73話「英雄の残響」
黒金の槍が振り下ろされる。
それはただの武器ではなかった。都市全体の欲動を凝縮し、増幅し、形にしたもの。突き立てられれば、玻璃湿原も、救護塔も、街も、すべて地図から消し飛ぶ。
轟音。
圧に耐えられず、天井の石片が降り注ぐ。外では鐘楼が崩れ、人々の叫びが夜に裂けて響いた。
「止めろ……ッ!」
セインが叫ぶ。
エリシアが雷を剣に纏わせて前に躍り出た。
落ちてくる黒金の刃に、雷閃が走る。だが、雷は一瞬で吸収され、逆流して彼女の腕を焦がした。焼ける匂いが立ち上り、彼女は歯を食いしばる。
「まだ、いける……!」
それでも彼女は両腕で剣を振り上げ、衝撃を受け止めようとする。
次に立ちはだかったのはエルンだった。
影糸を十字に展開し、床から天井へ、壁から壁へと工房を縫い上げる。無数の線が盾となり、黒金の槍を受け止める。しかし次の瞬間、糸は一斉に弾け飛び、彼の両腕に鋭い切り傷を刻んだ。血が滴り、頬を伝う。
「チッ……こんなもんじゃ、まだ足りねぇ……!」
彼はなおも新たな糸を撃ち出す。裂けた手のひらから血が滴り落ちても、止まらなかった。
その背後で、ミリアが声を振り絞って祈っていた。
「風よ……水よ……光よ……!」
膜が重なり、三重、四重と光の層が仲間の上に展開される。だが声はかすれ、喉から血が滲む。祈りの音が震え、光は薄くなりかけていた。
「ダメ……まだ……折れないで……!」
膝をつき、涙を滲ませながらも、彼女は手を伸ばし続けた。
黒金の槍はなおも降りる。
四人の抵抗など無意味だと言わんばかりに。
そのとき——セインの胸の奥で、何かが鳴った。
赤いペンダント。
低く、鈍く、しかし確かに「二度」鳴動した。
鼓動が重なったのだ。彼自身の脈と、もうひとつの脈とが。
「これは……!」
視界が白く閃く。
次の瞬間、セインの身体に熱が奔った。筋肉が膨張し、呼吸が深くなり、世界の速度が一拍遅く見える。
剣を握る腕が軽い。足裏の感覚が鋭敏だ。
彼は理解した。
ヴァルターの残穢が、自分に流れ込んだのだ。
「ヴァルター……!」
呼ぶ声に応えるように、背後に影が立った。
闘神。学院長。己を庇って散った師。
一瞬だけ、その姿が重なり、セインの身体は“闘神の拍”を宿した。
「いくぞ……ッ!」
セインは跳躍した。
裏拍を滑り、さらにもう一拍を重ねる。「二拍重ね」。
ヴァルターが教えてくれた剣筋を、自分の技で上書きする。
刃が黒金の槍に届いた。
耳を裂く轟音。
衝撃が弾け、圧が逸れる。
逸らされた槍の軌跡は工房の側壁を粉砕し、夜空へと抜けた。
「止まった……!」
ミリアの声が震えた。
しかし融合体は笑った。
「面白い……! その拍、奪うに値する!」
巨体が揺らぎ、両の腕が槍を掴み直す。
だが、もうセインは怯まなかった。
「お前に……ヴァルターは奪わせない!」
踏み込み。
エルンの影糸が一瞬、融合体の脚を縫い留める。
エリシアの雷閃が、動きを鈍らせる。
ミリアの祈りが、セインの足に一歩ぶんの力を与える。
すべてを束ね、セインは跳んだ。
月光を背に、剣が弧を描く。
「同拍刺し」が「二拍重ね」となり、さらに「裏拍滑り」を織り交ぜる。
すべての技が結晶した一撃が、融合体の胴を貫いた。
咆哮。
強欲の声と、色欲の声が同時に響き、ひとつの肉塊が崩れ落ちる。
鎧が砕け、肢体がほどけ、欲の奔流が空気へ霧散した。
「馬鹿な……欲は……無限に……」
最後の呻きとともに、融合体は崩壊した。
床の魔法陣も光を失い、崩れ去る。外へ広がりかけた黒金の霧も霧散し、街の喧噪がようやく収まっていった。
セインは剣を振り抜いた姿勢のまま、膝をついた。
胸の奥でヴァルターの力が抜け落ちていく。
視界が揺れ、身体が重くなった。
「セイン!」
ミリアが駆け寄り、祈りで心拍を繋ぐ。
彼女の手の温かさが、確かに命を引き戻した。
エリシアは腕を焦がしたまま剣を握りしめ、荒い息をついている。
エルンは血に濡れた手で壁を支え、なお仲間の姿を見守っていた。
瓦礫の中、四人だけが残った。
「勝った……のか……?」
誰かが呟いた。
しかし、その時。
崩れ落ちた瓦礫の奥で、まだ微かに黒金の残滓が蠢いた。
戦いは終わった。
だが、すべてが終わったわけではない。
月光の下、四人はただ立ち尽くした。
つづく




