第81話「誘惑の糸使い」
十メートルを超える糸の巨偶が、ぎしぎしと軋みを上げながら立ち上がった。
無数の黒糸が編み込まれており、まるで人の形を模してはいるが、その表面は絶えず蠢き、解け、また結ばれている。中心に灯る二つの赤い光が、獰猛な獣のようにセインたちを睨んでいた。
「なんて……大きさだ」
エリシアが剣を握り直しながら、思わず声を漏らす。
「普通の糸人形とは訳が違うな……」
エルンが歯噛みし、影糸を構えた。
その奥に、玉座に腰を下ろしたように悠然と立つのは悪魔アスタロト本人だった。
艶やかな黒髪を背に流し、深紅の瞳が妖しく光を放つ。漆黒のドレスは肢体をあらわにし、まるで戦場に舞い降りた舞姫のようにすら見える。
「人を守りながら戦う……」
アスタロトの唇が艶めかしく笑みに歪む。
「その愚かしさ、私は嫌いじゃないわ。だからこそ、もっと壊してみたくなる」
彼女が指を鳴らすと、巨偶の全身を巡る糸が一斉に震え、地鳴りのような音が広間を揺らした。
「来るぞ!」
セインが叫び、剣を構える。
巨偶の腕が振り下ろされ、床を抉る。石床が粉砕され、破片が四方に飛び散った。
セインは仲間を庇うように前へ跳び出し、剣を振るって破片を切り払った。
「エリシア、雷を! ミリアは結界で守れ!」
「了解!」
「任せて!」
雷を纏った剣が巨偶の足元を裂き、閃光が走る。だが切り裂いたはずの傷口から、黒糸が溢れ出し、すぐさま編み直されていく。
「再生する……!?」
エリシアが悔しげに叫ぶ。
「俺が縫い止める!」
エルンが影糸を伸ばし、巨偶の右腕に絡みつけた。腕の動きがわずかに止まる。
「今だ、セイン!」
「うおおおっ!」
セインが駆け、巨偶の腹部へ剣を突き立てる。
刃は確かに突き刺さったが、黒糸がうねり出し、彼の剣を締め付けてくる。
「っ、抜けねぇ……!」
「セイン、下がって!」
ミリアの祈りの光が走り、糸を浄化する。
その隙にセインは剣を引き抜き、転がるように後退した。
アスタロトの笑い声が響く。
「いいわ、もっと見せて。あなたたちの意志がどこまで抗えるのか」
彼女の背後で、幻影が次々に糸から浮かび上がった。
亡き仲間トーマの姿、笑いかける幼き日の家族、恋人を思わせる幻。
「エリシア……」
トーマの姿が彼女の前に現れ、優しく手を差し伸べる。
「君を置いて逝ったことを、まだ悔いている」
「……やめろ」
エリシアの剣先が揺れる。唇が震え、胸に押し寄せる痛みが彼女の動きを止める。
セインが叫んだ。
「エリシア! 幻だ、惑わされるな!」
「でも……!」
エリシアの瞳に涙が滲む。
次の瞬間、雷が彼女の剣を包んだ。
「——私は、騙されない!」
渾身の力で振り払った刃が幻影を切り裂き、雷光が広間を走る。
「いいわ、その憎しみ。その欲望。甘美で……美しい」
アスタロトは恍惚とした表情で呟いた。
「こいつ、完全に遊んでやがる……!」
エルンが唸り、影糸を地面に叩きつける。無数の杭が生まれ、巨偶の足を貫いて床に縫い付けた。
「ミリア、今だ!」
「光よ——!」
祈りの声が広間に響き、結界の光が巨偶の胸を貫いた。黒糸が焼け、煙を上げる。
「セイン!」
「任せろ!」
セインが跳び、剣を振り下ろす。刃が胸の焼け焦げを裂き、巨偶がよろめいた。
「……なるほど」
アスタロトがわずかに目を細める。
「私の玩具をここまで傷つけるなんて」
次の瞬間、彼女自身の背から糸が奔流のように溢れ出した。
それは巨偶に注ぎ込まれ、全身が再び編み直されていく。
さらに、広間の壁から天井から、無数の糸が伸び、人形を形作り始めた。
「増えた……!? こんな数……!」
エリシアの顔が青ざめる。
「まだだ……まだ戦える!」
セインが叫ぶ。胸のペンダントが低く唸り、赤黒い光を帯びる。
ヴァルター、イフリート、グランディオスの残穢がせめぎ合い、セインの身体を焦がす。
(借りれば勝てる……でも、持つのか俺が……!)
「セイン!」
ミリアの声が彼の耳を打つ。
「あなた一人で抱え込まないで! 私たちがいる!」
セインの視界に、仲間の姿が映る。
雷を纏い立ち上がるエリシア。血を滲ませながらも影糸を張り巡らすエルン。祈りを続けるミリア。
(……そうだ。俺は、一人じゃない)
セインは深く息を吸い、剣を構え直した。
「全員、行くぞ! ここで止める!」
三人が声を合わせて応える。
広間に再び轟音が響き渡る。
巨偶の拳が振り下ろされ、雷光と影と祈りと剣が迎え撃つ。
悪魔アスタロトとの決戦が、ついに始まった——。
――つづく
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