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46話「空の境界、翼の誓い」—滑空廊グライド・コリドー


雲を切り裂くように、白い階段はどこまでも続いていた。踏めばたわみ、風が抜けるたび透明度が変わる。人を試すために作られたとしか思えない“風の階”だ。


先頭を走るセインの胸元で、ペンダントが一定の拍で震えている。合図を刻む鼓動のように。


「おい、またお前が先かよ」背後からトーマの声が刺さった。「決めるのはいつもセイン、ってやつ?」


エリシアが横目で睨む。「口動かすより足動かして。落ちるよ」


「落ちねえよ」トーマは鼻で笑い、しかし足元を確かめる視線は神経質だ。胸の奥で、昨日植えられた黒い棘が疼いている。ヴァイスに触れられた場所が、じんじんと熱い。


(先頭に立つのは、いつもあいつだ。派手な一撃も、視線も、掌声も。俺は“壁”。人の風除け。役に立つだけの板)


息が浅くなる。自分の声が、頭の内側で勝手に続けた。


(強くなれ。誰にも譲らない強さを。そうすれば、あの横顔も——)


「トーマ、こっちに重心」ミリアが振り返り、祈る仕草のまま指で空をすべらせた。言葉はないのに、足場の縁に薄い風と光の膜が張りつく。祈りで編んだ無詠唱の膜だ。その喉に、かすかなメロディが乗った。歌。いつもの支援歌より小さく、でも芯がある。


「歌ってるのか?」エルンが短く問う。


「……合わせてるだけ。祈りと歌、音の回路が違うから。混ぜるの、怖かったけど——いける」


雲の切れ間が開き、黒い円盤群が現れた。滑らかな石のようで、風を吸い込むと周囲だけ音が消える“風の盤”。円盤の影が揺れ、形を持ち始めた。薄い人型の影、風影が複数。こちらを見ている。


セインは息を整えた。「心拍で寄ってくる。乱れてるやつを狙う。落ち着け」


「偉そうに」トーマが舌打ちする。鼓動が早鐘になった瞬間、三体の影が彼へ一直線に滑った。


盾が上がる。だが影は打撃の手応えを与えない。胸を掴むみたいに、呼吸を絡め取ってくる。肺が縮む。視界が白い。


(守られてる。俺が、守られてる——また、かよ)


苛立ちに火がつきかけたところへ、ミリアの歌が割り込んだ。高くも低くもない二音が、風の盤の沈黙を震わせる。祈りの光膜が胸の前に薄く重なり、影の指がほどけた。


「拍、下げるよ。吐いて、吸って——合わせて」


トーマは歯を食いしばり、歌に呼吸を引かせる。影が迷い、薄くなった。その隙に、セインがひと踏みで踏み込み、空間の“薄い面”を刃で弾く。音ではない、拍が抜ける瞬間。そこに剣を差し込むと、風影は裂け、消える。


「次」エリシアが前へ出る。滑空蛇が風の盤の縁からのぞき、舌のような鎖で絡め取ろうとしてきた。彼女の剣が一度風をまとい、間合いを伸ばし、次には雷で痺れを走らせ、火で圧をかけ、最後に氷で蛇の軌道を縫い止める。四元素の瞬間纏装。剣が回路になっている。刃が通るたび、魔力がきれいに流れた。


「行くぞ」エルンがワイヤーを撃ち込み、次の足場へ渡すラインを張る。彼の手は無駄がない。短い指示が、隊の呼吸を整える。


風影の群れを抜けた先に、羽根の梁が交差する“空導橋”が横たわっていた。橋の四隅に支柱が立ち、それぞれが別の拍で回っている。誰か一人でも拍を外せば、橋は解ける——それが仕組みだと、ペンダントの鼓動が告げてくる。


セインは目を閉じ、耳ではなく胸でリングの擦れる拍を聞いた。ずれている。半拍ずれている。なら、ずらして重ねればいい。


「俺が拍を送る。順番に合わせろ」


「了解」エリシアが刃先で支柱のルーンを撫で、魔法の回路に“通電”する。魔力の線が光り、支柱の拍に薄い癖が生まれた。


「固定、任せろ」エルンが二本のワイヤーを逆方向へ張り、回転の誤差を物理で抑える。


「トーマ」セインが呼ぶ。「風、肩で受けて。一拍だけ静止を作ってくれ」


「……言われなくてもやるさ」トーマは盾を橋げたに噛ませ、縁を楔のように差し込んだ。腕、背、腿。全身で風の荷重を飲む。骨が悲鳴を上げる。足場が薄く軋む。


(押し返せ。俺にもできる。俺が前に出る番だ)


