26話-浮遊遺跡の調査-
雲海が裂け、夜の底から鈍い光の島々がせり上がった。ネザリア外縁を漂う無人の浮遊遺跡――魔塔が極秘に示してきた座標は、黒蓮印の座標板が指し示した点と一致している。
四人は小型の飛行艇を雲の切れ間に滑り込ませ、崩れた環状桟橋へと横付けした。
「風が反転してる。上に落ちる、なんて冗談は――冗談じゃ済まなさそうだね」
エリシアが黒髪を指で押さえ、眼差しだけで空気の流れを読む。
「落ちても受け止める。盾は重力より頑固だ」
トーマが無骨な笑みを浮かべ、背に巨大盾を固定し直した。
ミリアは息を整えて両掌を胸の前で重ね、そっと囁く。祈り、というには素朴すぎるリズム。だが周囲の空気のざわめきが、わずかに落ち着いたのが分かった。
セインは遺跡へと続く石橋に一歩を踏み出す――と、足裏の感触が「半歩先」で確かになった。脳裏に、目では見えないもう一つの線が走る。
(ずれる。廊下の位相が、次の瞬間、右に半身分……)
ヴァルターとの戦いで身に残った、あのひどく冷たい“残穢”が、ここでは却って導き手になるらしい。
「ここ、床は“半歩先”にある。ぼくが歩く線から外れないで」
「半歩先……?」
「説明は後。トーマ、盾を横に。ミリア、息を合わせて」
四人は綱渡りの隊列を組んだ。セインが示す「見えない床」をトーマの盾で橋に変え、ミリアの静かな鼓動が周囲の揺らぎを和らげる。エリシアは最後尾で微細な魔力の糸を走らせ、背後の罠符を一つずつ“切断”していく。
位相回廊を抜けた先は、天蓋の破れた大広間だった。上空に島の断片が浮かび、零重力の裂け目が黒い潮のように渦巻く。中央には人形――いや、透明な結晶骨格にエーテルが灯った自動人形が五体。こちらを認識した瞬間、刃のような光腕が伸びる。
「来る!」
最初の一撃を、トーマの盾が鳴らして受け止めた。衝撃で彼ごと宙に滑るが、足裏に仕込んだグラビティ・ピンが床へと固定する。
「右二、左一、上から一!」
セインの視界には、光腕の軌跡が“先に”走る。彼は残穢が告げる未来線に合わせて斜めに踏み込み、一体の膝関節に刃を差し入れた。
そこへ、エリシアの魔剣が光を裂く。
「――裂開」
短い詠唱と同時に、斬閃が結晶の関節を清潔に断ち、ゴーレムの重心が崩れ落ちる。
「治癒障子、展開」
ミリアの柔らかな声とともに、白い薄幕がトーマの盾を包む。光幕は衝撃を柔らげ、逆流のように傷をふさいでいく。
名もなきその技を、彼女自身すら正確に言語化できていない。ただ“そうなる”と信じることに、遺跡の結界が従っている。
短い乱戦ののち、五体は粉々の破片と化した。空気が緩むと同時に、遺跡の奥から微かな鼓動が伝わってくる。核――この浮遊島を浮かせるコアだ。
中枢へは重力反転室を通る必要があった。床と天井が数拍ごとに入れ替わる狂気の廊。
「三、二、今!」
セインのカウントに合わせて、四人は天井に“落ち”、入れ替わる瞬間に柱の陰へ滑り込む。トーマの盾が足場となり、ミリアの光幕が身体の方向感覚を保つ。エリシアは反転の瞬間、片足でわずかな縁を掴んで空間の継ぎ目を跳び越えるのがうまかった。
中枢室は球形で、壁全面に古代符が刻まれていた。中心には多面体――二十の面に光冠を巡らせた守護核。光が脈打つたび、位相がたわみ、視界が二重に分裂する。
「核を露出させれば、斬れる」
エリシアが目を細める。
「露出はぼくが作る。トーマ、正面を持って」
「任された!」
