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44話「風灯塔の鍵」—黄金市ベールサラム天蓋



 鐘が七つ鳴ると、海風が街の屋根を洗った。夕焼けを背に、帆のような風受け板が並ぶ天蓋の回廊を、セインたちは駆け上がる。胸元のペンダントが、鼓動のように低く震え続けている。上だ、と告げるみたいに。


 走りながら、トーマは自分の呼吸が妙に浅いのに気づいた。胸の奥で、昨日植えられた棘が疼く。ヴァイスの指が頭の裏側に残っているような幻感。視界の端で、セインとエリシアが合図一つで速度を合わせる。刃と風が呼吸を共有している——そう見えるだけで、胃の底がずるりと落ちた。


挿絵(By みてみん)


(なんで、お前らはそんなに噛み合うんだよ)


 心の中で、自分の声が囁く。軽蔑と嘲りの混じった、自分自身の声だ。


(わかってるだろ。お前は“盾”だ。前列の壁。格好のいい見せ場は、いつもセインに持っていかれる)


 それを振り払うように、トーマは前傾になって階段を跳んだ。今は考えるな。足元と風だけ見て走れ。


 天蓋の最上段——円錐の塔が突き立つ。塔の頂には古代の星盤が据えられ、刻まれた三つのリングが、風でわずかに回っている。浮遊石のコアが薄く光り、ペンダントの鼓動がそれに応える。


「ここだ」セインが呟いた瞬間、帆影を裂くようなひゅうという音が空を切った。


 黒い滑空翼が風を掴む。鏡の鱗を寄せた“蛇”の自動人形が、鎖で翼と繋がり、塔の周囲を回り込んだ。仮面の一団が翼上に立つ。仮面は金の薄板に宝石の縁取り、衣は黒で統一――強欲派の儀礼装束。最前列の女だけは緑のヴェールをひるがえし、双眼鏡を下ろした。


「ようやくお目にかかれたわ」女は風に乗せて声を落とす。「無詠唱使い……そして、拍を視る剣士ね」


 ミリアの肩がびくりと揺れた。セインは女のヴェール越しに、冷えたエメラルドの輝きを見た気がする。


 さらに、塔の外輪の影から、もう一つの足音。金髪が風に煽られ、銀の紋章が月光を弾いた。ライオネルがいた。学園の外套に、剣。目はまっすぐセインだけを射抜いている。


「探したぞ、セイン」彼は一歩も逸らさず、刃を抜いた。「あの日の血は乾いていない。お前が王を——」


「違う」セインは即座に切った。「それだけは違う」


「言い訳は要らん」ライオネルは斜に構え、足を滑らせるように間合いを詰める。「俺の剣で証明してやる」


 仮面の一団はそのやり取りを愉しむかのように静観している。ヴェールの女——参謀エスメラルダが、扇を開き、何かを計る仕草をした。


「待って」ミリアが一歩出る。「ここで刃を交える理由は、どこにもないはずよ」


 返事は冷ややかな笑いだった。「理由ならある」ライオネルは言う。「王が殺害された。その現場にいたのは——」


「繰り返すけど、違う。俺は——」


「うるさい!」ライオネルの足が石を鳴らした。「言葉で罪は消えない!」


 剣閃。セインは受ける。打突の重さは以前より深い。躊躇もない。鍔迫り合いの火花の中で、セインはひと瞬きだけ、相手の眼を見た。そこにあるのは確信と怒り。揺らぎはない。


「やめろ、ライオネル!」トーマが叫んで間に入ろうとする。その肩を、エリシアの風が押さえた。「動くと斬り合いになる。今は——」


 エスメラルダが、扇で風を撫でた。「少年。剣のあなたは後でいいわ」


 緑のヴェールがひらりと翻り、彼女はトーマのほうへ視線だけを向ける。距離はあるのに、額の内側を撫でられたように、トーマの皮膚がざわめいた。


「あなた」エスメラルダの声は柔らかい。「誰よりも前で受け止めるのに、誰よりも光を浴びない盾」


挿絵(By みてみん)


 トーマは唇を固く結んだ。言い当てられたことへの苛立ちが、喉の奥で炭のようにくすぶる。


「でもね、盾も王になれるのよ」エスメラルダは続ける。「欲しいのは、圧倒的な力でしょう? 誰にも奪わせない、誰にも遮らせない。何者にも負けないための力——違って?」


 エリシアが瞬く。トーマは視線を落とした。耳の奥で、また自分の声が囁く。


(そうだ。誰よりも強ければ、あの横顔も、こっちを見る)


「……くだらない妄想だ」トーマは吐き捨てた。「俺は仲間を守るために強くなる。誰かの下につく気はない」


「建前と本音は違うものよ?」エスメラルダは楽しそうに目を細める。「良い素質。いつでも因子を目覚めさせることはできるわ」


 セインとライオネルの刃が火花を散らし、足場の風が強まっていく。風に煽られ、星盤のリングが狂いそうな速度で回り始めた。


「ここで斬り合ってる場合じゃない!」エリシアが叫び、鏡蛇の鎖を切り裂いた。鋼の蛇が頭をもたげ、首を打ち付けてくる。エルンがワイヤーを投げ、蛇の軌道を引っ張って塔のリブに絡め取った。


「セイン!」ミリアの声。ペンダントがさらに強く脈打つ。「星盤、聞こえる? ……拍が、ずれてる」


 セインはライオネルを弾き返し、ほんの一瞬、星盤へ意識を向けた。リングとリングの擦れが、耳ではなく胸の奥で鳴る。ペンダントの鼓動と半拍ずれている。


(合わせろ)


