表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/389

34話「鳴砂の回廊」—砂が歌う地下決戦

王都の喧噪から三十尺、地の底は風の通らぬ砂の海だった。古代の導水路を改修した回廊は、床一面が細かい珪砂で敷き詰められ、踏めば音階のように鳴く。敵はこの“砂の楽器”に罠と見張りを繋いでいる——そうアウリスは言った。


「ここから先は、音で殺される」


 囁いたのは影の案内人エルンだ。黒い外套は砂音を吸う布で仕立てられ、その瞳だけが鋭く光る。


「拍を外せば、ゴーレムが目を覚ます。運び屋は中央ドームに。生きたまま捕る——それが条件だ」


「了解。非致死でいこう」


 セインは頷き、胸の内で呼吸数を数えた。砂床に足を落とす——ティン。鈴のような高音が回廊を撫でる。すぐにトーマが一歩前に出た。盾面に薄い魔紋が走り、空気の震えが抑え込まれていく。


「《響盾》。足音の逆位相を立てる。歩幅は俺に合わせろ」


「あたしは罠の糸を先に切っておく」

 エリシアが二本の指を弾く。髪先を撫でるほど細い風の線刻が走り、見えないトリップワイヤーがすんと鳴って空に消えた。


「心拍、合わせますね」


 ミリアが小さく歌う。言葉にならない音節が胸腔の奥に揺れ、隊列の息がひとつに収斂していく。鼓動の乱れが砂の拍子に絡む前に、和声がそれを包んでくれる。


 セインは両眼を閉じ——次に開いたとき、世界は色で満ちていた。音が色相を帯びて見える。砂の一粒一粒が、踏まれるべき正しい和音で淡く発光している。


(見える……和音視スペクトラム・ビジョン


 彼は最も鈍い琥珀の帯を選び、一歩。次の一歩。エルンの作った裏道図と、和音の色譜がぴたりと噛み合う。乱れをミリアの和声が整え、トーマの盾が余剰の揺れを削る。エリシアは前を行き、見えない罠だけを無音で断ち切っていく。


 やがて、砂音が広がり、天井が高くなる。中枢ドームだ。緩やかな斜面の底に、輪状の装置と黒い封蝋をはめ込んだ石台がある。輪の片側には音叉の鎖環——**合唱鍵コーラス・キー**の片割れ。赤い拍子刻印がきらりと光った。


「いた……」


 石台の陰。燕のように黒い短外套の男が、封蝋の圧を読む器具を弄っている。運び屋《黒燕のレコン》。足首に細い砂よけを巻き、歩幅は完璧だ。上の通りで鍛えられた身のこなし。


 その背後、回廊壁面からすべり出る影。細い指に印章金具を嵌めた男——印章技師ザハルが、砂床に特殊な紋を押し当てる。


「時間だ。一曲分で積み出すぞ」


 砂がざぁと鳴いた。壁面の穴から、骨と陶片で組まれた砂音ゴーレムが五体、滑るように出てくる。センサー代わりの板金がチリンと鳴るたび、回廊の砂が共鳴した。


「ここからは静かに派手にいくよ」


 エリシアが微笑む。鞘走りの音すら出さず、居合いの軌跡だけが空に線を描いた。風の居合《空裂》。ゴーレムの関節——動きの核だけに切創が走り、陶片は崩れず、ただ止まる。


「絶対殺さず。……いいね」


 ミリアが両手を胸の前で交差する。治癒の和声が、今は減衰合唱へと変質し、ゴーレムのセンサー振幅を柔らかく鈍らせた。立ち上がる砂塵も、歌に撫でられて沈む。


「こっちは視界確保——《響盾・整流》!」


 トーマの盾が地面すれすれに傾き、砂流が川のように一方向へ流れる。舞い上がる砂が平らな簾に整い、ドームの視界が開く。


「レコンは僕が導線を切る」


 エルンの糸が無数の細橋になって空を渡り、レコンの退路を一本ずつ塞ぐ。糸は砂に触れると音もなく沈み、見えない壁を作っていく。


 ——いまだ。


 セインは石台の黒封蝋を視る。導きの糸だけが、赤い細線で鈍く点滅している。刃先に魔力を集め、音のない斬撃をたった一枚、空に置く。


「無詠唱・微細斬」


 赤い糸だけが切れ、封蝋は爆ぜない。石台の振動が止み、合唱鍵の赤い刻印が息をするように落ち着いた。


「っ、何者だ——!」


 ザハルが印章金具を掲げる。砂床が低く唸り、音階が戦慄する。セインは反射的に和音視を開いた。敵の仕掛けは**“曲”だ。間違った一歩を踏ませれば、合唱鍵は起動し、ゴーレムは奏者**になる。


「奏でさせない!」


 エリシアの空裂が、印章衛士の肩と肘を紙一重で断ち、落ちる刃も、上がる腕も出ない。レコンは糸の壁に進路を塞がれ、ぎょっと肩を引いた——その足が砂に沈む。ティン——。たった一つ、外れた音。


 砂が起きる。壁から新たなゴーレム。斜面上方でザハルが勝ち誇る。


「拍は朱。おまえたちの乱れを、全て炎に変える」


 次の瞬間、砂の層が熱脈を吹いた。火ではない。——だが、それは灼けた衝撃波だった。セインは無意識に回廊の拍へ身体を合わせてしまう。朱の拍子。胸の奥が、どくりと熱を帯びた。


(合わせれば、減衰できる——いや、染まる!)


