第85話 森に潜む危機、白蛇の秘めた能力
夏の日差しが森を黄金色に染める午後、リオンはひとり森林浴を楽しんでいた。牧場の仕事が一段落し、珍しい薬草を探すため足を踏み入れた森は、生命の息吹に満ちていた。
「この辺りに、姉さんが探していた月華草があるはずなんだけど」
木漏れ日を通して射し込む光の中、リオンは首を傾げながら辺りを見回す。その緑がかった髪が風に揺れる様子は、まるで森に溶け込むようだった。
森の中は思ったより涼しく、木々が作り出す心地よい風が頬を撫でる。鳥たちのさえずりと、遠くで聞こえる小川のせせらぎは、彼の耳に心地よいメロディを奏でていた。
「ん、あれは?」
リオンが目を凝らすと、一際鮮やかな紫色の花が目に飛び込んできた。その美しさに魅了され、彼は思わず近づいていく。鮮やかな色彩と独特の形状が印象的な花は、周囲の植物とは一線を画して咲いていた。
「月華草じゃないけど、すごく綺麗な花だな」
好奇心に駆られたリオンが手を伸ばした瞬間、不意に花が微かに動いた。その動きに僅かな違和感を覚えたが、彼の指先は既に花に触れていた。
「あっ!」
突然の痛みが走り、リオンは手を引っ込めた。指先に小さな赤い点が見える。ほんの些細な傷に見えたが、次の瞬間、激しい痛みが全身を走った。
「何だ、この花……」
彼の視界が徐々にぼやけ始め、足元がふらついてくる。急速に広がる痛みと共に、体が熱を持ち始めた。やがて立っていることさえ困難になり、リオンはその場にうずくまる。
「助けて……誰か……」
意識が遠のきかける中、リオンは最後にヘラクレスの咆哮を聞いた。
――――――
牧場での昼下がり、悠真は納屋で農具の手入れをしていた。夏の陽射しは強く、額に浮かぶ汗を拭いながら作業を続ける。
「悠真さん、お茶をお持ちしました」
リーフィアが涼しげな麦わら帽子をかぶり、冷たい麦茶の入った水差しを持ってきた。その横では、ラクルが小さな翼を広げ、パタパタとあおいでくれている。
「ありがとう、リーフィア。ラクルも気を使ってくれて、ありがとな」
悠真が笑顔で答えると、ラクルは「クルルー」と鳴き、満足げな表情を浮かべた。
突然、遠くから聞き慣れた咆哮が聞こえてきた。悠真は手を止め、耳を澄ませる。
「これは……ヘラクレスの声だ」
「何か起きたのでしょうか?」
普段は穏やかなヘラクレスの方向にリーフィアも不安な表情を浮かべた。
それに答える間もなく、牧場の入り口からヘラクレスが全速力で駆けてくるのが見えた。その角から小さな炎が揺れ、背には意識を失ったリオンの姿があった。
「リオン!」
二人は駆け寄り、すぐにリオンを家の中へと運び入れた。彼の顔は蒼白で、冷や汗に覆われていた。体は高熱を帯び、時折痙攣するように震えている。
「何があったんだ?」
悠真が不安げに問いかけると、リオンは弱々しい声で答えた。
「紫色の……花……触れたら……」
その言葉を聞いたリーフィアが一瞬考え込み、何かに気づいたようにその顔から血の気が引いた。
「紫?……まさか、百毒華?」
「百毒華?」
聞いたことのない言葉に悠真が首を傾げる。
「百毒華は相手を毒で弱らせて取り込む危険な植物で、触れただけでも猛毒を受けてしまうんです」
リーフィアの表情は次第に暗くなっていく。
「通常の毒消し草では効果が薄いと聞きます。さまざまな毒を混合するため、解毒が難しいんです」
「今うちにある薬じゃ無理ってことか。そうなると、グリーンヘイブンまで連れていくしかないか……」
しかし、二人が話している間にもリオンの状態は刻一刻と悪化しているように見えた。
「まずいな。これじゃ間に合うかどうか」
悠真が焦りを隠せないでいると、ヘラクレスが優しく首を寄せてきた。まるで「自分が連れて行く」と言っているようだ。
「そうだな。ヘラクレスなら速いし、リオンを乗せて急いでミリアムのところまで……」
慌ただしく準備を始めようとした時、誰も気づかないうちに部屋にもう一匹の牧場の住人が忍び込んでいた。彼はするするとリオンのベッドに近づくと、毒を受けた傷口にカプリと噛みついた。その一瞬の痛みにリオンが声を漏らす。
「うっ!」
「アース?!何してるんだ!?」
アースに気づいた悠真が慌てて止めようとした時、リオンが弱々しく手を上げた。
「待って……」
すると驚いたことに、リオンの顔色が少しずつ良くなっていくのが見て取れた。アースは「チュルチュル」と音を立てながら、何かを吸い出している。
「まさか……毒を吸い出しているのか?」
悠真が唖然としたようにそう呟く。アースがゆっくりと口を離すと、リオンの呼吸は明らかに楽になっていた。まだ体の力は戻っていないが、痙攣は止まり顔色も幾分よくなっていた。
「アース、助かったよ。でも、そんな毒を吸い出してお前は大丈夫なのか?」
悠真が心配そうに声をかけると、アースは体を反らし、背中の翼のような鰭をパタパタと動かして見せた。何ともないという素振りだ。
「アース、ありがとう……」
リオンがまだ朧気な様子で感謝の言葉を述べると、アースは赤い瞳をゆっくりと瞬かせた。
――――――
夕暮れ時になり、リオンの体調は大幅に回復していた。まだ少し弱いものの、もう命に別条はない。アースはリオンの傍らで丸くなり、静かに眠っていた。
「百毒華か……まさか、あの森にそんな危険な植物があったなんてな……」
「私もこれまで見たことはありませんでした。百毒華は通常、人里には近づかない植物なんです。最近、森で何かがあったのかもしれません」
「そうか。何にしても、今後は気をつけないとな」
悠真はポツリと言った。熱帯の夕暮れは早く、既に地平線は燃えるような赤に染まっていた。
「今後は森に入るときは、ヘラクレスやフレアを連れて行った方が良さそうですね」
「そうだな。炎の力があれば、百毒華も対処できるだろうし。あとは、百毒華の見た目も間違わないように確認しておかないと……」
そんな二人の会話を聞いていたリオンが、弱々しく苦笑いを浮かべて謝罪の言葉を口にした。
「申し訳ないです……悠真さん、リーフィア姉さん……心配かけてしまって」
「気にするな。俺達も気づかなかったんだ、仕方ないさ。でも、ヘラクレスとアースに感謝だな。もし、二人がいなかったら……」
言葉を濁す悠真の目には、深い安堵の色が浮かんでいた。
「そうですね。ヘラクレスが早く気づいてくれて本当に良かったです」
部屋の隅でヘラクレスが小さく鼻を鳴らした。誇らしげな様子だが、どこか照れているようにも見える。
「それにしても、アースの能力には驚いたな。あんな猛毒を吸い出せるなんて」
「本当にびっくりです。百毒華の毒は、一流の薬草師でも対処が難しいくらい危険なものですから」
リオンは感謝の気持ちを込めて、弱々しくアースの頭を撫でた。アースは眠ったまま、心地よさそうに体を揺らしている。その体の金色の模様が、月の光を受けて幻想的に輝いていた。




