第111話 2区:上野・不忍池
ルシファーは、柵に寄りかかって、ダニエルが来るのを待っていた。
ダニエルは、息を弾ませて不忍池まで来ると、立ち止まり肩で息をした。
「ルシファー先生、どうして?……僕……を、待っていてくれたんですか? 先に行ってもいいのに……」
「待ってる? 冗談じゃない。先に行きたくても、Λ(ラムダ)のミッションがないと進めないんだよ。ああー、君が来るまで暇でしょうがなかった」
黒須とルカも中継車から降りて、不忍池まで走って来た。
普段は大勢の人たちが散策に来る上野公園も、今日は不気味なほど静かだった。
ほどなく、AI神Λの声が響いた。
『第2区は、試練……。旧約聖書の出エジプト記を再現する。“第四の災い:あぶの大群” を再現開始』
「え、VR授業の再現?」
ダニエルはVR授業のあぶの大群シーンを思い出して、ゾッとした。
黒須は、自分の授業データに不正アクセスされたのは知っていたが、こんな使い方……しかも災いのシーンを使うことに腹が立った。
「いやなんで!? なんで再現すんだよそこ!! もっと平和な試練なかった!?」
黒須の訴えなど、最初から聞く耳持たないAI神Λ(ラムダ)。
不忍池の上空が黒く渦巻き、ブゥゥゥゥゥン……と低い羽音が広がった。
ルカは、とっさに姿勢を低くしながら叫んだ。
「黒須先生!! ダニエル!! しゃがんで! 来るわよ!!」
「やめろォォォ!!! 虫だけは勘弁して!!!」
「あんた、この授業してたじゃん! あの時どうしたのよ」
「あの時……、目を閉じてた」
にわかに池の蓮が揺れ、水面から巨大な黒い影が立ち上がった。
Λ
『害虫シミュレーション:展開完了』
雲った空から、本当に耳を裂くような羽音の大群が降ってきた。
「うわあぁぁぁ!!全力で逃げるしかない!!」
数か月前に封印を解いたダニエルは、ときどき不思議な力が出ることがあった。
ダニエルは不忍池の前で、モーセがやったように右手の杖……は、なかったから拳を天に突き上げた。
その瞬間……、
不忍池の水面が、左右にザァァァァァァァッ!!と割れた。
ルカと黒須は、信じられない光景を見た。
「割れた!!!!! また割れた!!! 池でも割れるのかよ!!!!」
「え、ええ。モーセより規模は小さいけどね……」
ルシファーは、目の前の奇跡に顔色ひとつ変えなかった。
「ふむ。質の高い再現だ。悪くない」
「褒めるな!! Λ(ラムダ)が調子に乗るでしょ!!」
Λ
『通過条件:“害虫の追撃をかわしながら、池底の走路を走破せよ”』
「かわせねぇよあんなん!! あれ普通に殺虫剤いるレベルだぞ!!」
ダニエルは、すでに預言者モードだ。
「行くしかないでしょ黒須先生! 出エジプト記ならず、出上野公園!!」
ルシファーが笑った。
「だいぶスケールが小さくなったな」
「量より質なのよ、この子の場合は……」
「ダニエル、俺に声かけた? 先生は走らねぇよ!? お前が走るんだよ!!」
不忍池の底に拓かれた、AI神Λが作り出した“水の回廊”。
ダニエルはあぶの大群を振り切り、池の底を走った。
ルシファーも、この瞬間を利用して彼に続いた。
ラストは池の柵を飛び越え、地を蹴ってゴールラインを越えた。
Λ
『人類代表……第2区、通過』
同じくルシファーも余裕の表情で通過した。
「ふっ……害虫ごとき、速さのうちには入らん」
黒須はその様子をただ呆気に取られて見ていた。
「ごときって言ったぞアイツ!! ごときって……、遠く離れていても、悪口だけは聞こえるんだよ。地獄耳だけにな! ごときじゃねーだろ、あんな地獄の軍団みたいな虫の群れを!!」
「黒須先生、声が大きい!!聞こえてるわよ!! あんたが地獄耳なら、ルシファーだって同じでしょ!」
そのとき……
ブゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!!
