第83話 牧場に響く二重奏
夏の風が心地よく頬を撫でる午後、悠真は牧場で過ごす日々にも少しずつ慣れてきていた。木々の葉が赤や黄色に色づき始め、空は高く、澄んだ青さを見せていた。
「今日は天気もいいし、散歩にでも行くか」
悠真が呟くと、ベルとサクラが興味深そうに顔を上げた。
「お前たちも行きたいのか?」
「「メェー」」
二匹の羊は元気よく鳴き、まるで言葉を理解したかのように頷いた。
「分かった。じゃあ少し草原まで行ってみよう」
悠真は軽く笑いながら、納屋から引き綱を取り出した。ベルの首には小さな鈴が付いており、歩くたびに「チリンチリン」と心地よい音色を奏でる。サクラの桜色の毛並みは、秋の陽光を浴びて一層鮮やかに輝いていた。
――――――
牧場を出て、なだらかな丘を越えると、その先には広々とした草原が広がっていた。時折吹く風に草が揺れ、波のように美しい模様を描いている。
「ここなら思いっきり走れるな」
悠真が引き綱を外すと、ベルとサクラは嬉しそうに草原へと駆け出した。特にサクラは跳ねるように走り回り、桜色の毛が風になびく姿は見ていて微笑ましかった。
「元気だなぁ」
悠真は少し離れた場所の大きな岩に腰掛け、二匹の様子を眺めていた。穏やかな時間が流れる中で、ふと彼の視線は森の方へと向いた。
「ん?あれは……?」
森の縁から、ふわふわと漂う小さな光が見えた。初めは夕日の反射かと思ったが、その光は不規則に動き、時折弱々しく瞬いていた。
「何だろう?」
好奇心に駆られた悠真は、ゆっくりと立ち上がり、光の方へと歩み寄った。近づくにつれ、その光が青白い色を帯びていることに気づく。
「メェー!」
突然、ベルが鋭く鳴き、悠真の前に駆け寄ってきた。その目は森の方を警戒するように見開かれている。
「どうしたんだ、ベル?」
悠真が問いかけた瞬間、森の中から低いうなり声が響いてきた。そして、茂みを押し分けるように、一匹の黒い獣が姿を現した。
それは大きな黒狼のような姿をしていたが、目は不自然に赤く光り、全身から闇のようなオーラを放っていた。その獣は小さな光を追いかけるように、ゆっくりと近づいてきている。
「あれは……まさか、魔獣か?」
悠真の胸に緊張が走る。魔獣は基本的に凶暴で、人間や家畜を襲ってくる。だが、その魔獣は悠真達に気づいた様子はなく、弱々しく漂う光に牙を向けていた。
「た……すけて……」
かすかな声が風に乗って悠真の耳に届いた。驚いて目を凝らすと、その光の中に小さな人影が見えた。
「サクラ、こっちに!」
悠真の声に応じ、サクラも急いで駆け寄ってきた。このまま逃げれば安全だが、あの小さな光は明らかに助けを求めていた。
ベルにもその声は聞こえたらしく、その角から小さな電光が走り始める。
黒い魔獣が一気に速度を上げ、光に飛びかかろうとした瞬間だった。
「メェーッ!」
ベルの角から眩いばかりの雷撃が放たれ、一直線に魔獣に向かって飛んでいった。轟音と共に青白い光が辺りを包み、悠真は思わず目を細めた。
煙が晴れると、そこには黒焦げになった魔獣の姿があった。
「流石ベルだな。よくやった」
悠真が声をかけると、ベルは誇らしげに鈴を鳴らした。
「あ……ありがとう……」
か細い声に気づき、悠真は光の方に目を向けた。近づいてよく見ると、それは確かに小さな人影だった。いや、人間ではない。わずか手のひらサイズの小さな体に、透き通るような羽根を持つ妖精だった。
「大丈夫か?」
悠真が優しく声をかけると、妖精は弱々しく頷いた。その姿は少女のようで、淡い青い髪と、同じく青い光を放つドレスを身にまとっていた。羽根はまるで薄い氷のように透明で、かすかに青く輝いている。
「サクラ、彼女を少し助けてあげてくれないか?」
サクラも「メェー」と鳴き、優しく妖精に寄り添った。サクラの体から淡いピンク色の光が放たれ、妖精を包み込む。
