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7話-師-


夕陽が演習場の砂を長く染める。乾いた熱の匂い、鉄の味。

放課後の喧噪は校舎に引き、ここに残るのは風と足音だけ。


「来たな、セイン」


低い声。振り向けば、白い髭をたくわえた巨体――学院長ヴァルター・グロウル。

岩のような筋肉の上着、冴えた眼光。強者の静かな光が、俺を見るときだけ、父親みたいな温度に和らぐ。


「学院長……じゃなくて、ヴァルターさん。呼び出しなんて珍しいな」


「お前が“鍛えてくれ”と言った日を忘れた覚えはない。さっさと靴紐を結べ。転ぶのは剣のせいじゃない」


「……はい」


結び直す俺を見て、ヴァルターがにやりと口角を上げる。


「今日は魔法抜きだ。拳と足、そして頭。世界は筋肉で出来てる」


「それは言い過ぎだと思う」


「否定は許可するが、証明はさせない。構えろ」


俺は木剣を取って半身。ヴァルターは素手で砂を一歩――音は小さいのに、影は速い。


「初手は譲る。来い」


「言ったな!」


前足で地を噛み、肩を落としてから刃を送る。斬撃が空気を裂き――止められた。

掌底が木剣の“芯”を軽く叩いただけで、刃筋が外へ滑る。足が指幅だけ動くのが見えた。崩しだ。体重が浮いた瞬間、背に重みが乗る。


「重心が甘い。地面は敵にも味方にもなる」


言葉と同時に背へ圧。砂へ叩きつけられる――寸前、肩から転がって衝撃を抜き、立つ。


「さっきよりはいい。だが“間”を見ろ。見た目の距離じゃない。呼吸と鼓動だ」


「鼓動?」


「相手の胸の上下、お前の踵の熱、風の速さ。全部が“間”になる。――聞け、感じろ、数えろ」


ヴァルターが一歩、二歩。砂に残る足跡が妙に整って見えた。ビートだ。

俺は呼吸を合わせ、胸の石――ペンダントの脈動を意識の底へ沈める。

石は、俺と同じテンポで打っていた。そう思った瞬間、足が自然に動く。


「――!」


木剣が吸い込まれる。肘が上がる前、刃がその隙間を捕え――かけて、止まる。金属の擦れる音。

彼の指が鍔元を挟んでいた。握ってはいない。ただ、挟んで止める。子どもの悪戯を制すみたいに。


「今の“間”は良い。だが、欲が顔に出たな」


「……出てた?」


「獲物を見る猫の目だ。視線が刃より先に走る」


ふう、と息を吐く俺に、ヴァルターは木剣を返して肩を叩いた。大きな手の温度が背へ沁みる。


「セイン。素質はある。剣筋は軽いが芯がある。だからこそ言う。頼るな。だが、携えて立て」


「それ、レオニス教官にも言われた」


「だろうな。あいつは良い目だ。……で、“例の石”はどうだ」


視線が胸のクリスタルへ落ちる。鎖を指でつまむ。


「たまに脈が強くなる。今日も……少し」


「見せろ」


許しを待ってから、分厚い指が石に触れる。動きは驚くほど繊細だ。石が、微かに明滅する。


「鼓動に同調してる。悪くない。だが石は道具だ。お前の中の何かを増幅はしても、作りはしない」


「うん」


「それから――」


言い淀む。白い髭の間から漏れる息がわずかに重い。


「お前の周りに“影”が寄る。力は光だ。光があれば影も濃い。授業中も食堂でも廊下でも。信じていい相手を、間違えるな」


「……わかってるつもり。でも俺は人が好きだ。信じたい」


「いい。信じろ。ただ、疑い方も覚えろ。信じるには、守る力が要る」


顎で示される、端に積まれた木製ゴーレム。


「“守る力”の講義だ。魔法は使うな」


「素手で?」


「素手で」


砂を二度踏む。重いのに音は軽い。木の関節が軋み、拳が振り下ろされる。

ヴァルターは逃げない。肩をわずかに回し、拳線から半寸ずらし――手刀が継ぎ目を撫でる。撫でた、ように見えた。次の瞬間、腕が自重で崩れた。


「芯を斬る(コアカット)。力に力で勝つな。流れの中で一番細い部分を見つけ、そこを切る」


「……すげえ」


「感心は後だ。やれ」


「無理だって!」


「やって無理だったら、その時初めて“無理だ”と言え」


笑って息を吸う。もう一体が起き上がる。芯を探す。継ぎ目、力の流れ、砂の散り――。


