12話-ライオネス・グランツ-
オルドバルが演習場を蹂躙してから、もう数日が経った。
それでも学園の空気は、未だざわめきを拭えない。
朝の食堂。
パンの香ばしい匂いとスープの湯気が立ち込め、普段通りの喧噪が広がっている――はずなのに。
耳を澄ませば、必ずあの日の囁きが混じっていた。
「闘神が拳一つで沈めたんだって」
「ほんとに人間なのかよ……」
「禁忌竜が、どうして学園に……」
怖れと畏怖と憧れ。
それらがざわめきに混じり合い、日常の音に溶け込んでいく。
俺は席に腰を下ろし、焼きたてのパンを齧った。
向かいのトーマが豪快にスープを飲み干す。
「なあセイン、やっぱ夢じゃなかったんだよな」
「夢で竜に襲われてたら、今ごろ汗びっしょりで飛び起きてるだろ。……現実だ。鱗の破片もまだ残ってるはずだ」
「だよな……。でも一撃で沈めるなんて。ヴァルターさん、やっぱ化け物だわ」
その言葉に胸が熱を帯びる。
闘神――ヴァルター・グロウル。
彼の背中を見た瞬間、俺は確かに誓ったのだ。あの背に追いつくと。
そのとき、隣のミリアが小さな声で言った。
「……音が消えていない」
「音?」
「オルドバルの咆哮。普通なら死んだ瞬間に途切れるのに……地の底で、まだ尾を引いてる」
琥珀色の瞳が遠くを見ていた。
返す言葉を失い、俺は胸のペンダントを握る。石は今も、心臓と同じリズムで脈を打っていた。
⸻
午後。訓練場に立ち寄ると、人だかりの向こうで砂煙が舞い上がっていた。
髪が視界をかすめる。
「おい、田舎者」
鼻につく声。振り返らなくてもわかる。
ライオネル・グランツ。貴族の血を引き、剣に自惚れた男。
「学園を救った英雄様か? いや、違うな。拳を振るったのは学院長だけ。お前はただ突っ立ってただけだ」
「お前、朝からそれを言うために待ってたのか」
「はっ、俺は暇じゃない。ただ……気に入らんのだ。平民のお前がヴァルター様に目をかけられているのが」
剣が抜かれる。刃が光を弾き、周囲を照らした。
「立てよ、セイン。俺が“現実”を教えてやる」
ざわめく野次馬が円を描く。
俺も木剣を抜き、構えた。
――初撃は突き。鋭い。
反射的に受け流すが、肩に重みがのしかかる。ライオネルの剣筋は正確で、呼吸の隙がない。
「どうした、足が遅れてるぞ!」
「うるさい!」
打ち合うたびに腕が痺れ、衝撃が骨まで響く。
だが、俺は昼の稽古での言葉を思い出していた。
――呼吸と鼓動を読め。
ライオネルの胸の上下。砂の散り方。
呼吸が乱れる一拍――。
「今だ!」
木剣を滑らせ、彼の刃を外す。
崩れた肩口へ、切っ先を止めた。
静寂。
ライオネルの顔に影が走り、舌打ちが響いた。
「……ちっ、偶然だ」
「偶然でも勝ちは勝ちだろ」
剣を収めると、彼は吐き捨てるように言った。
「認めたわけじゃない。勘違いするな」
背を向ける横顔に、わずかな悔しさと、認めざるを得ない色が宿っていた。
⸻
観衆が散っていく中、ミリアが駆け寄る。
「セイン、大丈夫?」
「ああ……腕は痺れてるけどな」
「でも、よかった。音がまっすぐだった」
「音?」
「剣を振るうたびの響き。あなたのは濁っていなかった」
彼女の微笑みに胸が熱を帯びる。
不意に言葉がこみ上げたが、飲み込んだ。
ふと視界の端。回廊の影に白い袖口が揺れる。
カルバン先生。生徒に穏やかに微笑んでいた。
――だが、その瞳の奥が、一瞬だけ冷たく光った気がした。
俺はペンダントを握る。
オルドバルは倒れた。だが本当の影は、まだ終わっていない。
⸻
翌日。演習場の隅で一人稽古をしていると、砂を踏む音が近づいた。
「おい、昨日の勝負……借りは返す」
ライオネルだった。眉間に皺を寄せ、憎まれ口を叩きながらも、剣は真剣そのもの。
打ち合うたび、火花が散り、汗が砂へ滴る。
何度目かの衝突。止めたのは、ライオネルの方だった。
「……ちっ。どうしてお前が学院長に目をかけられるのか、まだわからん」
「わからないのは俺も同じだ。でも、戦うときは俺も真剣だ」
視線が交わる。敵意だけではない。
そこにあるのは、認めざるを得ない火花。
「……勘違いするな。仲間になるつもりはない」
「俺もお前と仲良くしたいわけじゃない」
「だが――背中を預ける場面が来たら、俺は逃げん」
憎まれ口の奥に滲む、わずかな和解の響き。
ライオネルは踵を返し、砂煙を巻き上げて去っていった。
⸻
その夜。
寮の窓から浮遊橋を見下ろすと、月明かりの下で影が揺れていた。
カルバン先生の背中。手に握られた白いチョーク。
地面へ描かれるのは――七芒星と荊冠。
「……やっぱり」
息が詰まる。
胸のペンダントが熱を帯び、鼓動と重なった。
優しい笑顔の裏に潜む棘。
その正体が、少しずつ姿を現し始めていた。
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