第90話「護送襲撃戦」
夜の砲火が遠くでくすぶり続け、街の空はまだ赤い。倉庫の中では短い打ち合わせが終わり、全員が動き出した。
狙うのは、夜明け前に城塞へ向かう徴収馬車。子どもや若者を縛って運ぶ、鉄の箱だ。
「正面からは無理だ。路地で細くして崩す」
バークレイが地図の上で指をすべらせる。「この十字路に誘い込む。前後を爆破で塞いで、馬車を止める。煙で視界を切ったら、鍵を破る役、縄を切る役、盾役に分かれて一気に子どもを出す。撤退路は三本。どれかは必ず抜けられる」
セインは頷いた。「俺とエリシアで前を押さえる。ミリアは子どもたちの保護。エルンは鍵と縄を頼む」
「了解」
エルンは短く返し、影糸を指に巻きつける。ミリアは胸に手を当て、小さく息を吸った。「必ず守る。どんなことがあっても」
バークレイは最後に、倉庫の子どもたちを見回した。怯えた目がこちらを追う。
「——行くぞ」
◇
夜明け前の路地は、吐く息が白いほど冷え込んでいた。
十字路に近い二つの建物の影に、レジスタンスの若い連中が身を潜める。腰には手製の爆薬、懐には煙玉。恐怖で手が震えているのが分かる。それでも誰も逃げない。
遠くで車輪の音。鉄がきしむ嫌な音。
やがて、鎧の列が角を曲がって見えた。槍を持つ兵士が前後を固め、中央に鉄板で覆われた馬車。小さな窓には格子、足元には鎖。中から押し殺した泣き声が漏れた。
「今だ」
バークレイが指を下ろす。
刹那、前後の路地で爆発が起きた。石畳が跳ね、火の粉と土煙が一気に舞い上がる。隊列が止まる。「敵襲!」という怒声。
同時に、屋根から煙玉がいくつも落ちた。灰色の煙が広がり、視界が白く曇る。
「前は俺たちに任せろ!」
セインが飛び出した。低く踏み込み、先頭の槍を柄元で払って崩す。エリシアが雷をまとった剣で馬車の横にいた兵士の手元を打ち、武器を弾き飛ばす。
兵士の一人が走り込んできたが、セインの刃は鎧の隙間だけを狙い、倒しても深手は負わせない。エリシアも足首や手首を狙って、動きを止めるだけに徹した。
「鍵、見つける!」
エルンが煙の中、馬車の後部へ滑り込む。鉄扉の鍵穴に影糸を流し込むと、内部のピンがかすかに鳴いた。「くそ、二重だな……」
指をもう一本、影に変え、二つ目のピンを探る。カチリ、と乾いた音。
「開いた!」
扉が左右に割れ、縛られたままの子どもたちが目を見開く。
ミリアが駆け寄り、祈りの光で縄を焼き切っていく。「大丈夫、急いで。走れる?」
手は止まらない。ほどいた子から順に、路地の奥へ導く。泣き声に合わせて、光の膜を薄くかけ直す。怯える心を少しでも落ち着かせるために。
「前詰めるぞ!」
セインが兵の押し返しに合わせて一歩ずつ前に出る。
エリシアは壁を蹴って跳び、頭上から落ちてきた刃を雷の火花で弾いた。「ごめん、眠ってて!」
短い一言とともに柄で側頭部を打ち、兵士を昏倒させる。
爆発の煙が薄れ始めた。隊長格の男が見え、喉が怒鳴りで張り裂けそうな声を上げる。「陣形を立て直せ! 馬車を奪い返せ!」
その声の裏に、ほんの一瞬だけ迷いが混じって聞こえた。
(……命令に従わなければ家族が——)
昨日聞いた言葉が、セインの頭をよぎる。だが足は止めない。止められない。
「あと七人!」
ミリアの声。
「了解!」エルンが扉の反対側に回り、別の縄を一息で断つ。「走れ、路地の赤い布へ! あの先で味方が待ってる!」
子どもたちが泣きながら飛び出す。その背に、兵士の槍が向いた。
