プロローグ
よろしくお願いします
かつて、神々の座は地上にあった。
高き山の頂に、光満ちる神殿がそびえ、そこでは神と人とが語り合い、奇跡は日常の中に息づいていた。作物は実り、病は癒え、死すらも時に拒まれた。
人々は祈りとともに生き、神々は慈悲とともに在った。世界は秩序の光に包まれていた。
だが、永遠は幻想だった。
千年前、突如として神々は姿を消した。天は閉ざされ、神殿は沈黙し、大地は軋みを上げて割れた。
〈黄昏の大戦〉――。その戦が何のために始まり、誰が火を点けたのか、今となっては誰も知らない。
ただ記録に残されているのは、神々の使徒とされる者たちが互いに刃を交え、大地を焦がし、空を裂いたという事実。
その日を境に、奇跡は消えた。神は沈黙し、文明は崩壊した。王たちは力を失い、民は祈る術すら忘れていった。
そして現在。世界はまだ、静かに終わり続けている。
かつて「栄光の王都」と謳われた〈レグリス〉。
その廃墟に、灰の雨が降っていた。陽は雲に覆われ、風は冷たく、空気には金属の味が混じっている。崩れ落ちた石造りのアーチ、蔦に覆われた神殿の柱、そしてすでに主なき広場。
灰が舞い、静寂が支配するその地に、四つの影が現れた。
先頭を歩くのは、一人の男。
銀灰色の髪に、深く被ったフード。目元には濃い影が落ちている。
名はサリウス。かつて“知識の神殿”に仕えし大魔術師。だが今、その眼には光はない。かつて世界を救う力を持ちながら、誰も救えなかった男。
彼は自らの罪を抱え、数百年の眠りから目覚めた。そしてその手には、封印の魔導書が握られていた。
その隣には、堂々とした体躯の男が歩く。
軍靴のようなブーツ、重厚なマント、鋼鉄のような視線。
ディラン――かつては帝国の将軍として名を馳せた英雄。だが彼は、腐敗した帝の命に背き、無実の民を守るために剣を抜いた。
結果、すべてを失った。部下も、名誉も、そして親友も。
今、彼の背には一本の剣がある。黒鉄の鞘には、細く刻まれた文字。「セイン」――失った友の名。
彼は沈黙の中で、その重みを背負い続けている。
三人目は、獣のような気配を纏った男。
粗野な毛皮に身を包み、顔の半分を覆う仮面の下から鋭い牙が覗く。
名をバルク。かつては森に生きる狩人だったが、ある夜、禁忌の森で“何か”に触れ、呪いを受けた。
その右腕は、常に包帯に巻かれている。脈動するそれは、まるで意思を持つように暴れ、闇の力を宿している。
彼は他者を避け、口数も少ない。だが唯一、少年の前ではその瞳が一瞬だけ穏やかになる。
そして、最後に歩くのは一人の少年――ユリオ。
まだ八歳。
だがその眼には、まるで万物の理を見透かすような光が宿っていた。
彼の存在がなぜこの三人の傍にあるのか、彼自身もわかっていない。ただひとつ確かなのは、彼の中に“世界の鍵”が眠っているということ。
それを知る者は少ない。だが、すでにその命を狙う者たちは蠢いている。
「この子を守り抜く。どんな代償を払ってもだ」
ディランはそう言った。かつて帝国の将として命を預かる立場にあった男が、今は一人の少年の盾となることを誓う。
その言葉に、誰も応えなかった。サリウスは静かに目を伏せ、バルクは仮面の下で短く息を吐いた。
そしてただ、風が吹いた。
灰の雨を巻き上げ、崩れかけた神殿の上を過ぎていく。
世界はすでに終わっている。
神々は戻らず、王たちは無力で、希望と呼べるものはどこにもない。
だが――だからこそ、この旅に意味があるのだ。
四つの影が歩みを進める。
その先に待つものが終焉であろうと、再生であろうと。
彼らはもう、立ち止まることはできなかった。