「……え、なんか今、聞こえたよな?」
Λ
『補足イベント:“観客が安全地帯に避難していないため、害虫追撃を継続する”』
「は??????」
ルカがシャツの袖を降ろした。
「つまり……逃げろってことじゃん?」
「なんで!?なんで俺まで参加なんだよ!?」
Λ
『黒須サトル、ルカ・セラフィム:天界登録カテゴリ=“堕天使教師” “天使エージェント”
人間にあらずもの。よって、安全対象外』
「はぁぁぁぁ!? こんなところだけ、なんで細かいんだよ!天界のルールはっ!!」
ルカは肩をすくめた。
「仕方ないわね……走りましょう、黒須先生」
「え!? ルカも!?」
「当然、わたしも安全対象外って言われたんだし、めっちゃ腹立つじゃん。それに……あなたを一人で行かせたら……」
「ルカ……(君は僕の事を……)」
「……途中で溺れるでしょ。そんなの嫌よ」
「池の底は水ねぇだろ!!」
「途中で転んで、池の壁が崩れる!! エジプト軍が溺れたみたいに!」
「そこだけは、ちゃんと記憶してるんだな!!」
そこへ……
ウリエルが、中継ドローンを、あの有名な猫型ロボットの漫画のように頭に乗せて飛んで来た。
「実況入りましたー!!」
「お前は、アニメキャラか! そのドローン、四次元ポケットから出したんだろ!」
「SNSで配信中です。第2区、追加参加者は黒須サトル&ルカ・セラフィム!! まさかまさかの教師ペアが参戦です!!」
「実況すんな、ウリエル!! 手伝え!!!」
ウリエルは空中で手を振った。
「応援してます!! 僕は応援担当なんで!! 頑張ってくださーい!!」
「無責任ーーー!! ってか、お前、そんなもん使わなくても翼あるだろが! 天使だろ!」
黒須がわめいている間に、背後でブワァァァァァッ!! と、空からあぶの大群が迫ってきていた。
ルカは、迷わず手を差し出した。
「黒須! 手!!」
「えっ……う、うん!!」
ルカは黒須の腕を掴むと、池底の石畳を駆け出した。
「走れ!! あなたの脚は飾りじゃないでしょ!!」
「うるせぇ!! 言われなくても走るわ! !」
「言われないと、走らないじゃない!!」
天使エージェントで鍛えられたルカの足は速かった。
黒須はルカに引きずられるように、必死に走った。
「うるせぇ!!」
ウリエルの実況中継が、現場の緊迫感を伝えていた。
すると、
「おおっと!! 黒須先生、転んだァ!!」
「転んでねぇ!!! ただ、つまずいただけだ!!!」
ウリエルはマイクを通して言い返す。
「それ転んだって言うんですよ!!」
ルカはそんな二人の茶番劇に付き合っている余裕は無かった。
「ほら あの水の壁、もう閉じ始めてる! 急げ!!」
「わかってるぅぅぅぅ!!!」
転んだ黒須の上に、水の壁が波のように押し寄せてきた。
リアル出エジプト記のエジプト軍だ。
Λ
『補足判定:
“脱落した場合は、害虫クラウドへ吸収”』
黒須は、恐怖でこえがひっくり返った。
「ふぇっ?! クラウドって言い方やめろ!!! なんかデータ化されて削除されそうじゃん!!!」
「文句は、走りながら言って!! 足を動かせ! 足!!」
「文句言ってねぇと、精神保てねぇんだよ!!!」
二人は叫びながら、池底のゴールラインを駆け抜けた。
Λ
『黒須・ルカ組……臨時通過。 次区への移動許可』
黒須とルカは上野公園のベンチに、倒れるようにもたれかかった。
「……はぁ……はぁ……。マジ死ぬかと思った……」
ルカは髪をかきあげた。
「黒須先生……息あがるの早すぎよ。運動不足じゃない?」
「うるせぇ……お前が引っ張るから、腕痛ぇんだよ……。ってかよ、さっき俺、呼び捨てにされたような……」
「幻聴だ」
ルカは、今さら黒須の手を引っ張ったことにハッとした。
ほんの少しだけ赤くなった頬を、両手でかくした。
「……黙れ、堕天使」
ウリエルは、にこにこしながら実況中継した。
「【速報】黒須先生、ルカ先輩に手を引かれて走るっと」
黒須&ルカは、息ぴったりに叫んだ。
「「やめて、ウリエル!!!!」」




