27話-砂漠の嵐を越えて-
砂漠には風の海と呼ばれる広大な地域がある。昼は熱と光で焼け、夜は冷たく乾いた闇が襲う。その砂の海を横断する道すがら、ネザリアの魔塔から再び任務が下った。浮遊遺跡での調査から帰還したばかりのセインたち四人だったが、塔の書庫に集められた証拠が示す新たな異変を止めるため、即座に出立せざるを得なかった。学院の闘神ヴァルターが残した意志──「力をつけろ」を胸に、セインは砂漠へ向かう。
「強欲派のカルトが砂漠の貿易路を封鎖し、物資を横流ししているらしい。」魔塔主アウリスの冷たい声が耳に残る。彼は己の魔力で遺跡の罠を無効化したセインの進化を見抜き、次なる舞台としてこの砂漠を選んだのだろう。
日も高く昇る頃、一行は風の海の真っただ中で、予兆もなく起こった砂嵐に巻き込まれた。地平線の向こうで黒雲のように渦巻く砂が迫り、視界が黄色い壁に変わる。砂は頬を切り、喉を焼く。自然のものではない。魔力の臭いが混じっている。
「この嵐、誰かが操ってる……!」エリシアが風を読むと同時に、巨大な影が砂煙の中から姿を現した。黒い蓮に金環をあしらった旗印を掲げ、黒地の装束を纏った者たち。その中でもひときわ異彩を放つ男がいた。金縁の面頬と鱗のように重なる金札の鎧。背には砂時計二基を背負い、右手には錫杖、左手には分厚い帳簿。
「帳簿卿グラヴィス・オーラムだ。お前たちがここを通ることは計算済みでね。」金の面頬の奥から、柔らかだが底冷えのする声が響いた。「砂漠の道を行く者には関税を払ってもらわねばなるまい。それが私の役目だ。命の残高、決算といこうか。」
彼が錫杖を振ると、周囲の砂が金色に光り、砂嵐が突然静まった。大量の砂が金の玻璃となり、そこから鎧を纏った金庫兵が次々と現れる。背中には金庫のような箱を背負い、無表情に槍を突き出す。さらに金粉のような粒子が集まり、螺旋状に回ると、巨大な蟲の群れ――収奪蟲が生まれ、目の前に迫ってきた。砂嵐から金庫兵、金塵から蟲。全てはグラヴィスの術式「砂金錬成」によるものだ。
「強欲のカルト《黒蓮》……!」セインが叫ぶと、グラヴィスは顔をしかめ、鼻で笑った。「傲慢の残党が何を知る。砂漠の真の支配者は利益を理解する者だ。お前たちは価値のない砂粒に過ぎない。」
「価値なら自分たちで決める!」トーマが盾を構えると、蟲が一斉に彼へと向かった。盾に当たる蟲が金粉に変わり、重さが加わって腕が軋む。グラヴィスの第二の術式「利率の呪」が働いている。攻撃や防御の行動に“利子”スタックが蓄積し、一定量を超えると動きが鈍っていく仕組みだ。
「こんなの、守りきれねえ……!」トーマの表情が歪む。だが、瞼を閉じ、深く息を吸うと、彼は地面に手を当てた。その瞬間、砂が固まり、足元に石のような基盤が生まれる。周囲の砂も流れを止め、まるで巨大な盾のような壁となって風と蟲を抑えた。「俺が、止める……!」叫ぶと、彼の盾に刻まれていた家紋が青く輝き、砂嵐の流動を局所的に凝固させる。ヴァルターの教えを胸に刻んだトーマは、守りの極地――《不動城》へと覚醒したのだ。利子スタックはかき消え、仲間の動きが軽くなる。
「いいぞ、トーマ!」エリシアが片手で剣を掲げる。黒蓮の構成員が持っている金の盾を彼女の剣が切り裂くと、風が巻き起こり、砂嵐を横切る刃となって空間を裂いた。「《風裂》!」剣を振るった軌跡が風の刃となり、金庫兵の鎧や蟲の体を断ち割る。続けざまに跳躍し、別の斬撃を放った。斬撃が空間に縫い目のような光を残し、円形に拡がると、風そのものが刺繍のように絡んで砂塵と蟲を纏めて切り裂く。「《嵐縫い》!」エリシアの剣は風を縫い合わせ、砂と金に紛れた敵を分解する技へと進化していた。
「ミリア、蟲は任せて!」彼女の声に応え、ミリアが白い外套を翻した。胸に手を当て祈ると、掌から淡い光が溢れ、周囲に聖灰が舞い散る。「……聖なる灰よ、覆い、守りたまえ。」ミリアが撒いた灰は帷幕のように広がり、蟲が触れると浄化されて白い砂に変わる。神秘的な光は蟲の目を眩ませ、金庫兵の動きを鈍らせた。まだ神下ろしの巫女として覚醒したわけではないが、彼女の歌と祈りは仲間を癒し、敵の術式を弱める。
セインは剣を握る手に力を込めた。ヴァルターから受け継いだ残穢は、彼に空間の感覚を与えていた。砂嵐と金の粒子の流れ、蟲の群れの移動、金庫兵の隊列。その全ての軌跡を、彼は心の中に感じていた。防御一辺倒では押し切られる。攻撃に転じるべき時だ。だが焦りは禁物。ヴァルターは言った。「進め。迷うな。」守りと攻めのバランスを測りながら、彼は一歩踏み出す。風と砂の流れに身を任せ、蟲が一瞬途切れるのを見計らって突進。エリシアが斬撃で開けた穴を潜り抜け、グラヴィスの脇腹へと迫る。
