第79話 潮風が結んだ縁
朝もやが立ち込める牧場の上空に、銀色の翼が輝いた。ウィンドが悠真の前でゆったりと旋回し、地面に降り立つ。いつもと違う様子で、何度も悠真の方を振り返りながら首を傾げている。
「どうした、ウィンド?何かあったのか?」
悠真が声をかけると、ペガサスは嬉しそうに鼻を鳴らし、背中を向けて姿勢を低くした。乗れという仕草だ。
「わかったよ。連れて行ってくれるんだな」
朝の仕事を一段落させていた悠真は、手を洗ってからウィンドの背に跨った。慣れた動作で手綱を握ると、ウィンドは一気に空へと飛び立った。
朝の風が頬を撫でる。地上の景色が小さくなっていく。牧場を見下ろすと、ベルが草を食み、アクアとテラが何かで遊んでいるのが見えた。悠真は空からの景色を楽しみながらも、ウィンドが何を見せたいのか気になっていた。
やがてウィンドは西へと針路を取り、しばらく飛行を続けた後、高度を下げ始めた。目的地が近づいているようだ。
「海岸?いや、あれは……」
地平線には青い帯が広がり、陸と海の境界線が見えてきた。そして海岸線に沿って、こじんまりとした集落がある。小さな漁村だった。
――――――
ウィンドは村はずれの開けた場所に優雅に着地した。辺りには潮の香りが漂い、波の音が心地よく響いている。悠真が周囲を見回していると、一人の若い男性が近づいてきた。茶色く焼けた肌と逞しい体つき、ふと笑むと白い歯が印象的だ。
「また来たのか。お?今日はお客さん連れなのか。もしかして、この子の飼い主さんかい?」
若者はウィンドを見てから悠真に微笑みかけた。どうやら以前からウィンドがここに来ていたらしい。
「ええ、そうです。俺は白石悠真と言います。しばらく前からこの近くで牧場を始めました」
悠真が挨拶を返すと、若者の目が大きく見開かれた。
「おお!あんたがあの噂の牧場主さんかい?最近、村に来た商人から聞いたよ。珍しい動物がいる牧場があるって」
「そうなんですか。確かにその噂はうちの牧場のことですね」
悠真が苦笑すると、若者は村の中心部へと案内してくれた。
「俺はリク。この村で漁を手伝ってるんだ。んで、ここは沿岸漁村のシーブリーズだ。あんまり大きくないけど、皆仲良くやってる」
リクの説明によれば、この村はほとんど自給自足の生活で、たまに商人が訪れる程度の静かな場所だという。街からも遠く離れているため、外部との交流は少ないようだった。
「それで、ウィンドはどうしてこちらに?」
「ああ、最初は皆びっくりしたよ。空から馬が降りてきたんだからな。でも害はなさそうだし、時々果物なんかをやってたら懐いてきた。ここから見える岬が好きみたいでね、よく来るんだ」
リクはウィンドの首筋を撫でながら説明した。確かに村の先には美しい岬が見え、そこからは海を一望できるようだった。そこまで話して、悠真の中である閃きが持ち上がった。
「あの、せっかくの機会ですし、良ければこれからは交流を図りませんか?牧場と漁村、お互いに良い関係になれると思うんです」
悠真の提案に、リクは少し考え込むような表情を見せた。
「それは良い話だけど、俺の一存では決められないな。村長や漁師たちとも相談させてくれ」
「分かりました。また来ますね」
その日は牧場に戻ることにした悠真。ウィンドの背に乗り、空へと舞い上がる。下から手を振るリクの姿が、だんだん小さくなっていった。
――――――
数日後、悠真は牧場で取れた新鮮な野菜や、ミルクから作ったチーズをいくつか籠に詰め、再びウィンドで漁村を訪れた。今日はリオンも連れてきていた。
「海ってこんなところまで広がってるんですね。やっぱりすごいなぁ……」
高度を下げながら、リオンは感動した様子で呟いた。月影村出身の彼にとって、広大な海は新鮮な光景なのだろう。
着陸すると、前回よりも多くの村人が集まっていた。子供たちはウィンドを見て歓声を上げ、大人たちも好奇の目で二人を見ている。
「きてくれたか、白石さん。お?今日はもう一人居るのか」
「リオンです。よろしくお願いします」
リクが前に出て、悠真たちを出迎えた。その後ろには、白髪の老人が立っていた。
「こちらが村長のモリオさんだ」
「よく来てくれた、牧場の若い衆。リクから話は聞いておる」
モリオ村長は穏やかな笑顔で二人を迎え入れた。悠真が持参した品々を差し出すと、村長は目を丸くした。
