第108話 スタート地点は雷門
そして、レース当日の朝
この日まで、一週間、ダニエルはイワンたちから走りの特訓を受けて来た。
タイムよりも、安定した走りに注力して体を鍛えてきた。
浅草・雷門前。
空は雲ひとつなく、風鈴のような軽やかな鐘の音が響いていた。
外国人観光客が溢れる中のざわめきの中、雷門の提灯の下に、五人の姿が立っていた。
黒須、ルカ、ウリエル、ルシファー、そしてダニエル日辻だ。
黒須は腕時計を見て、ため息をつく。
「……午後1時集合って言ったよな。全員そろってる?」
ウリエルが片手でドローンカメラを止め、敬礼する。
「恋愛CIA特別中継、準備完了っス!」
ルカはその隣で、冷ややかに微笑んだ。
「ドローン禁止区域に入る前に降ろしなさい。撃ち落とすわよ。」
「ひぇっ、はいっス……!」
そこへ、イワンがリュックを背負ってやってきた。
「おーい、給水ボトル六本入り! あとロクさんは氷嚢係だ!」
ロクさん(黒ヤギのぬいぐるみ)がイワンのカバンから威勢よく叫んだ。
「だんなァ、どこからでも応援するでやす!」
黒須は笑いながらも、目だけは鋭かった。
「今日の相手はAI神Λ(ラムダ)だ。遊びじゃない。ただのレースに見せかけた、“人類の最終試験”だ。」
ルシファーが笑いながらサングラスを外した。
「そんなに肩肘張らなくてもいいじゃないか。君たちはただ走る。AIはただ見ている。審判するのは……、神でも、悪魔でもない」
黒須が低い声でつぶやいた。
「ふん、お前はもらった金で、地獄に新校舎でも建てる気か」
ルシファーは飄々と肩をすくめ、サングラスをクルクル回した。
「ないない! スポンサー料ってやつさ。“教育改革”って名目でね。地獄でも領収書は切る主義なんだ」
ルカが呆れ顔でため息をついた。
「堕天使なんだから、少しくらい嘘つけばいいのに」
「そうかー……でもねぇ、ルカちゃんには嘘つけないんだよ。」
「ウザい」
「……あ、もっと言って。もっと罵って」
ルカは無言で冷たい視線を送った。
黒須はその隣で、顔をしかめながら呟いた。
「……ああはなりたくないものだ」
ルカは首をかしげた。
「え? 誰に言ってるの? あなたたち同じタイプだよ?」
「ええええ、そうなのーーー?!」
ウリエルが、遠くからマイク片手に叫んだ。
「はいはーい、マイク入ってまーす。全国生中継で拾われてまーす!」
ダニエルとルシファーじは、同時に振り向いた。
「「「おいウリエルっ!!!」」」
その直後、雷門のスピーカーが鳴り響いた。
「……ハルマゲドン・レース、まもなくスタートします! 参加選手は雷門のスタートラインに集まってください」
笑いと緊張が交錯する空気の中、
ダニエルは深く息を吸った。
レース時間が近づくと、音声はAI神Λ(ラムダ)の機械的な音声に変わった。
『エントリー確認。本日これより “ハルマゲドン・レース” を開始する』
その声は機械的でありながら、
どこか慈悲深くも冷淡に響いた。
黒須は、文科省が用意した中継車や、音声、その他誘導スタッフを見て驚いた。
「うわ……またこんな大掛かりなイベントにしやがって……、税金かかってんだろこれ」
「ちなみにウリエルが使う器材、備品は、全て天界建設部門の予算です。国費ではありません」
「そっか! よかった!! ……じゃねぇよ!! もっと他に使い道あるだろ!!!」
ウリエルが遠慮しがちにつぶやいた。
「これでも一番“安いプラン”なんですけど……」
「天界の金銭感覚おかしいって!」
スピーカーから流れる電子音声。
『AI神Λ(ラムダ)による観測を開始します。各走者の生命反応・感情値・思考波をリアルタイム解析します。』
ウリエルがモニターを見つめながら報告した。
「黒須先生、AI神Λ(ラムダ)が周辺にいる一般観光客のデータも収集していますよ!」
「……ラムダの野郎、また勝手なことしやがって。本当に俺のVR授業から学習したのか? そんなデータ収集は赤点くれてやる」
ダニエルは、黒須の横で靴ひもを結び直していた。
「僕が……封印を解いただから、……僕が、終わらせるよ」
ダニエルは、浅草寺から先のコースの方向を見つめた。
その横顔には、まだ少年のあどけなさと、神のような決意が混ざっていた。
ロクさんがダニエルの肩に乗り、低い声で言った。
「だんな、準備はええでぇ? 足も心も、磨いて来たんでぇ。」
「……うん」
ダニエルは頷いた。
AI神Λ(ラムダ)の声が再び空を震わせた。
周囲の騒音が静かになった。