「これは、癒しの光?……ありがとう、羊さん」
妖精の声に少し力が戻ってきた。彼女の体の光も、少しずつ明るさを増していく。
「私はノアリス。森の妖精よ」
彼女は小さな声でそう名乗った。
「俺は白石悠真。こっちの二人はベルとサクラだ」
「助けてくれてありがとう。あの魔獣に追われ続けて、もう逃げる力も無くなりかけていたの」
ノアリスはゆっくりと羽根を動かし、少し高さを保って悠真たちを見回した。
「あなたたちは強いのね。こんな羊さんたち初めて見たよ」
ノアリスの興味深そうな様子に、悠真は苦笑いして答える。
「ああ、うちの牧場の住人はみんな少し変わってるんだ」
「牧場?あなたは牧場主なの?」
ノアリスは好奇心に満ちた表情で尋ねた。
「あぁ。ここから少し歩いたところにある」
「そうなんだ。ねぇ、良かったら連れて行ってくれない?その牧場にも興味が湧いたし、何か御礼がしたいの」
悠真は少し考えたが、彼女のその様子を見る限り危険な存在には見えなかった。
「構わないよ。でも、大丈夫なのか?まだ弱っているようだけど」
「大丈夫。このこのおかげで少しずつ力が戻ってきたから」
ノアリスは小さな笑顔を見せた。
「じゃあ、帰るとするか」
――――――
牧場に戻る道中、ノアリスはずっとベルとサクラの間を飛び回っていた。特にサクラのピンク色の毛並みに惹かれるようで、時折触れては喜んでいる。
「ふわふわで暖かい!精霊花の花びらみたい!」
ノアリスの無邪気な様子に、悠真も自然と笑みがこぼれた。
牧場の門が見えてきた頃、空はオレンジ色に染まり始めていた。ノアリスは悠真の肩に休むようにとまり、牧場の全景を見渡した。
「わぁ……思っていたよりずっと広いのね!」
彼女の目に映ったのは、丘の上に建つ二階建ての家屋と広々とした牧場の土地。柵で囲まれた内側には、様々な動物たちが思い思いの場所でくつろいでいた。
「本当に色んな子が居る~……さっきの魔獣より怖そうなのもいるけど大丈夫なの?」
ノアリスは、牧場の一角で眠っているハクエンを見て小声で聞いてきた。
「ああ、心配しなくても大丈夫だよ。ハクエンは口は悪いけど、あれで意外と面倒見のいい奴なんだ」
「そ、そうなんだ……」
悠真の言葉に、ノアリスは安心しながらもまだ少し怖がっている様子だった。
牧場に足を踏み入れると、最初に出迎えてくれたのはリーフィアだった。
「お帰りなさい、悠真さん。あら、新しいお客様ですか?」
「ああ、ノアリスという妖精だ。森で魔獣に襲われていたところを、ベルたちが助けたんだ。うちの牧場に興味が湧いたみたい何で連れてきた」
「まぁ、それは大変でしたね」
リーフィアはノアリスに優しく微笑みかけた。
「私はノアリスよ。よろしくね」
ノアリスは空中で小さくお辞儀をした。
「リーフィアです。よろしくお願いします」
この後、リオンも加わり、リーフィアがノアリスのために特別なハーブティーを淹れてくれることになった。
――――――
「ここが薬草畑?本当に色々育てているのね」
ノアリスは畑の上を飛び回りながら感嘆の声を上げた。様々な薬草が整然と植えられ、その香りが空気に溶け込んでいる。
「ええ、悠真さんのスキルのおかげで、特別な環境を作れるんです」
リーフィアが説明すると、ノアリスはさらに興味を示した。
「スキル?」
「牧場経営というスキルを持ってるんだ。気温調整や土壌改良ができるから、いろんな植物が育つんだよ」
悠真の言葉に、ノアリスは目を丸くした。
「へぇ。確かにこの牧場に入ってから外とは違うものを感じていたけれど、きっとそのスキルの影響なのね」
その後、ノアリスは花壇や農場も案内され、牧場内を巡った。
