誓約と刃、未来への選択
剣と剣がぶつかり合うたび、肉と骨が軋むような重みが響いた。ディランとゼフ――かつて戦場を共に駆けた二人の剣士が、魔法も加護も一切使わず、ただ鍛え抜かれた肉体と技だけをぶつけ合っていた。
「……やるな。衰えてなどいないようだな、ゼフ」
「貴様もだ、ディラン。……歳を重ねてなお、重さが増している」
ゼフの踏み込みと同時に、石畳が砕ける音が響いた。剣が唸りを上げて振るわれ、ディランの肩を狙う――だが、彼はそれをわずかに上体をひねることでかわし、逆にゼフの脇腹へと拳を叩き込む。
「ぐっ……!」
だがゼフは怯まず、肘でカウンターを放つ。ディランの顎にかすめた打撃が、火花のような痛みを走らせた。
「力任せではないな……貴様、本気で俺を止めにきている」
「当然だ。あの子を、もう二度と“鍵”にさせはしない」
剣が交差した瞬間、大気が震えた。
ディランとゼフ。かつて帝国を支えた二つの刃が、今や真逆の信念を胸に、激突する。
火花が散るたびに、赤い空が彼らの姿を異様に照らし出す。
「おまえは……まだ迷っているのではないか、ゼフ!」
「迷ってなどいない! 俺は、この世界を残すために戦っている!」
その言葉を聞いた瞬間、ディランの脳裏に過去の情景が閃く。
――あの夜。帝国中枢、禁忌の塔の頂上で。
風がなく、星も月も出ていなかった。世界が“閉じよう”としていた。
彼ら六人の将校たちは、帝国の命運を賭けて“契約”を交わした。
塔に現れたのは“神”と呼ばれる存在だった。正確には、“神を装った知性体”とも言える声。光も姿もなく、ただ概念として語りかけてきた。
『この世界は、限界を超えた。継続には“鍵”が必要だ。』
『お前たちは六つの誓約を立てよ。代償と引き換えに、この世界を継がせるのだ』
そして、提示された選択肢。
――命を分ける者
――過去を封じられる者
――未来を縛られる者
――言葉を閉ざす者
――影を喪う者
――感情を捧ぐ者
ゼフは「未来を縛られる者」として契約した。以後、彼の人生は“神の意志”に従う運命となった。自由意志を捨て、正しき未来を選び続けること。それが彼の確信の根源だった。
「ゼフ、お前は……まだ、あの夜の言葉に縛られているのか!」
「縛られてなどいない。“受け入れた”のだ。俺は、俺の責務を果たす」
「それが、ユリオを評議会に渡すことか!」
「そうだ。彼は“鍵”だ。世界を閉じ、やり直すための……!」
その瞬間、サリウスが目を見開いた。
「やはり……“夜の契約”は、世界の再構築を前提としていた。だがゼフ、お前は勘違いしている。鍵は“閉じる”ためだけのものじゃない」
ゼフが剣を止めた。一瞬の逡巡。だがその間隙をつくように、突如として魔素の流れが乱れ――
「俺たちは……互いに何を捧げたかを、知っている。だから、手を抜く気も、止まる気もない」
ディランの言葉に、ゼフは黙って頷いた。
再び剣が交錯する。打ち合い、かわし、踏み込み、崩し――
ゼフが一歩引く。それを見逃さず、ディランが鋭く追い込む。身体を捻り、ゼフの膝へと蹴りを放つが、ゼフは地面に片手をついてかわし、起き上がりざまに肘打ちを喰らわせた。
「……っ、相変わらず、反応だけは異常だな……!」
「生き残るためには、な」
額から汗が垂れ、呼吸が荒れる。だが、戦いの手は止まらない。
次の一撃で、決める。
二人は同時に踏み出した。ゼフの剣が肩口を狙い、ディランの刃が腰を撃ち抜こうとする。数センチの差。体重移動の速さ、目線の動き、骨の軋み――そのすべてが勝敗を決める。
