39話 砂の夜の誓い
砂はまだ温かかった。祠は燃え尽き、黒硝子の破片だけが星を映す。
エルンはそこに膝をつき、両手で砂を掴んだ。押し当てても、指の隙間から零れるだけだ。
「……兄貴」
返事はない。崩れて消えたものは、もう葬れない。
トーマが盾を背から外し、焚き火の近くに置いた。「見送ろう。ここでできる形でな」
エリシアは風を細く回して砂を均える。「崩れない輪、作っておく」
ミリアは喉に指を当て、息を整えた。「声は出さない。二音だけ……呼吸を合わせて」
四人と一人は円の外縁に立った。トーマが砂に三重の輪を描き、セインは中央へ小枝を一本、まっすぐ立てる。
エルンは輪に額をつけ、低く言った。
「兄貴。見てろ。俺、やる」
ミリアの二音が夜気にほどけた。風は火を煽らず、ただ輪の中を巡る。
セインは胸の熱に意識を落とす。ペンダントの奥で、微かな赤が脈打った。
(借りるだけにしておけ)
ヴァルターの声が底に残る。セインは短く頷いた。
焚き火から離れ、セインとミリアは並んで座る。
「胸、まだ熱いの?」ミリアが横目で見る。
「大丈夫だ。——借りるだけにする」
「うん。借りるだけ」ミリアは肩をそっと預け、すぐ離した。「……さっき、戻らないかもって思った。怖かった」
言葉はそれで尽きた。ミリアは手早く包帯を替え、セインは視線を焚き火へ戻す。炎は小さく、揺れは静かだ。
少し離れて、エリシアがトーマの腕に軟膏を塗る。
「痛む?」
「明日には笑える痛さになってるさ」トーマは帯を締め直した。
「ありがと」エリシアはためらい、言葉を選ぶ。「ねえ、誰かを助けるために——その人が望まなくても、身を投げる?」
トーマは焚き火を見たまま答える。「やる。でも戻れる形でやる。戻れないなら、守れてない」
エリシアは小さく笑った。視線だけ、セインへ滑る。焚き火の赤が瞳に宿る。
やがて、砂の向こうから鈴の音。隊商だ。塩の袋を吊るした獣車が列をなして近づく。
隊長格の男が降りてきて、黒い欠片を差し出した。「拾い物だ。取引印の封蝋だが……紋が悪い」
セインが受け取り、エリシアへ渡す。
エリシアの指が止まった。「……工房が同じ。家の紋に似てる。少し崩してあるけど、見間違えようがない」
隊長は顎をしゃくる。「行き先がある。オブシディアンのナイトホロウ。影の市場だ。紋と影は仲がいい」
トーマが短く礼を言う。「明朝、ついていく。代価は払う」
夜半、連絡符が震えた。ミリアが展開する。アウリスの筆致だ。
『合成核の噂、塩と灰の二重封印。穴を先に塞げ。ナイトホロウに供給拠点あり』
紙面の端に、小さく追記。『セイン——熱に呑まれるな』
セインは符を受け取り、折りたたむ。胸の熱はまた微かに疼く。
エルンが立ち上がった。目の腫れは引いていないのに、声は固い。
「俺も行く。兄貴ができなかったこと、やる。元凶を潰すまで」
誰も止めない。トーマだけが、確かな言葉を置く。「背中は貸す。無茶は、俺の盾の範囲内でやれ」
「……ああ。借りる」
ミリアはエルンに近づき、包帯と水袋を渡す。「眠れなくても、目を閉じて。呼吸を数えるだけで体は休むから」
エルンは首を縦に振った。「ありがと」
砂が落ち着く音の中、エリシアがセインに歩み寄る。
「ねえセイン」
「なんだ」
「あんたが倒れたら、誰に怒ればいいの」
「……怒る先を探すのは得意じゃない」
「なら、生きてて。私、文句を言える相手がいるほうが調子いいから」
エリシアはそれだけ言って踵を返し、風を巻いて焚き火を囲う。トーマがその背中を、短い溜め息で追った。
夜明け。
隊商は鈴を鳴らし、東へ進路を取る。砂丘の稜線に、薄い線のような黒が浮く。オブシディアンの断層だ。
セインたちは列の最後尾についた。
歩き出す前、エルンが輪の中央にもう一度手を置く。「兄貴、行くぞ」
その手をセインが重ねる。ミリアも重ね、エリシア、トーマと続いた。掌の温度が連なり、短い沈黙が誓いに変わる。
「目的は三つ」トーマが確認する。「一、ナイトホロウで黒封蝋の出所を追う。二、供給拠点の封鎖。三——」
「三、戻ってくる」ミリアが言い切った。
エリシアが口角を上げる。「四、ついでに儲け話があったら拾う」
「五、砂を噛まずに水を飲む」トーマが付け足し、空気が少しだけ柔らかくなる。
セインは頷き、短く締めた。「行こう」
歩き出す。
風は冷たいが、胸の奥の熱は消えない。イフリートの残穢がペンダントに沈み、時折、脈のように微光を返す。
それが呑み込もうとする熱か、歩くために残る温度か——まだ分からない。
砂丘を越えた先、黒い断層のさらに向こう。ナイトホロウが待っている。
影で値が決まり、声よりも印がものを言う街。
そこに、この夜の誓いの、最初の返答があるはずだ。