「無駄だ!」グラヴィスが錫杖を振ると、金色の柱が立ち上り、セインの進路を阻む。だが彼はその柱の間隙を見抜き、残穢の力で空間をすり抜けていく。剣を振り、グラヴィスの左手の帳簿に狙いを定めた。「そこが、弱点だ!」
刃が帳簿を捉え、紙束の端を裂く。裂け目から光が溢れ、帳簿のページに刻まれていた魔法陣が崩壊した。グラヴィスが初めて表情を歪める。「貴様……!」
「まだ終わらぬぞ。」男は背中の砂時計に手を伸ばし、残った砂を倒すと同時に、背負った金庫が開いて光が迸った。彼の体が光に包まれ、一瞬で傷が癒える。術式「保険箱」――彼は金庫に魂の一部を保険として預け、戦闘中に一度だけ疑似復活できるのだ。「保険には利率がある。決算領域、発動だ。」
砂嵐が再び強まり、視界はほぼゼロになる。地面が流動し、足場が安定しない。砂塵の中からは金庫兵が無尽蔵に湧き、蟲が音もなく忍び寄る。グラヴィスは時計の振り子を刻むように錫杖を振り、利率の呪をさらに重くする。短期決戦を強いられたかに思えた。
だがトーマが叫ぶ。「もう利子は払わねえ。俺がまとめて受け止める!」彼は盾を高く掲げ、砂嵐に向かって踏み込んだ。覚醒した盾には青い光が宿り、嵐の流れを固定していく。足元にまたたく石の道が現れ、仲間が進むための道を示す。利子スタックが消え、セインは再び自由に動ける。エリシアは風を操り、嵐を切り裂いて進路を開く。
ミリアの祈りがさらに強く響いた。「……ヴァルター先生、どうか導きを。」聖灰の幕が広がり、流動する砂が一瞬静止する。流れが途切れた隙に、セインは最後の突撃を敢行した。
剣がグラヴィスの胸元に当たり、金札の鎧を斬った。流れる金の砂が血のように散る。グラヴィスの手から錫杖が落ちる。帳簿は半ば燃え、契約も破れた。男は喘ぐように息を吐き、砂に膝をついた。
「終わりに見えるか?」彼はかすかな笑みを浮かべた。「まだ“資産移転”は終わっていない……第七の箱が開けば、海は嫉妬で満ちる。黒蓮はただの運び屋。真の収穫は深海にある……。」
「深海?」エリシアが眉を寄せる間もなく、グラヴィスの周囲の砂が渦となり、彼を飲み込んだ。残ったのは砕けた金庫と、異質な結晶のようなもの。
トーマが拾い上げる。手のひらほどの大きさの灰色の核。触れると冷たい水のような感覚がした。「なんだ、これ。」
ミリアが光を当てると、核の内部で青い光が脈打ち、「潮導核」という文字が浮かび上がった。また、金庫の中には硬く封印された箱と塩の結晶があった。箱の封蝋には見慣れない紋様が刻まれている。黒蓮のものではない。セインは胸の石が脈打つのを感じた。残穢が告げている。この紋様には別のカルトの匂いがある。嫉妬かもしれない。
「これがあいつが言っていた“第七の箱”……?」トーマが箱を覗き込むと、箱は固く閉ざされていた。海の匂いがわずかに漏れている。「深海へ行けということか。」
「アウリス様に報告しよう。」ミリアは懐に核と封蝋、そして壊れた航行記録板を収めた。記録板には「ネプチュナ港湾都市→深海遺跡ゲート第七」と刻まれている。
一行が帰途につくと、砂嵐は静かに収まっていった。夜風が冷たく頬を撫でる。満天の星が砂の海を照らし、僅かな希望の光を落としている。
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魔塔に戻ると、アウリスは四人を待っていた。彼は灰色の核と封蝋を手に取り、表情をわずかに動かした。「これは……潮導核と塩晶封蝋。嫉妬派の紋様だ。黒蓮が嫉妬派への物資輸送を担当していたとはな。深海の遺跡……ネプチュナ港湾都市の先にあるという“第七ゲート”。そこに嫉妬カルトが潜んでいるのだろう。」
「それって、次の任務は深海?」トーマが問うと、アウリスは静かに頷く。「潮導核があれば海底の圧力に耐える魔法陣を展開できる。次は深海の遺跡と光の試練だ。嫉妬カルトの魔物が待ち受けている。覚悟しておけ。……だが、いい戦いだったな。トーマの盾は闘神の面影があった。セイン、エリシア、ミリア、それぞれに見える光がある。この戦いで見つけたバランスを忘れるな。」
砂嵐の戦いを越え、仲間たちは体だけでなく心も一回り成長していた。強欲の幹部との死闘は終わったが、海底の暗い影が彼らを待っている。夜の魔塔の窓から、セインは遠くに煌めく星々を見上げ、胸の石が微かに光るのを感じた。ヴァルターの残穢がまた新たな試練へ導こうとしているのだろう。次の舞台は深海。嫉妬の闇と光の試練。それぞれが得た力と絆を武器に、彼らはさらなる冒険へと足を踏み出す。




