
「ちょっと黒須先生! 静かに!! 神に怒られるわよ!!」
正門からキャンパスを出て、東京大学敷地の横を走っていく。
黒須は、ここから無口になった。
「でもさ……」
もうすぐ、順天堂大学に着くころに、黒須は再び口を開いた。
黒須の顏は、真面目だった。
「智慧をもらったはずのソロモンだけど、外国人の奥さんたくさんもらって、異教の神々を普通に受け入れたよな?」
ルカは黒須の横顔をちらと見た。
「……!」
黒須は続けた。
「え? “善悪を見分ける智慧” もらったんじゃねぇの? 神は異教大嫌いだったよな? なんで間違えたんだ? てかさ、本当に智慧を授かったのか? 神は本当に智慧を渡したのか? 渡し忘れたってことないか?」
それから、沈黙したまま走った。
順天堂大学を背に水道橋交差点まで来ると、向こうに東京ドームが見えた。
高架下を通って、日本大学経済学部まで来てから、横断歩道を右に渡った。
ダニエルは、ずっと考えていたのか、やっと口を開いた。
「確かに……」
「なぁ、だろ? “神から智慧を授かった男” が、なんで、わざわざ神の逆鱗に触れんだよ。そんなの授業だったら赤点だぞ」
ダニエルと黒須たちは、神田の文教エリアを走った。
日本大学法学部までくると、ルシファーが口をはさんだ。
「黒須。それが“教育の限界”だ」
「あ? 何が言いてぇんだよ」
「神が智慧を授けようが、人間が受け取るのは、ほんの一部だ。教師が真理を教えても、生徒がそれを全て理解するとは限らん」
「はぁ!? 教育をバカにしてんのか!?」
「カッカするなよ。事実だろう。“学ぶ者の器”が全てだ。ソロモンは智慧を求めたが……“我欲” のほうが勝った。そこが彼の器の限界だ。……わたしの経験によると、“知恵の実”を人間が食べても、すべての人間が賢くなるわけではない」
「それもあるか……」
「ほう?」
「だが、すぐに出ない芽もある。人間ってのはな、智慧もらったから正しくなるんじゃねぇんだよ!! 時間をかけて自分のものにしてから、やっと知恵と呼べるものになるんじゃないかな。でなきゃ、俺の卒業生、全員天才になっちゃう」
「ならば問おう。その“知恵”が国を滅ぼす場合でも、許されるのか?」
「ぐっ……!」
Λ
『観察記録:教師と堕天使、教育観に根本的相違』
ルカはAINに命じた。
「Λ(ラムダ)、実況しないで!! 実況はあなたの仕事ではない」
早稲田通りを渡って、法政大学の前まで来た。
ダニエルは黙って走り続けている。
二人が激しく言い争う横でも、ダニエルはただ走っていた。
黙々と。
淡々と。
前だけを見て……
全員が無口になったタイミングで、ウリエルの白い中継車がきた。
中継車は、ゆっくりと通過する。
「黒須先生とルシファー先生は教育論争でヒートアップしておりますが……ダニエル選手、マイペースで快走です!! “教育は言葉より行動” を体現していまーす!!」
「ウリエル、お前いつの間に……あいつは車で移動か……いいなぁ」
四谷交差点に差し掛かった。
ダニエルが疲労でペースを落とし始めたころ、ウリエルの後方から走ってきた大型トラックが、ゆっくりとスピードを落として、ダニエルと並走した。
荷台全体が発光し、巨大スクリーンにウリエルが映った。
『はい注目〜〜っ! 酸素っ! 酸素っ! 酸素を入れれば筋肉は動くよ〜♪
天界認定・恋愛CIAスポーツ飲料「O2ラブ」新発売っス!』
突然の応援メッセージに、ルカは頭を抱えた。
「恋愛CIAの活動で……何、売ってるの?」
「ウリエルの売っている商品、酸素飲料ってもう意味わかんねえ!」
「一本ほしいな、それ」とルシファー。
すると、ルカの背負っていたリュックから、ぬいぐるみのロクさんが顔出した。
「だんなァ、息を吸えば済む話でやすよ!」
トラックのビジョンがフェードアウトする直前、ウリエルが満面の笑みでウインクした。
「がんばれダニエルくん! 恋もマラソンも、呼吸が大事っスよー!」
ダニエルは、ぜぇぜぇしながら、辛うじて感謝を伝えた。
「はい、はい……ありがとうございます」
だが、ダニエルはフラフラして、転びそうになった。