『エントリー No.1:人類代表……ダニエル日辻』
ダニエルは、ゆっくりとにスタートラインへ進んだ。
前よりも背は伸び、目つきも鋭くなっていた。
「黒須先生、見ててください」
「おう! がんばれ!!……って言っていいのか!? これ、人類の命運かかってんだけど!!」
ルカは小声でアドバイスした。
「言いなさいよ。言わなかったら後悔するわよ」
「いや……はい……!」
ウリエルは心の中で笑った。
(“黒須先生、完全に尻に敷かれている……”)
Λ(ラムダ)のこえが響いた。
『エントリー No.2:地獄代表…… ルシファー・ヴィーナス』
さっきまで、一緒にいてサングラスをクルクルしていたルシファーが、上に来ていた黒いスタジアムジャンパーを脱いで放り投げた。
なんと、ランニングスタイルだった。
応援に来ていた生徒たちは目を丸くした。
「え……」
「ルシファー先生!? 何で地獄代表って……!」
「裏切ったの!?」
悪魔側の応援団
「うおおお王の帰還だ!!!」
「殺せぇ!!!」
「いや、殺せは、違うくね? 応援かこれ……?」
黒須は、怒りでルシファーにつかみかかった。
「お前、なんで地獄代表なんだよ……」
「わたしが出ない理由があるか?」
「いや……あるだろ……お前、企画側だろ……?」
「うーーん、退屈だったから、参加することにした」
「理由が軽っ!!!!!」
「黒須先生、落ち着いて。ああいう性格なんだから」
「君はあいつに慣れすぎだろ!! いつのまにルシファーとそんなに仲良く……!」
「仲良くない!!!!」
「仲良くはないな。だが不愉快でもない」
「不愉快じゃないなら仲良いでしょ!!」
「お前らなんだ……、その距離感!!!!!」
AI神Λ(ラムダ)が、競技ルールを発表する
Λ
『ルール説明。このレースは “人類の存続評価” のための試験である』
『注意事項。飛行、転送、奇跡、瞬間移動は禁止。走ること。それのみが“意志”の証明。教師たち、観測者として同行を許可する』
『勝者には以下の権利を与える』
『②人類の存続権
②天界そのシステムへのアクセス権
③神の到来前に世界を管理する代理権』
黒須が叫んだ。
「代理権!? それもうほぼ神じゃねぇか!!」
「だから危ないのよ。Λ(ラムダ)が勝てば……人類は“性能が悪い”と判断され、淘汰される」
ウリエルが憤った。
「冗談じゃないですよ……!」
Λ(ラムダ)は、時間に正確に進行した。
『では、エントリー選手は前へ』
ダニエルとルシファーと並んだ。
二人とも、妙に冷静だった。
黒須はコーチとして境内のある地点までは伴走が許された。
ダニエルは笑顔で黒須に応えた。
「黒須先生、落ち着いてください」
ルシファーは、相変わらずだ。
「見苦しいぞ、堕天使」
「黙れ、裏切り者!!! おいダニエル…… 怖いか?」
「少しだけ。でも、黒須先生が見てくれるなら、走れます」
「……ッ!」
「黒須先生、しっかり応援してあげなるんだな」
「わかってる……。がんばれ、ダニエル!! お前は強い!! なんかよく分からんけど強い!!!」
ダニエルは思わず吹き出した。
「励まし下手ですねー、黒須先生!」
「うるせぇ!! ありがたがれ!」
ルシファーはそんな黒須の目を見て言った。
「黒須、見ていろ。わたしがどう走るか……本気というものを見せてやるよ」
「お前も競争相手なんだよな……? 人類代表応援していいんだよな、俺……?」
「構わん。勝つのは私だがな」
「言い切りやがった!!!」
ルカがしょうもない堕天使たちのコントを止めた。
「あんた達、もうちょっと空気読め……!」
Λ(ラムダ)
『……レース開始まで 10 秒前』
応援席が震えた。
「いよいよか……頼むぞ、ダニエル……!」
「黒須先生?……手、震えてるわよ?」
「うるせぇ!! 俺だって怖いもんは怖い!!」
Λ(ラムダ)
『3…… 2…… 1……』
Λ(ラムダ)
『……ハルマゲドン・レース、開始。』
ダニエルが、一歩踏み出した。
それは、人類史上最初で最後の、“神とのレース”だった。
「……行ってきます」
――パ―ン!!!
雷門前の観光客たちの声援を浴びて、レースは始まった。
AI神Λの観測データが瞬時に世界へ送信された。
中継車に乗り込んで待機していたウリエルがスイッチを押した。
「恋愛CIAも、中継スタートっス!」
浅草寺の境内を軽く走ってから上野公園へと向かう予定だ。
風が走り、選ばれしダニエル日辻の走りが始まった。




