第82話「断ち切る刃」
黒糸で編まれた巨偶が咆哮をあげ、広間が震えた。
十メートルを超えるその身体は、ただの人形ではない。アスタロトの力が直に注ぎ込まれ、糸一本一本が生き物のように蠢いている。
拳が振り下ろされるたびに床石が砕け、冷たい風が全身を削った。
「こいつ……本当に悪魔の力そのものだな」
エルンが歯を食いしばり、影糸を槍のように束ねて構える。
「でも、止めなきゃ……!」
エリシアが雷を纏い、剣を握り締めた。髪が静電気で逆立ち、額の汗が蒸発するほどの魔力を注ぎ込んでいる。
「祈りを絶やさないで……!」
ミリアの声が広間に響く。光と風の膜が仲間を包み、巨偶の圧力を一歩でも軽くしていた。
セインは剣を構え、呼吸を整えた。胸のペンダントが赤黒い光を脈打ち、ヴァルターの残穢、イフリートの残穢、グランディオスの残穢が軋みを上げている。
(……借りれば勝てる。でも俺の器じゃ、焼き尽くされる……)
「迷うな、セイン!」
エルンの叫びが飛ぶ。
「お前の剣でしか開けない道があるんだろ!」
その言葉に、セインの迷いがわずかに削ぎ落とされた。
「行くぞ!」
セインは駆け出した。巨偶の拳が振り下ろされる。床が割れ、破片が飛び散る。その隙を潜り抜け、剣を振り上げた。
刃が巨偶の足を裂く。
雷が走り、影糸が絡み、祈りが糸を浄化する。
三人の力が重なり、巨偶がよろめいた。
「今だ、胸の核を!」
ミリアが叫ぶ。
セインが跳び、胸部を目指す。だが、黒糸が渦を巻いて防壁を作った。
「通させるか!」
アスタロトの声が響き、巨偶の拳がセインを打ち落とそうと迫る。
「させるかよ!」
エルンが影糸で拳を絡め取り、動きを止めた。
「早く行け!」
「エルン!」
セインは歯を食いしばり、刃を突き立てる。防壁に火花が散り、押し返される。
その瞬間、雷が走った。
エリシアが横から突進し、剣を核の防壁に叩きつける。
「セイン、一緒に!」
「——ああ!」
二人の刃が重なり、黒糸の壁を突き破った。
核が露わになり、赤黒い光が脈打つ。
「今だ、祈りを!」
セインが叫ぶ。
ミリアが両手を組み、声を張り上げた。
「光よ、闇を裁け!」
祈りの光が核に降り注ぎ、黒糸が煙を上げて焼け焦げる。
「ぐっ……!」
アスタロトが呻いた。艶やかな顔が苦痛に歪む。
「私の玩具を……ここまで……!」
その瞬間、広間全体の糸が暴走した。壁から、床から、天井から、無数の糸が洪水のように押し寄せてくる。
「まだ終わってない!」
セインは叫び、剣を構える。
ペンダントが赤黒く輝き、ヴァルターの力が流れ込んできた。筋肉が膨張し、視界が鋭くなる。
「借りるぞ、ヴァルター……!」
セインの動きが一変した。
剣速が跳ね上がり、巨偶の腕を一刀で叩き斬る。
エルンの目が驚愕で見開かれる。
「……速ぇ……!」
「はぁあああっ!」
セインが巨偶の胸を突き破り、核を抉り出した。
エリシアが雷を重ね、ミリアの祈りが浄化の光を注ぎ込む。
エルンが最後に影糸で縫い止め、全員の力を束ねた。
「これで——終わりだぁぁぁっ!」
セインの剣が核を真っ二つに斬り裂いた。
轟音とともに、巨偶が崩れ落ちる。
「ぐあああああっ……!」
アスタロトの悲鳴が広間に響いた。黒糸が次々と弾け、彼女の身体から煙のように解けていく。
「……馬鹿な……私が……!」
艶やかな瞳が憎悪に染まり、最後の一滴の糸が霧散する。
巨偶も、糸も、すべて消え去った。
広間に、静寂が訪れた。
「……勝ったのか……?」
エルンが息を荒げながら膝をつく。
セインも肩で大きく息をし、剣を床に突き立てた。
「……ああ。やったんだ」
ミリアが両手を胸に当て、震える声で祈りを口にした。
「神よ……私たちは、生き延びました……」
エリシアが剣を下ろし、涙をこぼす。
「……終わった……」
だが、セインの胸のペンダントが赤黒く輝き、残穢を吸い込んでいった。
アスタロトの消滅と同時に散った魔力が、ペンダントに取り込まれているのだ。
「また……増えた……」
セインは苦い表情で呟いた。
「大丈夫なの……? セイン」
ミリアが不安げに問いかける。
「分からない。でも、俺の中に……全部、残ってる」
ヴァルター、イフリート、グランディオス、そして今はアスタロト。
それらが混じり合い、不協和音を奏でる。
「……いずれ、限界が来るかもしれない」
セインの言葉に、誰も返すことはできなかった。
ただ、四人は互いの姿を確かめ合い、静かに立ち上がる。
崩れた広間の奥に、新たな扉が姿を現していた。
「次に進めってことか……」
エルンが苦笑し、肩を竦める。
「まだ終わらないのね」
エリシアが剣を握り直した。
セインは深く息を吸い、仲間を見渡した。
「……行こう。俺たちで、全部終わらせる」
扉の向こうに広がる闇へ、四人は歩を進めた。
――つづく
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