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邂逅 2

世界が、軋む。



シェイドが詠唱を口にした瞬間、大地が波打った。世界言語による〈神律魔法〉――それは言葉でありながら法則そのものを上書きする。彼の声が響くたび、空間が沈み、大気が震え、自然の摂理がねじれていく。


「――“名を持たぬ理”よ、命を逆巻かせ、因果を束ねよ」


虚空が裂け、空間の奥底から黒銀の触手のような〈概念の残滓〉が現れる。時間も距離も意味を持たない次元の断面。そこから顕れた魔力が、シェイドの周囲を取り巻く。


サリウスは静かに指を鳴らした。


ただそれだけで、彼の周囲の空間が“沈黙”した。音も光も、一切を拒む完璧な封域。彼の魔術は、あらゆる現象を“停止”させる方向に働く――神律に触れたことで得た、時間への干渉能力。かつて封印されたのも、この力を恐れられたからだ。


「相変わらず、派手だな。シェイド。だが世界の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せない」


「幽閉されていた男が、ずいぶん余裕だな。……だが俺は、君と違って、現実の“時”を見続けてきた」


その言葉に、サリウスの瞳がわずかに揺れる。


――あの実験の後、二人は確かに神律に触れ、“老い”と“死”から解き放たれた。だが代償もまた大きかった。


サリウスは評議会によって地下深く、時の流れすら届かぬ幽閉結界に封じられた。時間の外側に存在し、永遠に思索と孤独のなかで腐ることなき意識を保ち続けた。


一方のシェイドは、現実の中で世界を歩き続けた。不老不死の存在として、歴史を観察し、変化し、秩序を“見届ける”存在としての役割を担わされてきた。


「見てきたさ。王朝の崩壊も、文明の誕生も、無数の罪も。……君がいなかった時間で、世界は何度も壊れそうになった。そして、そのたびに俺は――“律”を思い出したんだ」


「哀れだな。君の中の“正義”は、まだそのままか。……だから、まだ人間のままでいられる」


サリウスが手を振ると、空間の断面が露出する。無限の歪みが広がり、視界が暗転する。その中から現れたのは、純白の魔法陣――“時間軸の外”から力を引き出す、禁忌中の禁忌。


「〈外律転写陣〉……!」シェイドが目を見開いた。「まだ使えるのか……!」


「幽閉されていた間、何もしていなかったとでも?」



次の瞬間、時間が圧縮される。


シェイドの魔法が時空を裂き、並行世界の断片を一時的に具現化させる。そこから飛び出すのは、存在しなかったはずの“未来の魔術”――彼が見続けてきた可能性の集積だ。


一方、サリウスの魔術は、それらを“確定”させる前に凍結し、打ち消す。“結果”が起こる前に“始まり”を断ち切るという、神のような力。


「君の力は確かに進化した。だが、それは“人間”の目線だ。私はもう違う」


「違うさ。君は自分を“超越者”とでも思っているんだろう。だが、そんなものは幻想だ。……君の知識は、君の信仰に過ぎない」


魔法がぶつかるたびに空間が壊れ、瞬時に修復される。世界の法則が一時的に失われ、それでも現実は持ちこたえる。これはもはや“戦闘”ではなく、“原理”の殴り合いだ。


サリウスが手を掲げた。


「終わらせよう。これ以上、世界に無意味な干渉を加えるつもりはない」


詠唱なしで発動される“封界陣”。空間全体が白く塗り潰され、あらゆる存在が“静止”する。


だが――


「……見えてるぞ、サリウス」


シェイドは、動いていた。


「君の魔術には“確定した過去”しか干渉できない。だが俺は、“観測していない未来”を操作できる。――君にはもう届かない領域だ!」


シェイドの掌から放たれた一閃。それは〈現実律〉にまで干渉する“全否定”の魔法――『失認オブリヴィオン』。


空間が崩れる。


サリウスの身体が“存在しなかったこと”にされかけたその瞬間、彼は僅かに笑った。


「君が……私を“見ていた”というのは、嘘ではなかったな」


消えかけた身体から光が溢れる。


「だが私も、君の“限界”を見ていた。……これは、律の修正だ。お前と私、どちらかが残ればいい」


二人の魔術が爆ぜる。


爆裂した魔素が空を裂き、時間そのものが軋んだ。


二人の魔術がぶつかり合ったその瞬間、世界は一度、完全に“停止”した。


重力も音も、色さえも失われた空間に、ただサリウスとシェイドだけが立つ。


この世界は、二人の“意思”の干渉によって創られた仮初の結界――どちらか一方が力尽きれば、全てが崩壊する。


サリウスの片腕は焼けただれ、蒼白の魔素がその断面から漏れ出している。だが彼の目は、まだ研ぎ澄まされていた。


シェイドもまた膝をつき、血を吐きながら、それでも右手を掲げたままだ。


「……終わりにしよう、サリウス」


「……ああ」


静かだった。


互いに、もうこれ以上の力は残っていない。


いや――それは嘘だ。どちらも“最後の一手”は温存している。放てば、確実に相手を消せる。だが同時に、自らも傷つく。世界に深すぎる亀裂を残す。


「君は……あのときから、変わっていなかった。真理を追い続け、誰よりも、世界に優しかった」


「君は……ずっと私を見ていた。だからこそ、“間違い”を正すために、ここまで来た。……ありがとう。シェイド」


沈黙が降りた。


二人は、同時に魔術を解いた。


空間を圧迫していた神律の干渉が消え、現実の空気が戻ってくる。空が青さを取り戻し、風が頬を撫でる。鳥の鳴き声が、どこか遠くで聞こえる。


「……お互い、不老不死になんてなるべきじゃなかったな」


シェイドが苦笑しながら言った。


「そうだな。永遠に“答え”を探し続けるなんて、罰に等しい」


サリウスはゆっくりと立ち上がり、崩れ落ちた外套を拾い上げた。その手の震えは止まっていない。


「これから、どうする?」


「評議会がどう動くかによるな。……だが私は、もう戦いたくない。君を封じる理由も、失われた」


シェイドの瞳に、一瞬だけ光が差した。


「なら、共に行こう。世界がまた“律”に触れる時、我々の知が必要になる」


サリウスは目を閉じ、そして、わずかにうなずいた。


「……一人で、耐えるには長すぎたからな。もう、いいだろう」


ふと、空が震えた。


遠くで爆音が響く。ゼフとの戦いの始まりを告げる音だった。


シェイドはその音の方角を見て、短く息を吐いた。


「やはり来たか。――あの少年、君の研究の“延長”にある存在だろう?」


「いいや。彼は……私たちの“過ち”を終わらせるために現れた存在だ」


サリウスの声に迷いはなかった。


「ならば見届けよう。世界が、彼によってどう変わるのかを」


魔術師たちは歩き出す。


かつて、神に最も近づいた者たち。


その知を、今度こそ“正しく”使うために――。




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