9話-過去の残骸-
カルバン先生の指先が古地図の一点をなぞった瞬間、教室の床が低く唸った。
机がかすかに震え、窓ガラスがびしりと鳴る。
「……地震?」
「浮遊島でそんな……」
外から、巨石が地に叩きつけられたみたいな重音。
ミリアが目を細めた。
「違う。足音――“三拍”で近づいてる」
胸の石が、鼓動と同じ三拍で脈を刻む。ダン、ダン、ダン。
廊下で教師が声を張る。「全員、落ち着いて! 演習場へ避難!」
トーマが肩を掴む。「セイン、行く気か?!」
「……行かなきゃ」
避難の流れと逆行して、俺とトーマ、そしてミリアは回廊を駆けた。
石畳の振動が足裏から這い上がり、内臓を震わせる――巨大な心臓が、地の下で打っている。
⸻
◆演習場
飛び出した瞬間、肺の空気が抜けた。
そこに漆黒の巨影。
かつて王都兵団が討伐したはずの禁忌の魔獣――《鉄喰竜オルドバル》。
金属鱗が擦れ、軋みが空気を裂く。尾が砂を削るたび、石柱が砕けて飛ぶ。
鼻を刺す鉄粉と油の匂い。鱗の隙間では、古い術刻が鈍く光っていた。
「……なんで、ここに……」トーマが声を失う。
咆哮。鼓膜が軋み、世界の密度が一段重くなる。
教師たちが結界を張る――が、竜の一振りで粉雪みたいに砕け散った。
思考より先に、足が前へ出る。柄を抜き、呼吸を整え――
影が竜脚の根元へ、低く滑り込んだ。
「下がれ」
短く低い声。
風塵の向こう、学院長ヴァルター・グロウルが立っていた。白髭が風に鳴り、巨体が竜の威圧を呑み込む。
「闘神……!」誰かが息を呑む。
オルドバルが鋼の牙を剥く。
ヴァルターは動かない。拳を握り――
一撃。
空が裂け、竜首が仰け反る。金属鱗が弾け、衝撃波が砂を爆ぜさせた。
二撃。
尾の薙ぎ払いを半歩沈んで外し、肋を穿つ。鈍い破砕音が重く響く。
三撃。
顎の付け根へ、芯だけを刺すみたいに短く深い打ち下ろし。
「力で勝つな。“芯”を斬れ」
昼間、俺に刻んだ言葉を、今度は竜へ刻み込む。
拳が落ちるたび、世界が一拍、静まる。――三拍。間合いが詩みたいに整っていく。
⸻
◆過去の残骸
俺はただ見ていたわけじゃない。
胸の石が鳴る方向、竜の音を聴く――生き物の拍じゃない。
鱗の奥で、壊れたオルゴールみたいに**譜**が逆回転している。
「ミリア、聞こえるか」
「ええ。あれは“生”じゃない。過去の残骸を、誰かが**譜鎖**で動かしてる」
地面に走る黒い線――儀式痕の制御環が、竜の踵から演習場の隅へ伸びている。
あの線を断てば、音は止まる。
「トーマ、三十秒、視界を取ってくれ!」
「了解! 遮断杭、投下!」
トーマが杭を投げ込み、粉塵の壁がふわりと膨らむ。ミリアの指が俺の手首に触れ、微かな紋を描く。
「リンク完了。半拍だけ、あなたに私の音を貸す」
俺は低く走る。砂の上、制御環の中心線へ――
刃に火紋の譜を通し、呼吸を三拍で合わせる。
《調律破断》
白光と赤の閃きが、黒い線を真っ二つに裂いた。
同時に胸の石が吸い上げる。
《吸収》――《鉄殻の譜:Lv1/磁引》取得
刃の縁で、微かな磁の唸り。
オルドバルの動きが一瞬、空回りした。音源を失って、巨体の拍がずれる。
「学院長、今!」
ヴァルターの足が一つ、静かに砂を踏む。
わずかな体重移動――間が満ちる。
四撃目。
拳が、竜の胸郭の**核**へ真っ直ぐ落ちた。
金属の花が裏返るみたいな音。巨体が、膝から崩れる。
砂煙の向こうで、鱗の隙間から何かが転がり出た。黒い楔――荊冠の刻印。
俺の刃先が触れる前に、胸の石がちりと火花を散らし、楔は粉のように崩れた。
静寂。
遅れて歓声と泣き声。教師たちが結界を組み直し、避難の列を整える。
ヴァルターは拳を下ろし、砂を払った。
「学園に巣食う者へ伝わったはずだ。影が何を呼び戻そうと、この地には届かん」
落ちる夕陽が、その背中から巨大な影を伸ばす。
胸の石が熱を孕んで震えた。――この人がいる限り、学園は揺るがない。
だけど同時に思う。
**いつか俺は、この背中に“並ぶ”。**ただ守られるだけじゃない。音を、俺が取る。
⸻
◆残る音
崩れた竜の中に、まだ拍が一つだけ残っている。
耳ではなく、骨で聴く微かな“合図”。
ミリアが囁く。「……誰かが“見てる”。この竜は、扉だった。遠くの譜面に繋がってる」
トーマが楔の粉を指でつまむ。「符材が新しい……“今日”ここで差し込まれた」
視界の端、回廊の上。
白い袖口が、夕闇の縁で一拍だけ揺れ――すぐに人混みに溶けた。
「カルバン先生?」
呼びかけは風にちぎれ、届かない。
胸の石が、三拍を打つ。
ダン、ダン、ダン。
――門は七。鍵は心。
地図の端に、白いチョークの小さな印が浮かんだ気がした。
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