幕間 孤児院の記憶
短めです。ディランとモネッサの邂逅回です。
夕暮れの光が、小さな孤児院の窓から差し込んでいた。石造りの壁に、長年の風雨が刻んだひびが走り、薄暗い廊下は子供たちの笑い声にかすかに響いていた。
「……お前、また喧嘩してきたのか」
少女の声が響く。細身の身体に不釣り合いな鋭い目をした少女――モネッサだ。彼女はぼろぼろの服を着た少年の袖を引っ張り、無造作に座らせた。
「別に……あいつらが先に絡んできたんだ」
少年、ディランはむくれた顔でそっぽを向く。乱暴に擦りむけた肘から、じわじわと血がにじんでいた。
「……ほら、じっとして」
モネッサは小さな布切れを取り出し、そっと傷口を拭った。彼女の手際は慣れたものだった。
「なんでお前、いつもそうやって世話焼くんだよ」ディランがぶっきらぼうに呟くと、モネッサは肩をすくめた。
「私たち、同じ孤児院で育った兄妹みたいなもんだろ。それに……」
「それに?」ディランが少し目を細める。
モネッサは、遠い目をした。
「……お前は、昔泣き虫だったくせに、無理して強がるからさ」
「っ……!そ、そんなこともう昔の話だろ!」
ディランが赤くなって振り払おうとするが、モネッサは笑いながら手を離した。
廊下の向こうでは、他の子供たちが走り回っている。ここは、帝国の庇護下にある孤児院。だが、帝国の影が差す孤児院は決して安全な楽園ではなかった。魔術の素質を見込まれれば、やがて帝国の軍人として徴用される。否応なく、選ばされるのだ。
「モネッサ」
ディランがぼそりと言った。
「……もし、もしさ、選ばれたら、どうする?」
少女は一瞬だけ沈黙し、空を見上げた。
「選ばれたら……私の過去を全部、捨てるつもりだ。強くなるには、それしかないから」
「……そんなの、悲しいだろ」ディランが眉をひそめる。
「悲しさなんて、とっくに通り越したよ」モネッサは淡々と言った。
「私の生き方は、そう決めたから。ディラン、お前は――」
「俺は……」ディランは拳を握りしめ、足元の床を見つめた。
「俺は、何もかも失っても、自分の大切な何かを信じたいって思う… 何かってまたわかんないけどさ」
モネッサがゆっくり彼を見つめる。
「……そうか」
薄暗い廊下に、鐘の音が響いた。帝国の使者が来た合図だ。魔術の素質をもっているかどうかの選別が、ついに始まる。
ディランは少しだけ笑った。
「姉さん、またな」
「またな」モネッサも微笑んだ。
二人は背を向け、それぞれの道へ歩み出した。
その日を境に、二人が再び共に過ごすことはなかった。
モネッサは過去を封じる契約者となり、己の痛みも思い出もすべてを捨てて前進した。
ディランは影を喪い、影なき者として存在の輪郭を失いながら、それでも人の心を信じようとした。
だが、あの孤児院の記憶は、互いの中で決して消え去ることはなかった。
そして今、草原の上で再会した二人の間に流れるのは、過ぎ去った日々の影――消せぬ絆だった。