「させるか!」
セインが踏み込み、槍の穂先を刃で叩き落とす。火花。のしかかる鉄の重さを、肩でいなす。「後ろ、任せた!」
「うん!」ミリアが子どもを抱えた母親の背を押し、赤い布の路地へ誘導する。
兵士の列が再び押し返してくる。目は血走っているが、恐怖で固まったような動きだ。「退くな! 退いたら全員——」
言い切る前に、エリシアの雷が足元で散った。兵士の膝が折れ、列が崩れる。
「撤退路ひとつ目、開いた!」
屋根の上からレジスタンスの若い男が叫ぶ。
別方向からも「二本目、通った!」と声。
ただ一つ、中央の道だけがまだ塞がっている。そこは兵の密度が濃く、馬車の車輪も刺さって動かない。
「あと二人!」
ミリアの手が震え、光が少し弱くなる。
セインは剣先で兵の槍を押し返しながら叫んだ。「エルン!」
「分かってる!」
影糸が地面から伸び、兵士の足を一瞬縫い止めた。わずかな止まり。その隙にミリアが最後の縄を切る。
「全員、離脱!」
バークレイの合図に、子どもたちが赤い布の路地へ雪崩れ込む。
ミリアが最後尾で守り、エルンが扉を蹴り閉め、錠前に影の針をねじ込んで固定する。「追えないはずだ。数分は持つ」
隊長格の兵が歯を食いしばり、血の味のする声をしぼり出した。「追撃隊、編成——」
その時、遠鳴りの角笛がかぶさった。低く長い、胃の底に響く音。
空が唸った。
角の先の通りに、黒い鎧が列を成して現れる。盾の高さも、槍の長さも、さっきの部隊とは段違いだ。
「城塞守備隊……!」バークレイが呻く。「本隊が来た」
「ここで継戦は無理だ」
セインは即座に判断し、仲間に振り返る。「赤布の路地から南へ。二番目の抜け道で合流!」
ミリアが頷き、子どもたちの背を追う。エリシアは最後尾に回り、雷の火花で追撃の刃をはじき返す。エルンは影糸で倒れた兵をまとめて縛り、足止めに使う。
角を曲がる。狭い路地は、洗濯物と氷柱がぶら下がる生活の匂いの濃い道だ。
壁の向こうからは、人々のすすり泣きと「どうか無事で」という祈りの声。
前方で突然、爆発。石の欠片が飛び、煙が広がる。「誤爆じゃない、味方の合図だ!」エルンが叫ぶ。「道は通る!」
赤布の路地の出口で、レジスタンスの二人が手を振る。「こっちだ!」
子どもたちが次々と抜け、空き家の中へと吸い込まれていく。中は短い通路になっていて、反対側は別の通りに繋がっている、逃がし用の家だ。
「ミリア、最後の子!」
「うん!」
小さな手を握りしめ、ミリアが空き家へ滑り込む。
そこへ、黒い鎧の追撃が角を曲がって入ってきた。盾の壁が、路地を埋める。
「来る!」
エリシアが剣を構え、雷を細くまとわせる。セインが横に並び、呼吸を合わせた。
「三拍、持たせる」
「任せた」
最初の一撃。盾の縁が迫る。セインは足を一歩だけ後ろに引き、刃を立てて縁を滑らせる。勢いを殺し、膝へ打ち返す。
エリシアの雷が盾の裏に回り、握る手を痺れさせた。黒い壁が一瞬、揺れる。
「二拍目!」
エルンの影糸が上から垂れ、先頭の男の足首を引く。わずかな転び。そこへセインの柄打ちが顎に入り、男が沈む。
「三拍目、終わり!」
ミリアが空き家の扉から手を振る。「入って!」
セインたちは同時に飛び込み、内側から棒で扉を引っかける。
次の瞬間、外側で扉が強く叩かれた。板が震え、埃が舞う。
「裏から出る!」
空き家の細い廊下を抜け、反対側の通りへ。そこにも赤い布が結ばれている。
