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47話「風断層の関所」—ラダー・サーマル上



 夜明け前、雲に刺さる白い梯が風に揺れた。ペンダントが胸の内で小さく鳴り、上を指す。セインたちは身をかがめ、梯の段へ足を掛ける。


 最初の百段はただの風だった。そこで終わればよかったのに、途中から“風が三つ”ぶつかり合う帯に入る。横殴り、逆巻き、下からの噴き上げ——三層の風が切り結んで、空中に目に見えない断層を作っている。


「ここが風断層か」エリシアが息を整え、髪をひとまとめに結わえ直す。「踏み外したら文字通り終わりね」


「終わらせない」ミリアが短く言った。祈りで指先を濡らし、手の甲に小さな印を描く。


 その時だった。風のうねりが一段強まり、梯がたわむ。視界の端に、白い影が笑ったように見える。トーマは瞬きし——そこに、セインとエリシアが並んで肩を寄せ合う幻が立った。風の濁りに浮かぶ蜃気楼。耳の奥で、自分の声がささやく。


(ほら見ろ。二人で充分だ。お前はただの壁)


 背筋が冷える。トーマは無理やり肩を回し、盾をきしませた。「……前、詰める。喋ってる暇ない」


 セインは一度だけ振り返り、うなずく。「任せた。俺は“拍”を見る」


「命令口調はやめとけよ」トーマの声は細く、風に紛れた。「わかってる」


 梯の脇に石の台座が現れた。円形の関所壇、その中央で、石のグリフォンが翼を半開きにして“待ち構えて”いる。嘴の奥に刻まれた古い文字が、風に震えて低く鳴った。


「通行は拍で整えよ。乱れし者は落ちよ、だってさ」エルンが身を伏せ、手袋越しに台座の継ぎ目を撫でる。「あの像、ただの飾りじゃない。風の位相に反応して、逆噴射する」


 彼は鞄から細い鋼線を抜き、指にかけて張った。風を受けると甲高く鳴る“鳴き線”だ。「これを張っておく。風の位相が変わると音程がズレる。一瞬の低音が“薄い面”。そこに合わせれば通れる」


「頼もしい」セインが笑い、ペンダントに触れた。胸の鼓動と、鳴き線の音がぶつかる——半拍ずれている。


 グリフォンの台座が唸り、風が噴き上がる。乱流の底から、また白い影が伸びた。トーマの足首に絡みつく“風影”だ。胸の奥の棘が疼く。内声が笑う。


(どうせお前の名前は呼ばれない。盾は名前で呼ばない。道具で呼ぶ)


 歯を食いしばる。トーマは盾を斜めに立て、梯のリブに噛ませた。「〈斜面盾〉……いや、角度、もう一段。〈楔投げ盾〉!」


 縁に仕込んだ小楔が風の節に打ち込まれ、断層の位相が一拍ぶん凪ぐ。エルンがすかさず鳴き線をもう一本張り、低音を重ねた。


「今!」エルンの声が鋭い。


 ミリアは息を呑んで祈りを落とす。言葉はいらなかった。風の膜、水の膜、光の膜——三つの薄い壁がふわりと重なり、足元の一段を“浮かせる”。エリシアは剣を持ち替え、風を纏わせて間合いを詰め、雷で関所壇の縁を痺れさせ、火で圧をかけ、最後に氷で固定した。四つの属性が剣の回路を滑り、石のグリフォンの翼関節に刻まれた“風鎖”を断つ。


 セインは鳴き線の低音に胸の拍を合わせる。止めない。重ねる。次の瞬間、足裏の空気が薄くなるのがわかった。風の膜の内側に“一拍だけ安全なポケット”が生まれる。


「——〈拍歩〉」


 一足ぶん、空気のほうがセインを運んだ。グリフォンの眼孔に一瞬だけ“静かな穴”が空き、セインはその芯へ刃を差し込む。金属ではない。風の芯——目に見えないシャフトに、剣が“はまる”感覚。


 グリフォンが鳴いた。逆噴射の風向きが変わり、外縁へ逃げる。梯が大きく軋み、ミリアが小さく声を上げた。祈りの膜が厚みを増し、落ちかけたエルンを押し戻す。エルンは肩で笑った。


「助かった。返しだ、隊長」


 彼は腰のリールから別のワイヤを放ち、セインの背中に小さな“生き綱”を打った。ワイヤのピンが関所壇の溝に咬み、セインの体重が一瞬だけ軽くなる。


 その一瞬で、エリシアの剣が最後の風鎖を切り抜けた。石の翼が完全に固定される。トーマは盾の楔をさらに踏み込み、断層の位相をもう一拍伸ばした。内声がまだ喚いている。もっとだ、全部押しのけろ。誰よりも前へ。


 喉まで出かかった言葉を吞み込み、トーマは短く吐き出した。「早く抜けろ。長居は無用だ」


「了解」セインは応じ、グリフォンの嘴に押し込んだ刃をひねる。内側から重い音が鳴り、関所壇の外周が、ゆっくりと解放の軌跡を描いた。


 風が変わる。噛み合っていた三つの流れが一瞬だけ“和”になり、梯の上に穏やかな道ができる。全員でその一瞬を駆けた。断層が背後で元に戻り、グリフォンの石体に静けさが降りる。


 梯の先、雲の切れ目に石の波止場が浮かんでいた。雲上港ステラ・パーゴラ。風見の修道士たちが鐘をゆっくりと鳴らし、訪い人の到着を告げる。ペンダントが穏やかに熱を持ち、港の中央の柱に刻まれた盤面へ、薄い光を引いた。


 古文書の余白が風にめくれ、修道士の一人が目を細める。「神座の和音……?」


 その言葉はすぐに風に散った。ミリアは聞こえたのか聞こえないのか、小さく肩をすくめ、胸に手を当てる。さっきの三重膜。祈れば来る——その確信だけが、手のひらに温かい。


「セイン、いまの一足、すごかった」エリシアが近づき、手首をとって確かめるように軽く握った。「落ちかけた時、足場が勝手に寄ってきたみたいに見えたわ」


「時間を止めたわけじゃない」セインは照れ隠しのように笑う。「拍を、重ねただけだ」


 ミリアは頷いた。「うん。今は、それでいいと思う」


 トーマは少し離れて、港の端に立った。噛み締めた奥歯がまだ痛い。背中に汗が冷える。エリシアの笑い声が風に乗る。胸の棘がまた動いた。内声が囁く。


(力があれば、見えるものが変わる。全部、手に入る)


 拳を握り、開く。深呼吸一つ。振り返るとエルンがいつもの無表情で立っていて、親指で港の中央を指した。


「隊長。ペンダント、次を示してる」


 柱の盤面が薄く光り、雲海の峡谷に沿って一本の線が走る。風裂渓——嵐の門。雷が雲の奥で鳴り、白い稲光が遠くに縦の線を描いた。


「……まだ上があるな」セインがペンダントを握りしめる。


「行くんでしょ?」エリシアが言う。


「行く」セインは即答した。「ここまで来た」


 ミリアはそっと袖を引き、「次は私が“止めどき”を合図するね」とささやく。セインは素直に礼を言い、二人の距離が、また半歩だけ縮まった。


 鐘がもう一度鳴り、朝の光が雲上港を洗った。風は上へ吹いている。答えは、やはり上にある。

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