第76話 竜虎相搏つ!?
春の陽気が牧場全体を包み込む穏やかな午後。悠真は納屋の前で薪を割っていた。アズールが小さな体で手伝おうと、氷の息で薪を冷やし、割りやすくしてくれている。
「ありがとうな、アズール」
悠真が微笑むと、アズールは「キュイ!」と嬉しそうに鳴いた。
そのとき、空から強い風が吹き降ろしてきた。見上げると、エメラルドグリーンの鱗を持つ巨大なドラゴンが優雅に舞い降りてくる。アズールの母親、シギュラだ。
「シギュラさん、アズールの様子を見に来たんですか?」
『ええ。元気そうで何よりです』
テレパシーを通して聞こえてくるシギュラの声は、穏やかで優しい。アズールが嬉しそうに母親の元へ駆け寄っていく。
「最近は新しい遊び道具のおかげで、皆とも仲良く遊んでいますよ」
悠真がそう言うと、シギュラは満足げに頷いた。
『私も見せて貰いましたが、人間というのはやはり面白いものを……』
シギュラの言葉が途中で止まった。何かに警戒している様子だ。
『何か来ますね』
悠真も耳を澄ますと、遠くから大きな足音が近づいてくるのが分かった。地面が僅かに震え、木々が揺れる。何か大型の生き物が、牧場に向かって来ているようだ。
「シギュラさん、これは……」
そのとき、森の向こうから巨大な白い虎が姿を現した。普通の虎よりも遥かに大きく、肩の高さだけでも優に三メートルはある。全身の毛は純白で、背中に沿って青い炎のような模様が走っている。その目は琥珀色に輝き、牙は剣のように鋭い。
悠真は本能的に危険を察知し、後ずさった。しかしその時、シギュラから呆れたようなため息が聞こえてきた。
『ハクエンではないですか、あなた何故こんなところへ?』
巨大な白虎は低く唸り、シギュラに向かって何かを言っているようだった。
「あの、知り合いなんですか?」
悠真が恐る恐る尋ねると、シギュラはその大きな頭を優雅に傾げた。
『えぇ。と、彼の言葉が通じませんか。私が介してあげましょう』
シギュラがそう言うと、悠真の手の甲にある印が微かに光った。次の瞬間、今まで聞こえなかった声が突然頭の中に響き始めた。
『おい、何ごちゃごちゃ言ってやがる。てめえが急に居なくなったから、こんなところまで来ることになったんじゃねえか。さぁ、今度こそ決着をつけてやるぜ』
荒々しい男性の声だ。悠真は驚いて白虎を見た。シギュラがテレパシーで補足してくれる。
『彼はハクエンといって、久遠虎という種族の一人です。私にとっては友人のようなものですね』
シギュラの穏やかな説明と、ハクエンの荒々しい態度には大きな隔たりがあり、悠真はその落差に困惑した。しかし、その間にも二人の会話は続いていた。
『決闘は構いませんが、ここでは牧場に迷惑が掛かります。もう少し離れましょう』
シギュラが冷静に言うと、ハクエンは尾を大きく振った。
『逃げるんじゃなけりゃ構わねえよ』
そう言って、ハクエンはシギュラについて行こうとした。悠真は不安になり、シギュラに声をかけた。
「あの、大丈夫なんですか?」
『えぇ、少し遊んでくるだけですから。でも、皆さんは念のため牧場内に居て下さいね』
シギュラは悠真に安心させるような微笑みを向けると、大きな翼を広げ、空へと舞い上がった。ハクエンもその姿を追って、驚くべき跳躍力で林を越えていった。
――――――
しばらくして、遠くから轟音が聞こえてきた。まるで雷が鳴り響くような音と、大地を揺るがす衝撃波。シギュラとハクエンの戦いが始まったのだ。
リーフィアとリオンが慌てて悠真のもとへやってきた。
「悠真さん!あの音は……?」
「シギュラさんと、新しく来た久遠虎のハクエンってひとが戦っているみたいなんだ。シギュラさんの友人らしいんだけど……」
遠くの空では、シギュラの巨体が舞い、青緑色の炎を吐き出していた。対するハクエンは地面を蹴り、信じられないほどの高さまで跳躍し、シギュラに襲いかかる。両者がぶつかる度に衝撃波が起き、空気が震えた。
シギュラの鱗は太陽の光を受けて輝き、その動きは巨大な体を感じさせないほど優雅だった。一方、ハクエンの動きは荒々しくも的確で、その白い体からは青い電光のようなものが放たれていた。
「すごい……」
リオンが息を呑む。牧場の動物たちも恐れるように建物の陰に隠れていた。アズールさえも母親の戦いを見て、小さな体を震わせている。