バークレイがすでに子どもたちを並ばせ、点呼していた。「全員、揃ってるか——よし!」
「このまま第二拠点へ下がる!」
走る。凍てた石畳が滑る。誰かが転び、すぐに誰かが手を取る。
背後で角笛がまた鳴り、重い足音が追ってくる。だが、通りの角ごとに煙が立ち、足止めの音が響く。レジスタンスの小隊が、それぞれの持ち場で時間を稼いでいる。
広場の外れまで来たところで、ようやく足を止めた。
冷たい風が頬をなでる。胸が痛いほど上下し、喉は砂を飲んだみたいに乾いていた。
セインは振り向き、追撃の影が見えないことを確かめる。ひと息、落とした。
ミリアは子どもたちを一人ずつ抱きしめ、光を薄くかけ直す。「もう大丈夫。すぐに安全な場所へ行くから」
エリシアは剣を鞘に収め、肩で息をしながら笑った。「やったね」
エルンは額の汗を拭い、苦笑いを浮かべる。「胃が縮む作戦だったな」
バークレイが、ゆっくりと周りを見渡した。
子どもたちの数。仲間の顔。残った爆薬の袋。
そして、少しだけ息を吐いて言った。
「……勝ったわけじゃない。けど、今日は確かに守れた」
誰も返事はしなかった。代わりに、胸の奥で同じ思いが鳴った。
(まだ、やれる)
その時だった。
城塞の方角から、甲高い笛の音が幾重にも重なって聞こえてきた。先ほどの低い角笛とは違う、広がる警報。
空気が冷たくなり、地面がわずかに震える。
「まずい……」
バークレイが顔をしかめる。「街全域の封鎖だ。包囲される前に、移動する!」
セインは頷き、先頭に立った。「走れるな? 行くぞ!」
地を踏む音、乾いた息、子どもの泣き声。
細い通りをつなぎ、影のように街を渡る。
角を一つ曲がるたび、誰かが次の角で待っている。
その「待っている誰か」の数が、少しずつ減っていることを、皆わかっていながら——誰も口にしなかった。
◇
第二拠点は、壁の裏に隠れた古い工房だった。中はひんやり冷えているが、外よりずっと安全だ。
火がともり、温かいスープが鍋で煮える。子どもたちの指先に色が戻っていく。
ミリアは祈りを落とし、椅子に腰を下ろした。手がまだ震えている。
エリシアが隣に座り、肩を小突く。「よくやったよ。あんたがいなかったら、半分も出せなかった」
ミリアは苦笑いした。「全員、出したかった」
「次で全部取り返す。そういう顔してる」
セインは入口で見張りながら、外の空を見上げた。夜は薄れ、早い朝の色に変わっている。
エルンが背後から来て、壁にもたれた。「さて……次は、どう打つ?」
「城塞の心臓を止める」
セインは短く答えた。「徴収を動かしてる中枢がある。そこを壊さない限り、同じことが繰り返される」
「賛成だが、敵は今日みたいな部隊じゃ済まない」
エルンが顎を上げる。「重装と魔術師が来る」
「来る前に動く」
セインは剣の柄に触れた。「ここで終わらせない」
背中で、バークレイの声がした。「行くなら、俺たちも行く。全部をお前らに背負わせる気はない」
振り返ると、彼の目には疲れがあり、それでも火は消えていなかった。
「……ありがとう」
セインは素直に頭を下げた。誰かの覚悟に、言葉は少なくていい。
工房の外で、また笛の音が遠くに伸びた。
街はまだ、彼らを囲もうとしている。
けれど、あの赤い布と同じように、細いが確かな道は、まだ前へと続いている。
「食べたらすぐ準備だ」
セインが言うと、三人がうなずいた。
守った命を抱えて進む。
もう、迷っている時間はない。
——つづく




