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終焉の旅路  作者: 椿野蒔琉


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24/25

撤収 そして

全身に血を浴び、肩で息をするバルクの姿があった。


 戦場は、ひとときの静寂に包まれている。

 彼の斧が焼き払い、叩き伏せた兵たちの亡骸が、焦げた大地に無秩序に転がっていた。血と煤の匂いが混じり合い、鼻腔を刺す。


 だが、それは終わりを意味しない。


 遠くから、確実に近づいてくる気配があった。足音。金属の擦れる音。命令を伝える低い声。

 増援は止まらない。刻一刻と、空気は再び殺気を帯びていく。


 「……チッ、キリがねぇな」


 吐き捨てるように呟き、バルクは斧を地面に突き立てた。

 柄を握る指が、微かに震えている。力が抜けそうになるのを、歯を食いしばって抑え込む。


 傷だらけの体に、無理矢理魔力を走らせた。

 内側から焔が燃え上がる感覚に、喉の奥が焼けつく。視界が一瞬、白く揺らいだ。


 それでも、倒れるわけにはいかなかった。


 ディランたちがユリオを連れて逃げた以上、自分は“撒き餌”でなければならない。

 ここで立ち止まり、敵を引き付け続けること。それが、自分に残された役割だ。


 だが――。


 「……ここまで、か」


 己の体が限界に近づいていることは、誰よりも本人が理解していた。


 バルクは斧を引き抜き、燃え残った兵の鎧からマントを剥ぎ取った。煤と血で汚れたそれを羽織り、顔を深く覆う。

 焔の気配を意識的に沈め、足音すら殺して、森の闇へと身を滑らせた。


 追撃の声が上がるより早く、彼は包囲網を抜けていた。


 「くそっ…………」


 森を駆けながら、ふと零れた声。

 クィライスで待っているはずの、あの仲間たちの顔が脳裏をよぎる。


 大人びた言葉遣い。冷静な判断。だが、その奥に隠された不安と覚悟。

 「……が、今あそこに行きゃ、真っ先に俺が足引っ張るだけだろ」


 悔しげに吐き捨て、拳を握る。

 自分が向かえば、敵もまたそこへ集まる。モネッサを危険に晒すだけだ。


 ――ならば、今は退く。


 バルクは判断した。一旦身を隠し、体力を戻す。そのうえで、合流の目を残す。

 生き延びることも、戦いなのだと、自分に言い聞かせながら。


 