シギュラは大きく翼を広げ、空から急降下すると、ハクエンに向かって螺旋を描きながら炎を放った。ハクエンはそれを避けると同時に、口から青白い光の弾を放つ。二つの攻撃がぶつかり合い、大きな爆発を起こした。
「……本当に大丈夫なのでしょうか?」
遠くからでも分かるほどの凄まじい光景に、リーフィアが心配そうに問いかける。
「たぶん……」
悠真はそう言うしかなかった。シギュラを信じたいという気持ちと、あの破壊力を目の当たりにした不安とが混ざり合っていた。
悠真たちの心配をよそに戦いは続き、彼らは互いの力を出し尽くすかのように激しくぶつかり合った。シギュラの尻尾が大きく振られ、近くの岩山が粉々になる。ハクエンの咆哮は雷鳴のように響き渡り、その度に空気が震えた。
――――――
そんな激しい音のぶつかり合いも、やがて徐々に収まっていった。シギュラは優雅に空を舞い、ハクエンも少し疲れた様子ながらその姿を睨みつけている。
『まだまだ!勝負はこれからだ!』
ハクエンは息が上がった様子だが、それでも強がるように吼えた。
『その辺にしておきなさい。十分に発散はできたでしょう?』
シギュラの声は普段より興奮しているようだが、それでも冷静さを保っていた。
『……ちっ、てめえはいつもそうだ。くそっ!』
ハクエンは悔しそうに呟くと、シギュラに背を向け、のそのそと牧場の方へ戻ってきた。そして、空き地の一角に到着するとふて寝するようにその場で丸くなった。
シギュラも牧場に戻ってくると、悠真たちの前で頭を下げた。
『みなさん、お騒がせしましたね』
「あぁ、うん……」
悠真は戸惑いながらも答えた。突然の出来事に、まだ状況を把握しきれていない。
そのとき、横になっていたハクエンが突然話しかけてきた。
『お前がここの主か?ここは良い地だな。シギュラも居座っている様だし、俺も世話になるぞ。良いな?』
その口調は問いというよりも、半ば脅しのようだった。シギュラが呆れたような声で割り込む。
『ハクエン、それは何かを頼む態度ではありませんよ。悠真さん、これでも彼に悪気は無いんです。迷惑はかけないと思うので良ければ置いてあげて下さい』
悠真は先ほどの戦いを思い出し、少し恐れを感じた。しかし同時に、ハクエンの目に悪意がないことも感じ取っていた。その上で、シギュラが保証するのであれば、その力が自分達に向けられることはないだろうと判断した。
「分かった。ここに住むのは構わないよ」
悠真の言葉にハクエンは満足げに頷いた。そして、悠真の手の甲を見て言った。
『シギュラから印を貰っているようだな。意思疎通ができなければ面倒だ。俺の印も特別にくれてやる』
そう言うと、ハクエンは悠真の反対側の手の甲に鼻先を近づけた。一瞬の痛みと共に、青い炎のような紋様が浮かび上がる。
『これで俺の言葉も直接聞こえるだろう。ありがたく思え』
「あ、ありがとう……」
悠真は新たな印を見つめながら答えた。牧場にまた一つ、強大な力を持つ存在が加わったことに、まだ実感が湧かない。
そのやり取りを見ていたシギュラは、安心したように一息ついた。
『では、私はそろそろ山に戻ります。アズール、良い子にしているのよ』
アズールは「キュイ」と返事をし、母親を見送った。
牧場に平穏が戻ると、悠真はリーフィアとリオンに一部始終を説明し、ハクエンが住むことになったことを伝えた。
「そうですか。それは失礼の無い様に気を付けないといけませんね」
リーフィアは驚きながらもハクエンの方を見てそう言った。
「でも、あんなに強い人が牧場に居てくれるのは、守護神みたいで心強いですね」
リオンはハクエンのことが気に入ったのか、少し嬉しそうにそう言った。
ハクエンはその言葉に僅かに気を良くしたのか、「フン」と鼻を鳴らす。
「守護神か……確かにそうかもな」
夜、悠真は牧場の動物たちがハクエンを取り囲んでいる様子を見つけた。最初は恐る恐るだったが、次第に興味を持ったのか、アクアとテラはハクエンの背中に登り、ユキはその大きな頭の上に座っていた。
ハクエンもそんな彼らに気づいているはずだが、振り払おうとはしなかった。言葉遣いは荒いし気難しそうだが、やはり悪い人物ではなさそうだと悠真は感じていた。
月明かりが牧場を優しく照らす中、ハクエンと動物達の寝息と共に、新たな日常が始まろうとしていた。