「これは……牧場の産物かい?見事だな」
「えぇ、お近づきの印に。良ければ皆さんでどうぞ」
悠真の言葉に、村長は深く頷いた。
「それはありがたい。こちらにも今朝取れたばかりの魚がある。せっかくだし、皆で食事会でも開こうか」
村の広場では、大きな火が焚かれ、魚を焼く香ばしい匂いが漂い始めた。村人たちは悠真とリオンを囲んで輪になり、牧場の話や珍しい動物たちの話に耳を傾けている。
「これ、すごく美味しいです!」
リオンは焼き立ての魚に歓声を上げた。確かに、新鮮な海の幸の味は格別だった。悠真も久しぶりの魚料理に舌鼓を打つ。
「白石さんのチーズも絶品だよ!何か特別なことでもしてるのかい?」
村の女性が尋ねる。悠真は牧場の特殊な環境や動物たちについて少し話した。
食事が終わり、一息ついた頃、モリオ村長が悠真の前に座った。
「白石さん、是非とも交流を続けていきたい。我々の村は小さいが、海の恵みは豊かだ。お互いに足りないものを補い合えるだろう」
「私もそう思います。これからよろしくお願いします」
二人が手を取り合うと、周囲の村人たちからも歓迎の声が上がった。
――――――
それから一ヶ月が経ったある日、アスターリーズ商会のドミニクが定期的な訪問のため牧場を訪れた。
「いやぁ、今日も素晴らしい品質ですな!特にこのチーズ、前回よりも熟成具合が絶妙です」
ドミニクは満足げに口髭を撫でながら、牧場の産物を確認していく。
「そうだ、ドミニクさん。最近、シーブリーズという漁村と交流を始めたんです」
悠真が話を切り出すと、ドミニクは少し驚いた表情を見せた。
「シーブリーズですか?……ああ、あの沿岸の小さな村ですね。確かに良質な魚が取れる場所ですが」
「知ってるんですね」
「ええ、もちろん。我々商人の耳と目は広いものです。ただ、あそこはアスターリーズからかなり離れていて、定期的な取引をするには少々……」
「旨味が少ないということですね」
悠真の言葉にドミニクは苦笑した。
「えぇ。ビジネスですからね。距離が遠いと輸送コストが嵩みますし」
「それで、後から相談になって申し訳ないんですが、うちの牧場が個人的に交流を図るのは問題なかったでしょうか?」
「あぁ、そういうことですか。それは問題ありませんよ。むしろ、白石さんの人脈が広がるのは喜ばしいことです。我々との取引に影響しない限り、どうぞご自由に」
ドミニクの言葉に悠真は安堵の表情を見せた。
「でも、そうですか。シーブリーズの魚、一度味わってみたいものですね。機会があれば……」
「それなら、ちょうどお昼も近いですし、こちらで食べて行かれますか?」
悠真は立ち上がり、納屋から小さな冷蔵用の魔法箱を取り出した。中から昨日漁村から届いたばかりの新鮮な魚を取り出す。
「おおっ!」
ドミニクの目が輝いた。商人としての本能が、その魚の質の良さを見抜いたのだろう。
「これは素晴らしい!もしかしたら……考えを改める必要があるかもしれませんな」
口髭を撫でながら、ドミニクは意味深な笑みを浮かべた。
――――――
牧場の日常は変わらず穏やかに続いていた。ただ、今では時々シーブリーズからの使いがやってきて、魚や貝、海藻などを届けてくれるようになった。代わりに牧場からは野菜や乳製品が漁村へと届けられる。
ある夕方、夕日が沈む頃、リーフィアが悠真に温かいハーブティーを差し出した。
「最近、またにぎやかになりましたね」
リーフィアの静かな声に、悠真は頷いた。
「ああ。リオンも漁村の子供たちと仲良くなったみたいだし」
空には帰路につくウィンドの姿。その背にはリオンが乗り、手には漁村の子供たちからもらった貝殻の首飾りがぶら下がっていた。
「この牧場に来た時、こんなに多くの出会いがあるとは思いませんでした」
リーフィアの言葉に、悠真も感慨深げに空を見上げる。
「俺もだよ。でも、こういうのも悪くないよな」
納屋の前のベンチに腰かけ、二人は夕暮れの牧場を眺めた。ベルが鈴を鳴らしながら寝床へと向かい、シャドウとミストが追いかけっこを終えて休息している。
悠真は心地よい疲労感と共に、夕焼けの中で満足げに微笑んだ。明日もまた、この牧場のどこかで、新たな出会いが待っているかもしれない。そんな期待を胸に、彼は静かに夕日を見送った。




