10話-闘神の一撃-
砂煙がようやく沈み、演習場に空の色が戻った。
けれど誰も息を深くは吸えない。声も出せない。
討たれた《鉄喰竜オルドバル》の巨体が、砂へ半ば沈む。
金属鱗が散り、焦げた鉄の匂いが喉に張り付いた。
「……ありえない」
隣でトーマが唇を震わせる。
「記録に残ってる。二十年前、兵団が幾百の犠牲でやっと封じた禁忌の竜だって……」
幻じゃない。
もし幻なら、ヴァルターの拳で鱗は砕けない。砂に転がる欠片が、それを証明していた。
胸の石が、まだ三拍でダン、ダン、ダンと鳴る。
――終わっていない。 竜の中に、微かな“音”が残っている。
⸻
◆止めの一手
ヴァルターは拳を下ろし、砂を払った。
だが次の瞬間、顎だけをほんの指幅、わずかに上げる。
闘神の視線が、竜の胸郭――核の奥を貫いた。
「静まれ」
低く落ちる声と同時に、彼は地を一度踏む。
重さはあるのに、音は軽い。
砂がわずかに踊り、竜の胸に沈黙の波紋が走った。
――無名の一撃。
名前のない一打が、世界から一拍を抜き取る。
残っていた微細な譜のざわめきが、まるで灯を吹き消すみたいに消えた。
三拍目の後、四拍目が来ない。
「恐れるな」
闘神の異名を持つ男が口を開く。
低い声は不思議と広場の隅々まで届き、震えた肩を落ち着かせた。
「これは学園そのものを狙った一撃ではない。外から呼び込まれた影だ。
お前たちに罪はない。――だが、影は確かに入り込んでいる」
ざわめき。
ミリアが細く息を吸い、琥珀の瞳で竜を視る。
「……祈りが混じってた。咆哮の“裏”に、誰かの声。呼ばれたの」
夢の囁きが甦る。
『光を汚せ。聖なるものを、堕とせ』。
――呼び戻したのは、人間だ。
ヴァルターがふいに振り返る。
「セイン」
鋭い眼差しに射抜かれ、思わず背筋が伸びる。
「……はい」
「恐れず剣を取った。それで十分だ」
短い言葉が、ずしりと胸に落ちる。
「だが影を見誤るな。鍛錬を怠るな。――授業の合間であろうとだ」
冷たさを含む眼差しの奥に、父に似た温度が灯っていた。
俺は深く頷く。胸の石が、それに合わせて一拍だけ静かに鳴った。
⸻
◆封鎖
教師たちが動き出す。
「全員、寮へ戻れ! 訓練場を封鎖する!」
光の網が幾重にも展開され、巨竜の亡骸を覆う。
結界の鎖が砂へ沈む影を縫い止め、音の逃げ道をふさぐ。
回廊へ向かう人の波。すれ違う声は同じだ。
「禁忌の竜が現れた」
「闘神が一撃で沈めた」
「どうして学園に……」
浮遊橋の灯さえわずかに揺れ、落ち着きを失って見える。
ふと、背に気配。
振り返ると、石柱の陰で白い袖口が揺れた。
「無事で何よりだ、セインくん」
カルバン先生。
穏やかな笑み。丸眼鏡の奥の瞳は、いつも通り柔らかい。杖の先が床をコツと鳴らす。
「怖かっただろう?」
「はい……でも、ヴァルターさんが」
「ああ。あの方がいる限り、学園は揺るがない」
慰めそのものの声。
けれど俺の視線は、杖先へ吸い寄せられていた。
床の目地に、小さな円。その中心を貫く斜線。
――昨日、黒板に描かれた“印”と同じ。
瞬きをした刹那、先生は微笑んだまま靴で印を踏み消す。
「明日は続きを話そう。地図の“第二の印”についてね」
声色は柔らかい。
なのに、背筋を撫でる冷たさだけが残った。
⸻
◆夜の脈
寮の窓から見る浮遊橋は、灯に縁取られて遠い王都まで糸のよう。
横になっても、胸の石は脈を繰り返し、眠りを拒む。
――光を汚せ。聖なるものを、堕とせ。
夢の声が耳ではなく骨へ忍び込む。
拳を握り、息を吐く。ヴァルターの背は壁だ。
だがその影に潜む何かを、放置してはいけない。
カルバン先生。
あの優しい声の奥に、俺は何を見た?
瞼が落ちる直前、ミリアの声が遠くで響く。
『世界は交響。壊れた旋律を、直さなくちゃ』
鼓動と石の明滅が、夢と現実の境を揺らしながらひとつに重なった。
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