 熱が内側からのぼる。掌に赤い脈打ちが浮かぶ。どこかで似た拍を、感じたことがある。砂漠の嵐、朱の陣、そして——炎の魔神。エルンが鋭くこちらを見る。彼女の瞳に、一瞬だけ兄の影がよぎった。


「セイン!」


 ミリアの声が落ちる。清澄の和声が、朱の拍に水のように降り、熱の輪郭を中和する。肺に入る息が冷え、鼓動が正しい拍に戻っていく。


「ありが——」


「まだ来る!」


 トーマが盾を叩く。熱波の前縁を、曲面で削る。圧は二つに割れ、エリシアがその間へ跳び入った。


「《風裂・熱境界》!」


 一刀で温度の壁を裂く。熱は流れを失い、砂層の下へ逃げていく。


「回廊は曲だ。主音を切れば、曲は崩れる」


 セインは和音視で“音のない穴”——無音の隙間を探す。拍の合間、沈黙がある。そこへ刃を置く。

 ——無拍断。


 回廊の主旋律が途切れた。砂の震えが止まり、ゴーレムの関節に通っていた振動が途絶する。ザハルの顔から音が消えた。


「今!」


 エルンの糸がレコンの手首に絡み、ミリアの歌が膝の力を抜く。トーマの盾縁が素早く滑り込み、レコンの顎をそっと上げて呼吸を確保する。エリシアはザハルの印章手を切らずに捻り、金具を床に落とさせた。


「……参った。こんな静かな暴力があるか」


 肩を脱力させたザハルを、トーマが拘束する。レコンは糸枷で安全に縛られ、口だけが自由だ。


「殺さねえのか。珍しい連中だな」


「今日は人を拾いに来た。石は壊しに来たわけじゃない」


 セインが石台の合唱鍵——朱の拍子を外す。薄い鎖環には朱い符が刻まれていた。指でなぞると、彼方から灼熱の呼吸が返ってくる気がする。胸の微熱が、まだ完全には引かない。


「それは……」


 エルンが朱の刻印を見て、指先を微かに震わせる。彼女は視線を逸らすと、ザハルの足元に落ちた小型端末を拾い上げた。


「搬送記録。『蒼の拍子』は砂海フロントへ移送予定……」


「砂漠か。行き先が決まったな」


 トーマが短く息を吐く。レコンは肩を竦めた。


「おれは足だ。行けと言われりゃ行く。荷の中身には興味はねえ」


「その“言う”やつの符牒は?」


 エリシアが問うと、レコンは舌で奥歯を押し、銀紙を吐き出した。黒い漆で押された小さな封。ミリアが手巾で受け止める。


「黒封蝋……この印は——」


 セインは近づき、封の印章を確かめた。LⅩ。王都の文官が使う階層記号の一つだ。


「王宮書記局の階層記号。内通者は、宮廷のどこかにいる」


 ドームの天井から微かな砂が落ちる。回廊全体が沈黙を取り戻すと、余計に心臓の鼓動が耳についた。セインの胸の朱い残響が、小さな熱として残っている。


「さっき、君——拍に合ったよね」


 エルンが、誰にも聞こえないほどの声量で囁く。セインは一瞬だけ目を伏せた。


「合わせないと、断てなかった。でも、合わせれば染まる。……君の兄と、同じように」


 エルンの喉がかすかに鳴る。彼女は一歩だけセインに近づき、真正面から瞳を合わせた。


「なら、わたしが引き戻す。君がまた踏み外しそうになったら」


「それは私の役目です」


 ミリアが横から割って入り、笑った。いつもの柔らかな笑み——けれど芯がある。


「セインは、私が正しい拍に戻します。何度でも」


 エリシアが肩を竦める。


「じゃ、あたしは風で熱を切る。トーマは?」


「流れを整える」


 トーマは当たり前のように盾を掲げた。四人と一人の影が、同じ方向を向く。


 拘束したザハルは後送。レコンは取引に応じ、搬送線の側道と使い捨ての隠し倉を白状した。彼の眼は驚くほど澄んでいて、最後にほんの少しだけ笑った。


「静かに派手に、ね。あんたら、いい曲だ」


 地上への戻り梯子の前で、セインは最後に中枢ドームを振り返った。砂はもう何も歌わない。だが胸の中にだけ、小さな朱の拍が遅れて鳴る。


(行こう。蒼を取り返す。砂海で——そして、内側の敵も)


 夜の王都に出ると、遠くで鐘が一つ。アウリスの塔へ報告に向かう道すがら、エルンは空を一度だけ見上げた。雲間の赤に、彼女は誓いを置く。


(兄さん。朱に飲まれたままじゃ、終わらせない)


 風が砂の匂いを連れてくる。四人と一人の影は、足並みを揃えた。次に向かうのは砂海フロント——蒼の拍子と、砂漠の嵐の向こう側。王都に残していく謎は、ひとまず黒封蝋のLⅩ。塔は彼らの帰還を待ち、次の遠征の地図が、机上で静かに広がっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