 クィライスから南へ三日。

 商人の通り道として知られる都市・レンメルに、バルクは潜伏した。


 石造りの街並みは人の往来が多く、追手の目も紛れやすい。

 そして何より――ここには、古い知人がいた。


 鍛冶屋ヴァルダ。

 バルクと同郷の女であり、数少ない“昔の借り”を持つ相手だ。


 倉庫の奥。火を落とした炉の横で、ヴァルダは腕を組んで立っていた。


 「……相変わらず、ひでぇ格好で帰ってくるね」


 低く、よく通る声。

 女にしては大柄な体躯。太い腕には、鍛冶で鍛え上げられた筋肉が浮かんでいる。


 「文句言うな。生きてるだけマシだろ」


 そう言い返しながら、バルクは斧を差し出した。


 「手入れ、頼めるか」


 ヴァルダは一瞬、目を見開き、それから鼻で笑った。


 「……ったく。何年経っても、それだけは手放さないんだね」


 その斧は、ヴァルダが若い頃に打ったものだった。

 女が鍛冶をやるなどと嘲られ、体格や力のかけ方を理由に何度も否定された時代。それでも食らいつくように炉に向かい続けていた頃の作品。


 「お前の斧は、振ると分かる。余計な嘘がねぇ」


 昔、バルクがそう言ったことを、ヴァルダは今でも覚えている。


 「馬鹿みたいな理由だ」


 そう言いながらも、斧を受け取る手は優しかった。


 炉に火が入り、金属が赤く染まる。

 ヴァルダは手慣れた動きで刃を整え、歪みを直し、微細な欠けを丹念に潰していく。


 その間、バルクは椅子に座らされ、強引に上着を剥がされた。


 「おい、何する気だ」


 「何って、手当だよ。見りゃ分かるだろ、このザマ」


 ヴァルダは悪びれもせず、薬草を潰し始める。

 傷口に塗り込まれるたび、鈍い痛みが走った。


 「声出すなよ? 情けないから」


 「言う相手が逆だろ……」


 だが、不思議と苛立ちはなかった。

 荒れきっていた胸の奥が、少しずつ静まっていくのを感じる。


 「……で、今回は何から逃げてきたんだい」


 斧を打ちながら、ヴァルダが問う。


 バルクは一瞬、言葉を選び――やがて、短く答えた。


 「……守りたいもんが、増えた」


 ヴァルダは、それ以上聞かなかった。

 ただ、「そりゃ厄介だね」とだけ言って、火を見つめる。


 「でもさ」


 槌を置き、振り返る。


 「アンタがそれ言うってことは、本気なんだろ」


 その一言が、胸に落ちた。


 「……ああ」


 夜。

 酒瓶を片手に、バルクは倉庫の天井を見上げていた。


 「……なんでだろな。アイツが泣いてんの見ると、殴ってやりたくなるんだよ」


 答える者はいない。

 だが、ヴァルダの背中が、近くで作業している気配だけがあった。


 「情けねぇな」


 「情けなくて結構じゃないか」


 ぶっきらぼうな返事。


 バルクは、ぽつりと続けた。


 「あいつが神だろうが、なんだろうが……ユリオは泣くんだ。苦しいって顔するんだ。

 だったら、助けてぇに決まってんだろ」


 握りしめた拳に、再び赤い焔が宿る。


 「もう一回だ。もう一度、立て直す。今度こそ、誰にも触らせねぇ」


 ヴァルダは、完成した斧を差し出した。


 「だったら、折れんなよ。アンタが折れたら、この斧も泣く」


 バルクは、斧を受け取る。


 「……ああ」


 焔の戦士は、再び立ち上がった。


 まだ遠いマルダナの街。

 モネッサと、ユリオたちとの再会。そのために。


 今は、力を蓄えるだけだ。



◆◆◆◆◆



 バルクが倉庫に現れた瞬間、ヴァルダは「生きて帰ってきた」と理解した。


 それだけだ。

 無事だとか、安心したとか、そんな柔らかい言葉は似合わない。


 血と煤にまみれた体。呼吸は荒く、立っているだけで精一杯なのが見て取れた。

 それでも、目だけは死んでいない。あの男特有の、折れていない眼だ。


 ――また、無茶をしてきたな。


 そう思いながらも、口に出たのは皮肉だった。


「相変わらず、ひでぇ格好で帰ってくるね」


 するとバルクは、いつものように肩をすくめる。


「文句言うな。生きてるだけマシだろ」


 まったく、その通りだ。

 ヴァルダは斧を受け取る。


 ……懐かしい重み。


 この斧を打ったのは、まだ自分が“女の鍛冶屋なんて無理だ”と言われ続けていた頃だ。

 腕力が足りない、体格が向いていない、力のかけ方が違う。

 何度も何度も否定された。


 それでも、炉の前に立つことだけはやめなかった。


 そんな時に現れたのが、バルクだった。


 斧を一振りして、ぽつりとこう言った。


 ――余計な嘘がねぇな。


 それだけで、十分だった。


 彼は誰よりも、この斧を信じて使い続けた。

 折れそうになっても、欠けても、直せばいいと当然のように言った。


 だから今も、こうして戻ってくる。


 「……また、酷使してるね」


 刃を火にかけながら、ヴァルダは言う。


 バルクは答えない。

 その代わり、黙って体を預けてくる。


 薬草を潰し、傷口を酒精の強い酒で洗い、清潔な布をあてる。

 痛みに顔を歪めても、声は上げない。


 昔からそうだ。

 痛いのは当たり前だと、最初から受け入れている。


 「守りたいもんが、増えた」


 ぽつりと出たその言葉に、ヴァルダは手を止めなかった。


 ――ああ、そうか。


 この男はいつも、そうやって重たいものを抱えていく。


 昔は、国だった。

 次は、仲間だった。

 そして今は……名前を口にしない誰かだ。


 夜。

 酒瓶を手にしたバルクが、天井を見上げている。


 「情けねぇな」


 そう言った声は、少しだけ弱っていた。


 ヴァルダは思う。

 情けないんじゃない。ようやく、人に戻ってきただけだ。


 泣く誰かを見て、怒れる。

 守りたいと思える。


 それは、強さだ。


 完成した斧を渡しながら、ヴァルダは言った。


「アンタが折れたら、この斧も泣く」


 本当は、斧じゃない。

 泣くのは、自分だ。


 だが、そんなことは言わない。


 バルクは頷き、斧を握る。


 その背中を見送りながら、ヴァルダは炉の火を落とした。


 ――行きな。


 守りたいものがあるなら、行くしかない。


 帰ってこい。

 斧が折れたら、また直してやる。


 それが、鍛冶屋の役目だ。



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