第10話 たそがれの観覧車
ゴンドラがゆっくりと昇っていく。
黄昏時の空は、美しいマジックアワーになっていた。
眼下に広がる遊園地は少しずつ、ネオンを灯し始めた。
「……黄昏時、きれいですね」
ルカがつぶやいた。
「おう、そだな。黄昏時ってのは、この世とあの世が最も近い時間帯だというぜ。死者の霊が彷徨う時間帯とも考えられている」
ルカは、一瞬ぞっとした。
(あの世とかこの世とか、おまけに死者って……怖すぎなんだよ)
「あー、ルカちゃん、そんなに怖がらなくて大丈夫だ。これ、仏教の話だから。黄昏時はいいよな。光でも闇でもない。隠したいもんが全部、黄昏色でごまかされる」
「詩人ですか?」
「いや、……ただの中年だ」
気まずい沈黙がやってきた。
ルカは、天界の最優秀天使エージェントの自覚を取り戻し、うまく会話を繋げようと話題を探していた。
(なんとか、陽キャの実習生を演じなければ……)
そして、ルカはうっかり口を滑らせてしまった。
「黒須先生の婚活がうまくいかないのは、不器用だからですよ。あの時だってそうよ。“サプライズの青白い炎”事件。同じ失敗をしないように、アルコールは控えるべきね」
「……は?」
(……えっ!?)
ルカは自分の口を押さえた。
(言った。言ってしまった。ヤバい! 教育実習生が知るはずがない情報)
ルカの顔がこわばった。
「……“青白い炎”……って、お前に話したっけ……?」
黒須がゆっくりとこちらを見た。
「え、あ、えっと、それは……」
(マズい!! バレた!? いや、でもこの反応……まさか……)
「いやー、最近、ほんっと物忘れひどくてさ〜。やっぱ話したんだよな!? だよな? うんうん、言った気がするわ〜! うんうん、言った、言った。たぶん言った。たしか……校舎の裏庭で?」
「あ、ああ、そうそう! 校舎の裏庭で!」
「あれ、違ったかな……購買のメロンパン並んでるとき?」
「あっ、それそれ! あのときです。メロンパンの日。はい。」
「だよね~! うんうん、だと思った。メロンパン、うまかったなぁ……」
(なにこの展開。怖っ。てか、この人、本当にわたしの正体に気づいてない……?)
「あ、やっぱり違った。あれだ、あの日だ、たしか……ほら、朝礼前に牛乳こぼした日」
(……ほんとにこれで記憶間違いは終わりか!? もうないのか!?)
「いや〜、あのときさ、お前ずっと床拭いてくれてたじゃん? だからそのときに、つい喋っちゃったんだよな~。マジで助かったよ、あの日。あと、あのモップのさばき方、プロだった」
(……なんだこいつ。……微妙に怖い。てか、天然でわたしの正体に気づいてないっぽい!?)
黒須はちょっとだけ目を伏せて笑った。
「……でも嬉しいよ。黙っててくれて」
「……え?」
「正直、言ったこと忘れてた。だけど、あの“青白い炎”のことを誰かが覚えていてくれてさ。しかも、他の人に言わないで黙っていてくれたってのは、ちょっと救われるな。……ま、俺のダサい失敗だけどな」
(違う意味で、よーく覚えてますけどっ!? なんなら現場にいましたが?)
ルカは目を伏せたまま、ぎゅっとスカートの端を握った。
(……わたしが黒須先生の正体に気づいてるってバレた……? でも、それにしては反応が……まさか、バカなふりしてるだけなのか!? ああ、わからない。一体何考えてるんだこいつは!)
黒須は、観覧車の窓からマジックアワーの空を眺めながら、ほんのりと頬を赤くしていた。
ルカは黒須の横顔を見つめて、脳内を解析した。
(……ルカって、俺の正体に気づいてるくせに、黙って見守ってくれてたんだな。優しいやつだよな、ほんと。……あれ? てことは、これって脈アリってやつか?)
黒須の脳内解析をして、ルカは真正面から切り込むことにした。
「あの……黒須先生?」
「ん?」
「ほんとに、物忘れひどくなっているんですか?」
「うん、もう最近ひどくてさ〜。名前とかさ、スマホの置き忘れとか……あと、納豆買いすぎて冷蔵庫がいっぱいに……」
(いや、それは単に注意不足では? ってか、堕天使が納豆食うんかい!)
