再び交わる線
空が、赤い。
それは夕焼けの温もりではなかった。冷たい風が吹き抜ける空の下、大気には目に見えぬ瘴気が混じり、視界を赤黒く染め上げていた。不穏な魔素が雲を裂き、遠雷のような轟きを孕んで蠢いている。
廃都レグリスを離れて三日が経過した。
旅の一行――サリウス、ディラン、バルク、そしてユリオ――は、かつて信仰と法の都として知られた旧教都市〈アストリア〉の廃墟へと辿り着いていた。今では荒廃した街だが、地下には未だ聖務評議会の残党が潜伏しているとの情報があった。
「……奴らは、まだ“律”を求めて動いている。おそらくユリオの存在にも、気づいているだろう」
サリウスの声は冷たく、刃のように鋭かった。彼の背に流れる漆黒の外套が風に揺れ、赤い空と対をなすようにして視界に溶けていく。
「なら、始末しておくべきだな。今のうちに」
バルクが呟くように言った。獣の紋を宿す右手の甲が淡く発光し、周囲の魔素に共鳴して脈動する。その眼差しは常に静かで、しかし常に戦う覚悟を宿していた。
「俺は北側の地下礼拝堂を抑える。奴らの退路を塞ぐには、あそこを潰すのが早い」
バルクが短く言い、足音も静かに瓦礫の間を抜けていく。
「私は中央回廊に残された封印を確認する。……もし、あれが未だ機能していれば、儀式を遅らせる手立てにはなる」
サリウスもまた、淡々と告げてその場を離れた。
残されたのは、ディランとユリオ――そして、深まる空の赤だけだった。
不意に、寺院の鐘が鳴った。
その音は異様に早かった。警鐘――だがそれは侵入者を知らせるものではなかった。これは“訪問者”を迎える鐘。長年使われていなかったはずの鐘が、今鳴るということは――。
空気が張りつめる中、一行の前に男が現れた。
銀白の鎧をまとい、背には紋章入りの黒いマント。日没前の赤い空を背負って立つその姿は、まるで英雄譚の一場面のように荘厳だった。
「……久しいな、ディラン」
その声に、ディランの顔が凍りついた。
現れたのは、かつての盟友。帝国軍第一師団隊長――〈ゼフ・アルディウス〉。栄光の時代を共に駆け抜け、そしてディランを“裏切り者”として追放した男。
「まさか……生きていたとはな。おまえも、その少年を連れていたとは」
ゼフの視線がユリオへと向けられる。その目にあったのは、憎悪でも敵意でもない。“評価”。まるで兵器を見る軍人の目だった。
「……これは命令ではない。忠告だ。その少年を、評議会へ引き渡せ。でなければ、この世界に明日は来ない」
「ふざけるな」
ディランが剣に手をかける。その指先に宿る力は、かつて帝国で数多の戦場を制した者のそれだった。
「お前はまだ、あの腐った命令に従っているのか」
ゼフは静かに首を振る。
「違う。今はもう、命令ではない。これは“確信”だ」
彼の声には迷いがなかった。
「――俺たちの帝国が滅びたのは、あの夜の“契約”からだ。すべての始まりは、“その子”だ」
言葉の意味を問うより先に、サリウスが目を細めた。
「……見ていたのか。あの塔で、神が最後に言葉を残した瞬間を」
ゼフは頷く。かすかに顔を伏せ、その記憶を噛み締めるように。
「見たとも。そして今も忘れていない。世界を“閉じる”ための鍵。それが……その少年だ」
ユリオは、その言葉を静かに受け止めていた。恐怖も混乱もなかった。代わりにあったのは、決意だった。
彼は一歩、前へ出た。
「僕は、自分が何なのか、まだ全部わかっていない。だけど――閉じるためじゃなく、“開く”ために来たんだ」
言葉の響きは穏やかだった。しかしその芯には、誰にも屈しない意思が込められていた。
ゼフの瞳がわずかに揺れる。
「……それは、神の意志に逆らうということだぞ、少年」
「神がどう言おうと、僕は……人間だから。未来は、選びたい」
その瞬間、空気が変わった。沈黙が辺りを包み、赤い空がさらに深く染まる。
ゼフはやがて、その静寂を断ち切るように剣を抜いた。白銀に輝く刃は、まるで過去そのものを象徴するかのように重く、鋭い。
「ならば……力で示せ。“未来を選ぶ”者が、過去の重みを超えられるかどうか――俺自身の手で、試してやる」
ディランもまた、剣を抜く。かつて背中を預け合った男同士が、今や互いの未来をかけて刃を交える運命にあった。
バルクが一歩引き、ユリオを庇うように立った。サリウスは目を閉じ、何かを見極めるように黙していた。
風が鳴り、鐘の音が遠ざかっていく。
いま、歴史が動こうとしてい