胸の内側で、別の自分が囁く。今は、その声が追い風になった。


「ミリア、平均化を」セインが続ける。


「やってる。歌で拍をならして、祈りで落ちないように包む」


ミリアの喉が震え、祈りが光を編む。歌と祈り、回路の違う二つを同時に鳴らす感覚が、彼女の手に初めてきちんと宿った。足を踏み外しかけたセインの踝に、ふわりと浮力が絡む。


その一瞬——橋が“静止”した。セインはペンダントの鼓動を半拍ずらし、次の支柱へ送り、重ねる。半拍、同拍、半拍、同拍。四つの支柱が同じ拍で回り出し、羽根の梁が結び直される。


「今だ、走れ!」


四人は一気に駆け、橋の奥にそびえる石輪の門へ飛び込んだ。空門。古の空路を束ねる関所だ。触れた瞬間、目の裏に白い閃き——各人の内側へ短い幻視が滑り込む。


トーマは見た。風の上で、セインとエリシアが息を合わせて笑っている。自分は遠く、輪の外側で風になる。胸の内側から、自分の声がまた刺す。


(強くなれ。置いていけ。全部、追い抜け)


セインの視界に、あの夜の断片が差し込んだ。王殺しの夜。自分ではない高さ、自分ではない角度から見た光景が一瞬混じる。ペンダントの別の拍。誰かの脈が重なる。


ミリアは歌い出した自分の声に、ふと“誰か”の声が薄く重なるのを感じた。知らないはずなのに懐かしい声。怖い。けど、手を離さない。


エリシアは剣に流す魔力の線が、セインの拍と合った瞬間、胸が熱くなった。気持ちいい一致。目を逸らす。


門の光が退くと、そこは雲海の“外縁の宿駅”だった。石造りの台地に風見の塔。灰色の外套をまとった修道士たちが待っている。風見の修道団——空の管理者だという。


「ここを通るには、空誓が要る」年長の修道士が告げる。「儀礼は短い。失敗すれば、下だ」


「具体的には?」セインが問う。


「乱流の盤上で三息。落ちず、互いの拍を乱さずに。言葉は要らない」


言い終えるより早く、トーマが前に立った。「先にやる。……俺が支える」


乱流の盤が足元で唸る。上から押しつけるような風。トーマは〈斜面盾〉に鎖を噛ませ、〈鎖錨盾〉として台座に縫い止める。肩で風を裂き、体で受ける。歯を食いしばり、足の指で石を掴む。


「右三歩、薄皮できる」セインが囁き、空間に微かな“置き場”を開ける。時間を止めたのではない。同拍に重ねて、そこに足を置くだけの安全ポケットを作る。


ミリアは歌を低く保ち、祈りで薄膜を重ねる。二つが重なった瞬間、今度は彼女自身が驚いた。自分の声と祈りが、ひとつの線になっている。


エリシアは無駄のない一筆書きで剣を振るい、風を切って乱流の筋を整える。呼吸が揃っていく。三息——長い三息が過ぎ、盤の唸りが穏やかになった。


修道士は顎を引いた。「通行を許す。……そして忠告だ、旅人。無詠唱で七元素を扱う者の噂は、空の上にも届く。慎め」


ミリアがわずかに肩をすくめる。修道士の別の一人が、半分だけ聞こえる声で漏らした。「祈りで魔法……本当に?」


視線がミリアの指先に落ちる。彼女は目を伏せ、短くうなずいた。「気をつけます」


「座標を与えよう」年長が石板を叩く。空路の線が刻まれた板が淡く光り、上の空に白い梯子が浮かぶ。上昇気流の梯——ラダー・サーマル。夜明け前の空に白く伸びる。


「ありがとう」セインが礼を言い、ペンダントを握りしめる。冷たい金属の感触。その奥で、低い鳴動が二度、胸に響いた。これまでと違う回数。二人分の脈が、重なるような感覚。


「……今の、変だった」ミリアが囁く。「時を止めたわけじゃないのに、結果が同じ。でも違う。拍を、重ねた?」


「重ねただけだ」セインは答える。「止めるのは、俺じゃない」


トーマは盾を下ろし、肩で息をしながら、白い梯子を見上げた。喉の奥に、何か熱いものが残っている。隣でエリシアが「すごかったね」と笑ってくれる。胸が痛い。


(もっとだ。もっと強く。圧倒的に。そうすれば——)


「行くか」エルンがワイヤーを巻き取りながら言う。短い言葉に、全員が頷いた。


雲が薄く染まり始める。遠空を、針のように細い影が横切った。誰かの偵察機か、それとも——誰も口にはしない。止まれないのは、皆同じだ。


セインは白い梯子の一段目に足をかけた。ペンダントが、もう一度だけ、低く鳴る。風が顔を打ち、瞼を上げさせる。上へ。上にしか、答えはない。

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