そのとき、観覧車が最上部に達した。
「……わたしが、黒須先生に何か隠してるって、思ってます?」
「……え、えーと……ううん? いや? なんで?」
「……そう、ならいいんです」
(堕天使・黒須……やっぱチョロい。バレてない……!)
観覧車が、音を立てて少し揺れた。ルカと黒須は一瞬、同時に手すりにしがみついた。
そしてまた、気まずい沈黙が戻ってきた。
「……あ、そうだ」
「はい?」
「次のデート、どこがいいと思う? だってほら、俺らマッチングしたじゃん」
「……え? やっぱり、ルカ・Sってバレていました? 」
「いや、プロフィール写真さぁ、あれってどう見ても君だろ。しかも名前も」
(……マッチングアプリはバレてた。やはりそうか。是非もない。消すか……銃か、吹き矢か……)
黒須は不器用ながらも、ルカを誘ってみた。
「“遠足の下見”ってことで、また協力してほしいなーって……その……よかったらだけど」
「…………考えときます」
視線をそらしながら、ルカは小さく笑い、武器を隠しているスカートの裾を少し上げた。
すると、黒須はピュアな笑顔を向けてきた。
「大丈夫、俺は課金勢だからさ。実は、恋愛CIAのサポート付きなんだ。またデートしような」
(えええ!? 待て、待て、そこは、バレてないのかっ!? いや待て、警戒を怠るな。わざと天然を装ってわたしを泳がせてるのかもしれない…!? やっぱりこいつ、只者じゃない……消す!)
ゴンドラが地上に着いて、降りた瞬間。
ルカは黒須の首の後ろを、拳銃で狙った。
――そのころ、管制室では……、
「そろそろいいだろう。ウリエル、ルカを呼べ」
管制室で、観覧車の中の様子をモニターで監視していた大天使ミカエルが言った。
「ミカエル上官、あの、堕天使にはバレないように呼びますか?」
「当然だ」
ウリエルは、観覧車から降りて来た黒須とルカに聞こえるように、館内放送を流した。
“デートって別れ際が勝負だよー!
女性が帰る時には、気持ちを確認しよう。
少しだけも送ってあげて「大事にされてる感」を演出!
提供は、恋愛CIAでしたぁー!”
「あ、恋愛CIAのお告げ!……」
黒須はゴホンとひとつ咳をした。
「今日は楽しかった……疲れてない?」
恋愛CIAの放送を聞いて、振り返った黒須。
ルカは慌てて拳銃を後ろに隠した。
「く、黒須先生の方でしょ。絶叫系に乗ってクタクタになったのは」
「また、会える?」
「普通にまた学校で会えますけど?」
「そっか……そうだな。送ろうか?」
「いいえ、ここで結構です。ちょっと寄るところがあるので」
「こんな山の中で? ちょっとって、何処に寄るの? ここバカでかい敷地だよ?」
「あー、そうなの。……ま、いろいろとね。じゃあまたー。お疲れさまでしたぁー」
ルカはスタッフ出入口、業務用駐車場へ走った。
そして、大型トラックのドアを開けると、運転席に乗り込んだ。
黒須は、走り出す大型トラックを見て叫んだ。
「ええええ! 寄るところってトラックで行くのか? 今どき、教育実習生って、大型免許持っているのーーーー?! すげえなぁー!」
ルカは黒須を遊園地に置き去りにして、運転しながらカーラジオを付けた。
「ウリエル、車って、これしかなかったのか?」
ラジオのウリエルは答えた。
―「あーーっと、すみません。それよりも先輩、ミカエル上官がお呼びです。至急恋愛CIAオフィスにむかってください」
「……! 何、わたしミスった? ってか、恋愛CIAオフィスってどこよ?」
―「赤坂のオフィスタワー22階に借りました。今、ナビを送ります」
「赤坂……、なんて用意周到な後輩だ……。おまけに、ミカエル上官の呼び出しって……」
上司ミカエルから叱責されるのを、ルカは覚悟した。
トラックを港区に向けて走らせながら……。




