回想 サリウス・レイヴァント
魔術師は生まれながらにして選ばれる――それが、この世界の常識だった。
万物を構成する見えざる粒子“魔素”は、すべての命に遍く宿るとされているが、それを感じ取り、操ることができるのは限られた者のみ。魔術師とは、神が与えた“才能”によって選ばれし者。人の努力や欲望ではどうにもならぬ、血と宿命に支配された存在。
サリウス・レイヴァントも例外ではなかった。
貴族レイヴァント家の長子として生を受け、生後すぐに王立魔導院からの“選定者”が派遣された。選定とは、魔素との親和性を計るための特別な儀式である。幼子の額に触れ、古の呪文を唱えたとき、選定者は息を呑んだという。
サリウスの内に眠る魔素の密度は、前例のない異常値を示していた。
かくして、サリウスは王立魔導院に“天才”として迎えられた。七歳にして初等魔術を完全に修得し、十歳で中等魔術の応用に成功、十二歳で上級術式の再構築を試み、ついには独自の理論を展開し始める。
彼の魔術は、まさに異才だった。
だが、サリウスは満足しなかった。天賦の才にあぐらをかくことも、称賛に酔うこともなかった。むしろ彼は、常に焦燥を抱いていた。
――この魔術は、どこまで行っても“表層”だ。
世界を構成する“魔素”とは何か。その源は、どこにあるのか。神話の時代、天が閉ざされたとはどういう意味か。なぜ神々は去り、地上に混沌だけが残されたのか――
世界の“根源”を知りたい。
その飽くなき探求心が、やがて彼を“禁忌”へと導いた。
〈神律書〉――伝説に語られる、神が記したと言われる書物。現世に存在するすべての魔術の基盤を成す、失われた“根源言語”の記録。その書を手にしたとき、サリウスは確信した。
「これは……“魔術”ではない。世界の“設計図”だ……!」
彼は狂った。いや、世の大多数がそう見なした。神律書に書かれていた呪文は、単なる術式の範疇を超えていた。空間を歪ませ、時間を遡行し、存在そのものに干渉する可能性を秘めていた。サリウスはその言語を解読し、自らの血と魂をもって儀式を実行した。
その結果――“次元の歪み”が発生した。
王都の地下研究施設に集められていた三十余名の魔術師たちは、儀式の共振に巻き込まれ、一瞬にして存在を喪った。爆発も、破壊もなかった。ただ静かに、確かに、彼らは“消えた”。
王立魔導院は騒然となった。だが、サリウスを裁くことはできなかった。なぜなら、その理論の一部すら理解できる者が、彼を除いて誰も存在しなかったからだ。
唯一出された結論――彼を、この世界から隔離すること。
王立魔導院の最深部、王都レグリスの大聖堂。かつて神の声を記録したという祭壇の地下に、強大な封印術式が組まれた。
百年の封印。
彼の肉体は、律にふれたことにより老いることも、死ぬこともなかった。だが、時間の感覚だけが失われた。暗黒の中、感覚はやがて研ぎ澄まされ、外界の“気配”すら感じ取れぬほど孤絶した。
独りきりの闇の中で、サリウスは問い続けた。
「知識は、罪なのか」
問いに答える者は、いなかった。神でさえも。
だが、封印の百年が過ぎ、ついにその扉が開かれるときが来た。
目覚めたサリウスの前に現れたのは、一人の少年だった。
名は、ユリオ。
まだ十歳にもとどかない幼い少年。あまりにもか弱く、無垢で、魔術師とは思えぬ存在。だが、彼の中に流れる魔素は、サリウスがかつて感じたどの魔術師よりも純粋で、強い“真理”の気配を孕んでいた。
それはまるで、神律書に触れたあの瞬間の感覚と酷似していた。
サリウスは少年の瞳を見つめ、静かに呟いた。
「……興味本位ではない。私は、この世界の最期をこの目で見届ける義務がある。あの子が導くのなら――尚更だ」
封印の結界はすでに弱まり、サリウスを縛るものは存在しなかった。
こうして、百年の時を経て、かつて“天才”と称された魔術師は再び世界へと歩み出す。
真理を求める旅は、まだ終わっていなかった。