守護核は面を回転させ、光線の格子を放った。トーマの盾が正面の格子を受け止める。火花ではなく、光と光の“擦過音”。弾かれた光が壁に刺さるたび、位相がさらに狂う。
その歪みの“次”を、セインは感じ取っていた。
(右下、面が薄くなる。三拍目で――)
セインは床に指を滑らせ、短剣に残る黒い冷気を呼び覚ます。残穢は嫌悪を伴ったが、今はそれで足りる。
「今だ、下!」
トーマが盾を斜めに立て、光格子を“踏み台”に変える。エリシアがその刹那、跳ぶ。
「――断面」
魔剣の刃が音なく走り、守護核の一面が薄皮のように剥がれた。露出する、芯の輝き。
セインは空間の継ぎ目へ躍り込み、短剣で“封鍵”そのものを切断する。手応えは――なにも斬っていないのに、世界の支え糸一本を断ったような空虚さだった。
光が弾け、中枢室の脈動が沈む。床がふらつき、遺跡全体の浮力がわずかに落ちた。
「やった……の?」
「待って。今、誰かが遠隔で――」
エリシアの言葉を遮るように、壁面の符が赤に転じた。《自壊》。誰かが外からプロトコルを起動したのだ。
「撤退ルート、どこだセイン!」
トーマの叫びに、セインは目を閉じる。空間に散る裂け目の流れが、残穢の冷たさに触れて光る。
「南東、斜め上――いえ、“上に落ちる”通路。三十数えて跳ぶ!」
三十。四人は同時に脚を蹴った。重力反転室を逆走し、位相回廊を“半歩先”で駆け抜ける。崩落する天蓋が雲海へと吸い込まれる直前、桟橋へと身を投げ出した。
飛行艇に転がり込んだ瞬間、浮遊遺跡は遠くで白い泡のように崩れた。
呼吸が戻るまで、誰も言葉を持たなかった。
やがてセインは、中枢室から回収した二つの戦利品を卓上に並べた。
一つは黒い楔――古い転位術式が刻まれた「転位楔」。もう一つは割れた水晶板。内部に記録された光の線が、断片的な航行ログを映す。
「読める?」
エリシアが身を寄せる。瞳に映る光の地図が、かすかに揺れた。
「全部は無理。でも、このマーカー……“アストラル浮遊都市”への搬送記録。それと――ここ」
セインは欠けた線の端に滲む印を指でなぞった。砂色の符と、貨物番号。
「“砂海集積陣・管制塔”。出荷元。黒蓮の“強欲派”が資材を集めてる拠点だ」
エリシアの呼吸が一瞬止まった。転位楔の外装に刻まれた紋様に、彼女は短く視線を留める。
「……見覚えがある。昔、港で見た商会印に似てる」
それ以上、彼女は何も足さない。セインも、問わない。
報告のために開いた魔塔の水晶通信が、低い音を鳴らした。
《確認した。転位楔は塔で解析する。だが、砂海の集積陣は時間がない。黒蓮の一団が大規模移送の準備に入っている――“嵐の通り道”を越えられる者は、君たちしかいない》
乾いた風音が、通信越しにも混じった。砂粒が擦れる、いやな音。
「砂漠か」
トーマが肩を回す。
「盾は砂にも強い。けど、視界が殺される」
「なら切り開くよ」
エリシアが魔剣の鞘を軽く叩く。「風を裂く斬り口、見せてあげる」
ミリアは静かに頷いた。
「私たちなら、行ける。ね、セイン」
「ああ。黒蓮の“次”は、砂の向こうだ」
飛行艇は向きを変え、雲海を抜けて東へ。夜明けの線が、砂の大地の端を薄く照らす。やがて、地平が煙のように揺らぎ始めた。砂嵐――砂漠が牙を剥く音。
四人は装備を締め直し、互いの視線で短く合図を交わす。
強欲の匂いは、必ず風に乗ってくる。
砂の門が開く。次の戦場が、彼らを待っていた。




