評議会からの追放
灰色の雨雲が垂れ込める空の下、モネッサとシェイドは評議会本部の石造の塔へと歩を進めていた。廃都から東へ三日、ひたすらに無言の旅路を続けた末に辿り着いたこの地は、かつて栄えた魔導都市の跡地に築かれたものだ。その空気には、冷たさだけではなく、何かを拒むような硬質の圧力が混じっていた。二人の肩には、重い霧のような意思がのしかかっているかのようだった。
塔の扉が音もなく開かれ、評議会の尖兵たちが道を開ける。彼らは無表情のまま視線すら動かさず、儀礼的な動作のように二人を迎え入れる。その静寂の中には、剣を抜く瞬間に似た緊張が確かにあった。
「……ここまでだな」
シェイドが歩を止め、モネッサに向き直った。その眼差しには言葉にできぬ葛藤が滲んでいる。無口な彼が、その一言を口にするまでに飲み込んだ感情の重さを、モネッサは理解していた。
「わかってる。契約が切れた者に、ここでの居場所はない」
平静を装った声。だが、ほんの僅かに震えていた。かつて帝国と評議会の狭間で、刃を交えてきた仲間として、モネッサはこの別れの意味を痛いほど知っていた。
評議会の玉座の間。高くそびえる天井、魔術で強化された黒曜石の床に、老齢の評議員たちの影が落ちていた。中央に立つのは、銀白の髪をたなびかせた老女、現評議長。冷徹と理知を兼ね備えたその存在は、かつてのモネッサにも影響を与えた人物だった。
「モネッサ。貴殿は“過去を封じられる者”としての契約を喪失した。よって、評議会に所属する正統性は消滅した。評議会機密維持のため、本日をもって記憶の封印、および追放とする」
その言葉は、刑の宣告であり、同時に別れの鐘でもあった。
モネッサは微笑みを浮かべ、静かに頭を垂れた。
「その言葉、しかと受け取った。……最後に、ひとつ願いがある」
評議長は眉をひそめ、短くうなずく。
「記憶の封印――それを、シェイドに任せてほしい」
ざわめきが一瞬、室内に走る。だが、それはすぐに沈静化した。長年モネッサと行動を共にしてきたシェイドへの信頼は、まだ残されていた。
許可が下りた後、二人は儀式室へと移動した。魔法障壁で外界と切り離されたその空間には、記憶封印のための円環が床に刻まれている。
「……封印なんて、する気はない」
シェイドの声は、まるでため息のように小さかった。
「知ってたわよ」
モネッサは微笑み、差し出された短剣を手に取る。その柄には細工があり、封蝋で閉じられた小さな巻紙が収められていた。
「“廃都から二つ東、クィライスにて合流”。……わかりやすいわね」
「餞別代わりだ。気をつけろよ。キャシアスの動きが読めない」
「わかってる。彼には一度、本気で殺されかけてるから」
短剣を腰に収め、モネッサは最後にシェイドの肩を軽く叩いた。
「ありがとう、シェイド。あんたがいなければ、私……たぶんもう、とっくに終わってた」
その言葉に、シェイドは無言のまま頷く。去っていく彼女の背中を、まるで家族のような眼差しで見送った。
同時刻、別の部屋では“感情を捧ぐ者”キャシアスが、重厚な石の円卓を囲む評議員たちと対峙していた。彼の契約もまた、崩壊の兆しを見せていた。
「キャシアス。貴殿の契約は不安定の極みにある。感情の捧出が行われなくなって久しい。今こそ、処分の時だ」
老議員の一人が静かに言い放つと、キャシアスの口元が皮肉げに吊り上がる。
「処分される前に、最後の務めを果たす機会をいただきたい。ディラン、そしてユリオという少年。彼らの存在は、神の火種となりかねない。彼らの監視を、私にお任せいただけないか」
一瞬、室内に沈黙が落ちた。やがて評議長が低く問いかける。
「見逃すためではないな?」
「ええ。あくまで“監視”です。制御可能か否かの判断は、評議会に委ねます」
老評議員たちは顔を見合わせ、短くうなずき合った。追放は一時保留とされた。
――数刻後。
評議会の塔を出たキャシアスは、微かな気配と短剣の痕跡を見逃さなかった。冷え切った空気の中に、確かに残された足跡。
「……モネッサ」
その名を口にし、彼は無言で歩き出す。まっすぐに、彼女の痕跡を追って。
だが、モネッサはそれを見越していた。塔を出てすぐに東ではなく、北東へ迂回する山道へと舵を切っていた。キャシアスの執着を断ち切るため、あえて合流予定とは違う方向へ進む。
風の強まる山道。霧が木々の間を流れ、視界を奪う中で、彼女は足を止めず歩を進める。ただ一度だけ、歩みを止め、東の方角を振り向いた。
「……」
彼女の表情は冷たく、だがその目の奥には確かな希望が灯っていた。シェイドの言葉、ディランたちとの再会。すべては、未来を取り戻すため。
冷たい風が木々を揺らす。
その風が、過去を捨てた者たちの背を、静かに押していた。