「――はっ!」


踏み込み、木剣を振り下ろす。角度をわずかに変え、継ぎ目の後ろ側へ潜らせる。

カン、と鈍い手応え。肩が落ちる。完全ではないが、動きは鈍った。


「いい目だ」


胸の奥が温かい。こんなふうに“正解の見つけ方”を教えられるのは久しぶりだ。


「ヴァルターさん」


「なんだ」


「……ありがとう。俺、あなたが――」


言いかけると、彼は照れくさそうに鼻を鳴らした。


「礼は十年後にまとめて聞く。今は汗で返せ」


「はい」


攻防が重なり、夕陽が紫に変わる。遠くで鐘。見学席に、柔らかな声。


「セインくん、いい動きだね」


歴史学のカルバン先生が手を振る。丸眼鏡と微笑。親身な先生。


「先生、見てたんですか」


「たまたまね。学院長の稽古は貴重だ」

柵にもたれ、目を細める。

「剣は“物語”だ。積み上がった技と工夫の歴史。セインくんの一太刀にも、何かの譜面が流れてる」


ヴァルターが短く頷く。


「カルバン、世話になる」


「こちらこそ。古い地図の複製が手に入ってね。セインくん、研究室においで」


「行きます!」


「うん、約束だ」


白い袖口が夕闇に揺れ、回廊へ消える。――好きだ、この人の授業。


「……いい先生だろ」


俺が言うと、ヴァルターは曖昧に唸った。


「人を見る目は、研ぎ続けろ。俺の目も万能じゃない」


「心配性だな」


「お前が無自覚に人を惹きつけるからだ。猫にとっては好奇心でも、獣にとっては匂いだ」


冗談めかしているのに、胸のどこかがひやりとする。

図書塔で拾った黒い金属片――荊と星の刻印――が指先に蘇る。俺の周りは、もう静かな海じゃない。


「最後にひとつ」


ヴァルターが残りのゴーレムを顎で示す。


「この巨体を“守りながら”倒せ。背に子どもがいると思え。守る相手を意識すると攻めは鈍る。――本当に強い奴は、そこで鈍らせない」


「……了解」


足を引き、想像の“誰か”を背へ置く。ミリアの声が、遠いところで響く。

世界は交響。壊れた旋律を直す人。俺は――。


木剣が鳴る。砂が跳ねる。核が光る。踏み込む。斬る。逸らす。支える。背を空けない。

呼吸を合わせ、鼓動を数え、石の脈に耳を澄ます。世界が一拍ごとに開閉する。


「――っ!」


継ぎ目を切り、脚を絡め、体を捻って巨体の線をずらす。倒れる軌道を、俺の背後から外へ導く。

砂がざっと滑り、木の塊が地へ沈む。俺は一歩も退かない。


「よし」


短い褒め言葉が風に混じる。額の汗を拭い、空を仰ぐ。雲の切れ目に星が灯る。


「今日はここまで。飯を食え。寝ろ。明日も生きろ」


「うん」


「それとな、セイン」


ヴァルターはふいに声を落とし、肩を抱く。親父が息子にしか見せない距離と力加減。


「三つ、覚えておけ。

一つ――退く勇気は、前に出る勇気と同じ価値。

二つ――助けを呼ぶのは弱さじゃない、指揮だ。

三つ――迷ったら、三拍待て。拍が合えば、道は開く」


「……三拍」


「いつか役に立つ」


掌が離れ、夜風が背を撫でる。訓練場の出口へ歩き出す前に、さっきカルバン先生が立っていた場所を見る。

砂に丸い跡――杖か何かで描いた小さな円。重なる斜線。七芒星の欠片に見えたが、風があっさり崩す。


「寒くなる。風邪ひくな」


ひらりと手を振る巨体。胸の奥が熱くなる。きっとこの人は、俺の知らないところで何度も背を支えてくれた。


「ありがとう、ヴァルターさん」


「十年後にまとめて聞くと言ったろ」


笑い合い、寮へ歩き出す。夜の学園は静かで、窓の灯りが星みたいに瞬く。

胸の石が、わずかに脈を打つ。遠くで、何かが始まっている。

守るために強くなる。順番は、間違えない。


背後――石柱の陰が微かに動いた。

白いチョークを拾い上げた歴史学者は、粉を指で砕き、風に散らす。

その一瞬、粉の上に細い線が走り――彼は靴で払って消した。


「明日は、地図の話をしよう。セインくん」


微笑は闇に溶け、残ったのは風と砂の匂いだけだった。


 「面白かった!」


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