 低く、誰のでもない声が背骨を撫でた。ヴァルターの冷たさに似て、でも違う何か。セインは呼吸を落とす。リングの回転の“薄い面”——音が抜ける瞬間がある。そこへ、自分の鼓動を滑り込ませる。


「トーマ!」セインは叫ぶ。「塔の風、抑えろ! 一拍だけでいい!」


「わかってる!」トーマは盾を塔のリブに噛ませた。新しい角度で、縁を楔のように押し込む。肩で、背で、脚で、突風の荷重を潰す。骨が軋み、歯が鳴った。


(潰せ。押し返せ。お前だって前に出られる)


 内側の声が、今は背中を押す風に化けた。トーマは低く唸り、盾をさらにめり込ませる。「錨盾——ここが、俺の場所だ!」


 エリシアが鏡蛇の鎖をまとめて断ち、道を空ける。剣に風を纏い、次の瞬間には雷に変え、痺れを走らせ、火で圧をかけて、最後に氷で足場を縫う。彼女の剣筋は“回路”になっていた。魔法が剣を通って流れる。


 ミリアは息を呑み、祈るだけで両手を広げた。言葉はいらない。風の膜、水の膜、光の膜——三重の薄膜が塔の外縁に展開し、滑空翼からの矢を逸らし、足を踏み外したエルンの体をふわりと押し戻す。彼女自身が驚いて、目を丸くした。


(祈れば、来る)


挿絵(By みてみん)


 その感覚が、はっきりと手に残る。


 ライオネルは隙を見て再び踏み込んだが、エリシアの風が刃を押し返す。彼は舌打ちし、セインの横顔を睨みつけた。「逃げるな」


「逃げねえよ。けど、今は上だ」セインは短く返す。


 星盤の回転がわずかに落ちた。トーマの錨盾が生んだ“一拍の静止”。エルンがワイヤーで外環を仮固定する。「今しかねえぞ!」


 セインは走る。ペンダントの鼓動と星盤の擦れ音が、ぴたりと重なる瞬間を掴む。足元の乱流が、耳鳴りみたいに退いた。


「同拍——刺し」


 刃が、空気よりも薄い“面”を裂いて、星盤の中心へまっすぐ落ちる。金属の芯に「コ」と小さく音が立つ。次の瞬間、リングが全て同拍で回り始め、塔の中枢で光が噴いた。


 空が開く。雲海の上に、薄い階段のような光の図が投影される。幾何学の線が繋がり、やがて一枚の地図になる。“風の階”。セレスティア外縁へ続く滑空廊の航路だ。


 仮面たちがざわついた。エスメラルダは扇を閉じ、双眼鏡越しに投影をなぞる。「……いいわ。やはり、拍を視る。無詠唱で魔法を扱う。面倒な子たち」


 ミリアはその言葉に眉をひそめた。拍、祈り。彼女はセインの横顔を見上げる。今の一撃は——時間を止めたのではない。時魔法の気配はないのに、結果はそれに近い。違和感が、指先に残った。


「ねえ、セイン」小声で囁く。「今の……時の魔法みたい。でも、違う。……拍を合わせた?」


「たぶん、そうだ」セインは息を吐く。「止めたんじゃない。重ねた」


 ライオネルは剣を下げないまま、風に顔をさらした。エスメラルダが視線だけで制す。「今日はこれでいいわ、騎士さま。狩りは場所を選ぶもの」


 彼は歯を食いしばり、セインを睨みつけた。「逃げ切れると思うな。必ず、貴様を裁く」


「その時は、剣の前に言葉を置け」セインが返す。「俺は否定した。何度でも言う。違う」


 ライオネルの外套が風をはらみ、彼は仮面たちの側へ退く。エスメラルダは最後にもう一度、トーマへ扇を向けた。「いつまで待ってるわ。圧倒的な力が欲しくなったら私達を求めて」


 仮面の一団は翼を翻し、鏡蛇を引き上げ、ゆっくりと高度を取っていく。撤退は堂々として、焦りがない。遠ざかる舷側から、エスメラルダの囁きが風に混じった。「また会いましょう」


 残されたのは、夜風と、淡く輝く“風の階”の投影。星盤の上に置いた鏡核は光に溶け、消えていた。黒封蝋の欠片は、セインのペンダントの裏側へ薄い紋となって吸い込まれている。起点は、やはりペンダント。


 光が脈打ち、天蓋の縁に、足を掛けられるほどの半透明の段が一段だけ“現れる”。ペンダントが、低く一回、鳴った。


 トーマは盾を外し、膝に手をついた。肩が震えていた。誰にも見られない角度で、顔を伏せる。


(強くなれ。もっと。誰にも負けないくらい。そうすれば——)


 エリシアが覗き込む。「トーマ? 平気?」


挿絵(By みてみん)


 彼は顔を上げ、いつもの笑いを無理に作った。「ああ、平気。ほら、俺が押さえたおかげで助かっただろ」


「助かった」エリシアは素直に頷く。「ありがと」


 喉の奥に火が灯ったみたいに、言葉が出かかった。けれど、その背後でセインの手がエリシアの手首を一瞬支え、彼女が小さく礼を言うのが見えた。胸の棘が、もう一度深く刺さる。


(やっぱり——俺じゃ、ないのか)


 ミリアがそっとセインの肩に触れた。「次は、私が“止めどき”を合図する。……拍、少しわかってきた」


「頼む」セインは短く笑い、頷いた。距離が、半歩だけ縮まる。


 エルンはワイヤーを巻き取りながら、夜空の階段を見上げた。「上、か」


「ああ。上だ」セインはペンダントを握り、風の階の一段目に視線を固定した。遥か上、雲の切れ間で、小さな飛行船の影が雲へと消える。


 風が囁く。答えは、上にある。

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