35話「誓いの鼓動」ハートビート
地下遺跡で奪い返した最後の部品は、魔塔の観測室で青白い光を断続的に放っていた。
アウリスは水晶盤の上で欠片を組み、静かに結論を下す。
「王都全域に張り巡らされた“誓紐”の結界網——その主結び(ハブ)は地下の古王環庫だ。強欲派の回路に、憤怒の火種を挿し込むつもりだろう。今夜、儀式は“紅蓮静謐”段階に入る。音が消え、熱だけが支配する領域になる」
「今夜……待つ余裕はないってことか」トーマが盾の縁を撫でる。緊張で汗ばむ手を、彼は一度ぎゅっと握り直した。
「行く」セインが短く言う。
胸の奥で、ヴァルターの残穢がときおり金属音のように鳴った。あの力に触れたときの背中の冷たさと、視界の縫い目がくっきり浮かぶ感覚は、まだ忘れていない。
エリシアは刀を畳の上に置き、柄巻きを締め直す。「地下は風が死ぬ。なら、私が風路を作る。あなたたちは踏み外さないで」
彼女は刀身に細い符を貼った。無音域で軌道を可視化する印だという。「家の蔵で見た紋に似てるの、あの“塩の王印”。……答えは地下に落ちてる気がする」
「セイン」ミリアが呼ぶ。彼女は喉を温めるみたいに、浅く長い息を吐いた。「息だけで拍を合わせる練習、もう一度しよう? 声は出せないかもしれないから」
二人は向かい合い、一拍、二拍、三拍、四拍を呼吸で刻む。ミリアの“和声”はまだ名もないままだが、空気密度を少しずつ変え、合図の通り道を作ってくれる。
そこへ、外套の男が窓影から滑り込んだ。エルンだ。仮面は外している。
「導ける。古王環庫の側道は、俺たちが昔、出入りに使ってた。……ただ——」
彼は言い淀み、続けた。「リーダーは俺の兄だ。レヴ。正確には……兄の身体に、何かが座ってる。怒りを餌にする“それ”が。だから、できるなら——殺さないでくれ」
空気が一瞬だけ張りつめ、次にほどけた。
トーマがうなずく。「できる限り、だ。戻せる可能性があるなら」
エリシアは視線だけで「甘さは死に直結する」と言い、セインに目を戻す。
「でも、あなたが斬るなら、私は支える」
アウリスはエルンを真っ直ぐに見た。「条件がある。あなたはここで誓紐を一本、私に渡しなさい。裏切れば、即座に縛る」
「……いい」エルンは掌から細い黒紐を抜くように取り出し、差し出した。結び目は、兄の癖が残る固い結い。
準備は短く、濃かった。
トーマは盾の“打点”を変える訓練を繰り返す。床石を軽く叩いて反響を読む静音リズム・ガイド——無音下でも骨へ響く合図。
エリシアは風の符を増やし、曲がり角に空圧の路標を立てる術の確認。
ミリアは喉を使わず胸郭で息を重ねる“息歌”の練度を上げ、セインは残穢の刃を畳んで広げ、また畳むイメージを反復した。借り物の黒熱を芯で抱え、輪郭だけを使う——暴走の境界線を身体に刻むために。
日が落ち、王都の鐘が三度鳴る。
四人と一人は、エルンの案内で下水道のさらに下、封鎖された古い水路へと降りた。苔のにおいも、泥のぬめりも、やがて薄れていく。かわりに、乾いた熱が肌を刺し始めた。
「ここから先は、声は削がれる」エルンが指で×をつくる。
トーマが盾を軽く打つ——一拍。
ミリアが息で返す——二拍。
エリシアの指が空を切る——三拍。
セインが剣を握り直す——四拍。
四つの拍が、音にならないまま、確かなリズムになった。
最後のハッチを開けた瞬間——鐘の残響がすっと消えた。
熱だけが濃く、音だけがいない。
「……音が、ない」トーマの口がそう動く。声は出ないが、皆、同じことを理解した。
紅蓮静謐。
アウリスが言った通りの、儀式前段が始まっている。
セインは胸の中心で黒い灯をひとつ、折りたたんだ。
戻れ。暴れるな。斬るのは“それ”だけだ——
四人は互いに視線を重ね、うなずく。エルンが前に出て指先で道を示した。
古王環庫の円環祭壇は、すぐそこだ。主結びを断つための四拍が、今、静かに揃った。
——夜は、深く、熱い。
だが、誓いの鼓動は、消えない。