夕食の時間、ノアリスは人間サイズのテーブルの上に小さなお皿を用意してもらい、みんなと一緒に食事をした。リオンが作った野菜のシチューを特に気に入ったようで、何度もお代わりをしていた。
――――――
星々が瞬き始めた夜、ノアリスは悠真たちに本当の御礼をしたいと言い出した。
「私にも少しだけ、できることがあるの」
そう言って、ノアリスは庭に出た。彼女は小さな手を広げ、静かに歌い始めた。その声は風のようにやわらかく、しかし不思議な力を秘めていた。
すると、彼女の周りに青い光の粒子が舞い始め、それらが集まって美しい渦を形成した。渦は徐々に広がり、庭全体を包み込む。
「わぁ……」
リーフィアとリオンが感嘆の声を上げた。
「これは妖精の祝福。植物たちに元気を与え、より豊かな実りをもたらすの」
ノアリスの説明に、悠真は感謝の言葉を述べた。
「ありがとう、ノアリス。素晴らしい贈り物だ」
美しい光景に見とれていると、突然、水場から水しぶきが立ち上がった。皆が驚いて目を向けると、そこには長い水色の髪を持つ少女の上半身が水面から現れていた。
「素敵な歌声ね。私も混ぜてくれない?」
「あら、あなたは?」
ノアリスは好奇心いっぱいの表情でセリーナに近づいた。
「私はセリーナ。この泉に時々遊びに来る人魚よ。あなたの綺麗な歌声が聞こえてきたから思わず飛び出てきちゃったわ」
セリーナは優雅に髪をかき上げ、ノアリスに微笑みかけた。
「初めまして、私はノアリスよ。人魚までいるなんてここは本当に不思議なところね」
ノアリスは喜び、セリーナの周りを飛び回った。
「さっきの歌、とても美しかったわ。良かったら一緒に歌わない?」
そう言って、セリーナは澄んだ声で歌い始めた。それはノアリスの歌とは違う、海の深さと広さを感じさせる歌だった。セリーナの声は波のように優しく、時に力強く響き渡る。
ノアリスはしばし聴き入っていたが、やがて自分の歌声をそれに重ねた。二つの声が織りなすハーモニーは、まるで自然そのものが奏でる音楽のようだった。
すると、セリーナの周りにも青い光の粒子が現れ始め、ノアリスの青い光と混ざり合って、さらに美しい光景を作り出した。青と水色の光が夜空に舞い上がり、星々と共に輝く。
悠真たちは言葉もなく、その幻想的な光景を見つめていた。二人の歌が高まりを見せると、牧場の動物たちも自然と集まってきた。
歌が終わると、自然と拍手が起こった。
「素晴らしかった……」
悠真はその美しさに心を打たれ、言葉少なに感想を漏らした。リーフィアとリオンも同意したように頷く。
「こんなに素敵なデュエットができるなんて思ってなかったわ!セリーナ、ありがとう!」
「こちらこそ。とても楽しかったわ。ありがとう、ノアリスさん」
そうして、歌い終えたノアリスが悠真たちの前に降り立った。セリーナも水場の縁に腰掛け、尾びれを水面に浸している。
「私、ここが気に入ったよ。私もこの牧場に住んでも良いかしら?」
ノアリスの言葉に、悠真達は顔を見合わせて頷いた。
「歓迎するよ、ノアリス。この牧場には、いろんな仲間がいるから、君も自由に過ごせばいいさ」
ノアリスは嬉しそうに飛び上がって一回りすると、悠真達にぺこりと頭を下げた。
「ありがとう!私、精一杯お手伝いするね!」
「それは頼もしいな。そう言えば家はどうしようか。うちでも良いけど、妖精はやっぱり自然の中の方が良いのかな?」
悠真の質問に、ノアリスは少し考えてから答えた。
「そうね~……できれば、薬草畑の近くに小さな家があるといいな。私、薬草が大好きなの」
「分かった。明日にでも作ろう。リオンと一緒にな」
「はい。頑張ります!」
その晩、ノアリスはリーフィアの部屋の窓辺に、花の蕾でできた小さなベッドを作ってもらった。月明かりが差し込む窓辺で、ノアリスは新しい仲間たちへの感謝と期待で胸をいっぱいにしながら、穏やかな眠りについた。




