76話「氷下の転移柱」
昼下がりの氷峡の市は、眩しい光に包まれていた。氷壁が太陽を反射し、街路を歩く人々の影を淡く揺らす。その賑わいの中を、セインたちは音もなく進んでいた。
「兵の巡回、ここで入れ替わる」
先頭のエルンが低く告げ、影糸を路面に垂らす。糸が氷に絡みつき、巡回兵の足跡と同じ紋様を作り出す。氷上に残った偽の足跡は、彼らが別方向へ歩いたように見せかけた。
その隙を縫って、セインとエリシアが先行する。ミリアは最後尾で祈りを胸に折り畳み、淡い光の膜を展開した。通行人の視線が彼らを避けるように流れ、誰も気に留めない。
「よし、入るぞ」
エルンが氷壁の影に隠れた階段を指差す。古びた石造りの段が、暗い地下へと続いていた。
氷に囲まれた回廊は、冷気と静寂に満ちていた。壁には古代語の刻印が連なり、青白い光を反射して淡く光る。その一部には、封蝋と似た紋様が浮かび、時折脈打つように明滅している。
セインの胸の奥で、ペンダントが共鳴した。
ヴァルターの残穢、イフリートの残穢、そしてグランディオスの残穢。三つの響きが不協和音を奏でるように脈打ち、足を前へ進めるたびに重みを増していく。
「……嫌な気配がする」
エリシアが剣の柄に手を置いた。彼女の視線は壁の中へ釘付けになっている。
氷の層に閉じ込められているのは——人影だった。
子供の姿もあれば、兵士のような影もある。氷の中で目を閉じ、動かない。しかし近づくと、かすかに吐息のような白が漏れている気がした。
「まさか……生きてるの?」
ミリアの声が震える。
「生きたまま、氷に封じられてる……そんな魔術、普通じゃねぇ」
エルンの唇が歪む。「失踪者の正体はこれか」
さらに降りていくと、地下は広間へと開けた。
そこにそびえ立つのは一本の氷柱。高さは十数メートル、内部には光の筋が脈動し、心臓の拍動のように明滅を繰り返している。
セインは息を呑んだ。ペンダントが胸で暴れ、赤と黒の光を迸らせる。残穢たちが一斉に共鳴している。
「これが……転移柱」
氷柱の根元には、黒い蝋の跡がいくつも広がっていた。円を描き、線を繋ぎ、まるで複雑な魔方陣のように重なっている。
ミリアが片膝をつき、指先で触れる。祈りを重ね、刻印を読み解いた。
「……欲望を束ね、器に注ぐ……強欲の魔術に酷似してる。これは……」
「また幹部の仕業か」
エルンが吐き捨てる。
セインは奥歯を噛んだ。まだ敵が動いている。失踪者は供物として囚われているのかもしれない。
そのときだった。
氷柱の表面にひびが走った。
パキ、パキ、と鋭い音が広間に響き、白い霧が立ち上る。氷に閉じ込められていた人影が、かすかに指を動かした。
「……動いた?」
エリシアの声が鋭く跳ねる。
次の瞬間、氷の中の瞼がぱちりと開いた。青白い光を宿した瞳がこちらを見つめ、口が無理やり動かされるように開く。
「……タ、ス……け……」
その声と同時に、氷が砕け散った。
倒れ出てきた人影は地に伏すことなく、糸で操られる傀儡のように立ち上がった。皮膚は氷と同化し、指先から霜が滴る。
数体、十数体。広間に並ぶ氷の傀儡が、ぎしりと音を立てて首を持ち上げる。
セインは剣を抜き放った。
「来るぞ!」
仲間たちも武器を構えた。冷気がさらに強まり、広間の空気は凍りつく。
戦いの幕が、再び開こうとしていた。
つづく