その瞬間、ゼフの動きがわずかに鈍った。脳裏に、あの夜の光景が蘇る。
セインが、命を削りながら子供の胸を庇った姿。 そして、“感情を捧ぐ者”が無表情に刃を振るった瞬間。
「ゼフ――!」
ディランの叫びと同時に、刃がゼフの腕を裂いた。だが、彼は動きを止めず、そのままディランの腹を拳で撃ち抜く。
互いに一歩、二歩と離れ、剣を構えたまま呼吸を整える。
血が滴る。
「……俺たち六人が、あの夜に何を誓ったか。まだ終わっていない」
「そうだ。だが――今度は、終わらせるために戦う。俺たち自身の意思で、な」
ディランが静かに構えを解いた。ゼフもまた、剣を下ろす。
「俺は……未来を縛る者。自由を捨てて、秩序を保つことが俺の誓いだった!」
その言葉とともに、ゼフの光ように早い刃がディランの手足を封じようと迫る。
しかし――
「ユリオが、“開くために来た”と言ったんだ。なら、俺たちは“閉じるだけの存在”じゃない!」
ディランの刃がゼフの胸元へ迫る。
「お前は……まだ、自分で“選べる”!」
そして、ゼフは――
剣を、止めた。
ディランの刃は彼の胸元ぎりぎりで止まり、風だけが彼の銀髪を撫でた。
「……俺は、もう選んでいたのかもしれんな。あの少年の言葉を聞いた時から……」
ゼフの魔紋が崩れ始める。光がひび割れ、彼を縛る契約が解除されていく。
「“未来を縛られる者”、契約違反……解除、か」
膝をつき、ゼフは剣を地に落とした。
「ようやく……自分の声を聞けたよ」
ディランは、ただ静かに剣を下ろした。
「……なぜ、お前の顔を……忘れられなかったのか。お前の契約した影を喪う者は存在を消されるのに。ずっと疑問だった。帝国の記録にも、お前の名は消えていた。なのに、俺は……確かにお前を知っていた」
彼の瞳に、かすかに過去の光が宿る。
「俺たちはあの夜、神と共に六つの誓約を結んだ。その瞬間、世界の理に触れた。だから、忘れられなかった。お前も……同じだったんだろう?」
ゼフは苦笑するように目を伏せる。
「“未来を縛られる者”……それが俺に課された役割だった。過去を手放し、ただ命令に従うことで、未来を閉じる鍵として生きる。それが俺の存在理由だったはずだ……!」
彼の体が軋み始める。契約の魔紋が鎧の下から浮かび上がり、光が弾ける。
「だが……今、迷っている。あの少年を見て、戦って、お前の声を聞いて……俺は、自由に“疑って”しまったんだ!」
ゼフの体が膝をついた。剣が落ちる。
彼の口元に、皮肉とも安堵ともつかぬ笑みが浮かぶ。
「ようやく、お前と同じ場所に立てた気がするよ……ディラン」
「……遅すぎたな」
ディランの声には怒りも憎しみもなかった。ただ、かつての仲間を看取るような静けさがあった。
その時、別の気配が広場に入ってきた。
「……終わったか」
サリウスだった。すぐあとを、バルクが追う。
「こちらも…あらかた片付いた」
バルクが頷く。
ディランが振り返る。だが――ユリオの姿がない。
「……ユリオ?」
風がざわめいた。視界の端、教都の奥で一瞬だけ揺れる影が見えた。
「しまった――!」
サリウスが駆け出す。バルクがそれを追い、ディランも剣を握り直して走り出す。
その先に待っていたのは――“感情を捧ぐ者”。
かつて“夜の契約”を結び、セインが命を落としてまで守ったあの子供に、最後の刃を向けた存在。
広場に残されたゼフが、かすかに目を細めた。
「まだ……終わらない、か」
彼の意識が、薄れゆく赤空の下へ溶けていった。