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終焉の旅路  作者: 椿野蒔琉


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行く末

風が変わった。


 モネッサは足を止め、無意識に指先を立てる。

 雨を孕んだ空気の奥に、微かだが確かな“歪み”があった。


 ――来た。


 それは敵意でも殺気でもない。

 だが、彼女にははっきりと分かった。


 サリウスの魔法だ。


 精緻で、静かで、それでいて決して偶然ではない配置。

 道の分岐、地脈の流れ、風向き――すべてが「特定の存在だけを拾い上げる」ために組まれている。


 モネッサは息を吐いた。


「…、なるほどな」


 合流の目印。

 そして同時に、追跡者を炙り出す罠。


 彼女は一瞬、足を進めかけ――止めた。


 その魔法に、もう一つ“影”が重なったからだ。


 鈍く、重く、嫌に生々しい感触。

 かつて何度も背後に感じてきた気配。


 ――感情を、削ぎ落とした刃。


 キャシアス。


 やはり、来たか。


 モネッサは唇を噛み、目を閉じる。

 評議会が彼を手放さない理由は分かっている。

 感情を捧げるという歪な契約が崩れかけた今でさえ、彼は“使える”存在だからだ。


 そして――


「……私を、追わせてる」


 それが評議会の狙いだ。


 ディランたちと合流させないために。

 サリウスの魔法を辿れば、必ずキャシアスは“獲物”を見つける。


 ならば、選ぶべきは一つ。


 モネッサは踵を返した。


 サリウスの魔法陣から、わずかに外れる方向へ。

 地脈の薄い、追跡に不向きな旧道。


 「……悪いな、ディラン」


 独りごちる声は、風に溶けた。


 彼女は知っている。

 合流しないことが、裏切りに見える可能性を。


 それでも――


「私はもう、“過去を封じられる者”じゃない」


 誰かのために刃になる役目は終わった。

 今は、自分の意思で“選ぶ”だけだ。


 キャシアスの気配が、確かに動いた。

 サリウスの魔法に引き寄せられ、だが同時に、こちらへも視線を向けている。


 獲物は二つ。

 だが、彼が本当に狙うのは一つだけ。


 ――自分だ。


 モネッサはフードを深く被り、足を速めた。


 合流地点を外れる。

 それは逃走であり、同時に“時間稼ぎ”でもある。


 ディランたちが、ユリオを守るための時間。


 そのためなら――


「……私一人、追われるくらい、安いものよ」


 雨が、静かに降り始めた。


 サリウスの魔法は、なおも淡く脈打っている。

 それを背に、モネッサは消えた。


 再会は、きっと――

 もう少し、先だ。




◆◆◆◆◆




 ――外れた。


 キャシアスは立ち止まり、わずかに眉をひそめた。


 追跡の魔法に頼らずとも分かる。

 空気の流れ、足跡の乱れ、微細な魔力の残滓。

 それらが、同時に一つの事実を示していた。


「……サリウスの術だな」


 あの男らしい。

 目立たず、だが確実に“呼ぶ”配置。


 本来なら、迷う余地はなかった。

 魔法に従えば、合流点に辿り着ける。

 獲物は揃っている。


 ――はずだった。


 だが、今。


 そこに“重なっていたはずの気配”が、一つ、抜け落ちている。


 キャシアスは舌打ちした。


「……モネッサ」


 名を呼ぶ声は低く、乾いていた。

 怒りでも、憎しみでもない。

 ただ、計算が狂ったことへの不快感。


 彼女は気づいたのだ。

 術そのものに、ではない。

 “術を辿る者の存在”に。


 それが分かった瞬間、キャシアスの胸の奥で、久しく忘れていた感覚が蠢いた。


 ――苛立ち。


 自分が、読まれた。


 感情は不要だ。

 戦いにおいて、迷いは刃を鈍らせる。

 そう信じ、そう生きてきた。


 なのに。


「……逃げた、か」


 その事実が、なぜか気に障る。


 彼女は正しい判断をした。

 自分が彼女の立場でも、同じ選択をしただろう。


 それでも――


 キャシアスは無意識に、彼女の進路を追うように一歩踏み出していた。


 風が告げる。

 足音の間隔。

 呼吸の癖。


 間違いない。

 合流地点から、外れている。


 その瞬間、彼の脳裏に評議会の言葉がよぎる。


 ――「可能であれば捕縛。不能であれば、処分」


 簡潔で、冷たい命令。


 だが、彼は知っている。


 評議会が恐れているのは、モネッサ個人ではない。

 彼女が“選んだ”という事実だ。


 契約を失い、なお自分で動く者。

 過去を封じられることなく、過去を背負ったまま進む存在。


 それは、危険だ。


「……感情を、持ったまま刃を振るう者ほど、始末しにくいものはない」


 かつて、彼はそう言った。

 ディランに向けて。

 セインを庇ったあの夜に。


 そして、今。


 自分自身が――


「……妙だな」


 呟きが漏れる。


 彼女を追う理由を、論理で説明できない。


 任務だから。

 危険だから。

 排除すべき存在だから。


 どれも正しい。

 だが、どれも“足りない”。


 キャシアスは、拳を握りしめた。


 魔法を使おうとする。

 だが、以前のような“無”の感覚は訪れない。


 胸の奥に、何かが引っかかっている。


 ――悔しさ。


 自分が、見抜かれたことへの。


 彼は笑った。


「……久しぶりだな、この感じ」


 感情を捧げたはずの心が、まだ動く。

 それが、ひどく不快で――同時に、妙に鮮明だった。


 進路は、二つ。


 サリウスの術を辿れば、ユリオたちに至る。

 モネッサを追えば、単独の獲物。


 合理的なのは、前者だ。


 だが――


 キャシアスは、後者を選んだ。


「……逃げ切れると思うなよ、モネッサ」


 それは、任務のためではない。

 秩序のためでもない。


 ただ――

 “選んだ者”が、どこまで行けるのか。


 それを、見届けたいという衝動。


 キャシアスは雨の中へ踏み出した。


 その背を押すのは、捨てたはずの感情。

 そして、まだ名前を付けられない、歪んだ執着だった。



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