第68話 アリシア王女、目標への第一歩
空島を訪れてから数日が経った穏やかな午後、牧場の門をくぐる馬車の音が聞こえてきた。悠真は作業の手を止め、顔を上げる。
「あれは……」
牧場に近づいてくる立派な馬車には、バストリア王国の紋章が掲げられていた。牧場の動物たちも珍しい来客に気づいたのか、興味深そうに集まってくる。
「アリシア王女か。久しぶりだな」
悠真がつぶやくと、肩に乗っていたラクルが「クルルー」と小さく鳴き、好奇心いっぱいの目で馬車を見つめていた。
馬車が停まると、付き添いの侍女が扉を開け、そこからアリシア・バストリアが降り立った。淡い金色の髪に飾られた小さな冠が陽光に輝いている。深い青色の瞳が牧場を見渡し、悠真を見つけると優雅に微笑んだ。
「お久しぶりです、白石さん」
アリシアは丁寧に挨拶すると、悠真に近づいてきた。その姿は前回会ったときよりも、どこか自信に満ちているように見えた。
「久しぶりですね、アリシア様。お元気そうで何よりです」
悠真も笑顔で出迎える。アリシアの視線がラクルに向けられた。
「まあ、こちらはまた新しいお友達ですか?」
「ああ、空島から来たエアーラートです。ラクルって名前です」
アリシアは目を輝かせ、優しく手を差し出した。ラクルは少し警戒しつつも、好奇心に勝てず、その手の匂いを嗅ぎ始めた。
「なんて可愛らしい子なんでしょう。空島ですか……それはまた素晴らしい体験をされたのですね」
「ああ、偶然この上空に来ていたので。せっかくだからみんなで行ってきたんですよ」
悠真がリビングに案内すると、既にリーフィアがお茶の用意をしていた。アリシアはリーフィアとリオンにも挨拶をし、共に席に着いた。
「それで、今日はどういったご用件で?」
悠真が尋ねると、アリシアは少し表情を引き締め、静かに話し始めた。
「実は、前回お会いした時に白石さんからいただいたアドバイスについて、ご報告したくて参りました」
ラクルが悠真の肩から飛び降り、テラと一緒に庭で遊び始める。窓からは二人の姿が見え、お互いに翼と耳を動かして何かを伝え合っているようだった。
「前回のアドバイス?」
「はい。王女としての責務と、自分の望む生き方の間で迷っていた私に、白石さんは『両立の道』を示してくださいました」
悠真は思い出したように頷いた。前回の訪問時、アリシアは自分の立場と、自分の望む生き方の間で揺れていた。王女としての重圧と、一人の女性としての熱意の狭間で。
「アドバイスなんて大したことを言ったりはできませんでしたけど。それで、どうされたんですか?」
「戻ってから時間は掛かりましたが、一歩踏み出してみたんです。王宮の一画を使って、研究所と連携し、王国近郊の動物や魔法生物を少しずつ保護する施設を作りました」
リーフィアがハーブティーを注ぎながら、静かに微笑む。
「こんな短期間でそこまで行動に移せるとは、流石はアリシア様です」
「ありがとうございます。最初は父上も難色を示されましたが、『国民に自然の大切さや生命の尊さを伝える教育の場にもなる』と説得したんです」
アリシアはそう語りながら、誇らしげな表情を浮かべた。
「現在はまだ小さな施設ですが、一般にも公開していて、子供たちに特に人気なんですよ。学者の方々にも研究の場として利用していただいています」
「そうか、それは良かった」
悠真は心から嬉しそうに答えた。アリシアは手のひらを見つめ、ふと言葉を詰まらせた。
「まだ小さな一歩を踏み出したばかりですが……自分の道を見つけられたのは、白石さんのおかげです。本当にありがとうございました」
深々と頭を下げるアリシアに、悠真は少し照れくさそうに手を振った。
「いや、俺はちょっと背中を押しただけですよ。決めたのはアリシア様自身です」
悠真の言葉に、アリシアは晴れやかな笑顔を見せた。
「さて、他のみんなにも挨拶しておきたいですね。この子以外にも新しい生物が増えてるんですよね?」
悠真は頷き、リビングを出て牧場内を案内することにした。
――――――
牧場内を歩きながら、アリシアは次々と現れる動物たちに挨拶していく。
「前回来た時よりも、一層賑やかになりましたね」
アリシアの言葉に、悠真は微笑んだ。
「そうですね。ちょうど昼寝してるかもしれないけど……あ、あそこにいるのがストーン。大岩亀です」
岩場の近くで、まるで本物の岩のように擬態しているストーンを指さす。アリシアが近づくと、ストーンがゆっくりと首を動かし、「クー」と静かに鳴いた。
「こんにちは。まるで本物の岩のようですね」
次に温泉の方へと向かうと、そこではクロロが二足歩行で歩き回っていた。その姿を見たアリシアは目を見開いた。
「あれは……もしかしてエイドからの報告にあった恐竜ですか?」
「クロロだ。温泉の色を変える力を持ってる。色によって効能も変わるんだ」
クロロは二人に気づくと、「クゥロ」と鳴き、鉤爪を温泉に浸した。すると、透明だった湯が淡い紫色に変わっていく。
「信じられない……自在に温泉の効能を変えられるなんて」
さらに水場へと向かうと、そこではレインが空中を泳ぐように飛んでいた。アリシアはその姿に見とれる。
「これは……イルカが空を?」
「レインだ。ソライルカって種族らしい。先日の空島で知ったんだが、本来は空島の生物だったらしい」
レインが二人に気づくと、宙返りをしてから明るい光を放ち、挨拶をした。
花畑の方へ行くと、花に囲まれて黄緑色の髪の少女が座っていた。アリシアは思わず足を止める。
「あちらは……?」
「アウラだ。アルラウネという種族で、植物の特性を持ってる。水をあげると喜ぶんだ」
アウラは二人に気づくと、恥ずかしそうに微笑み、小さく手を振った。
「本当にこの牧場には多彩な子達が集まるんですね……」
アリシアの言葉に、悠真はどこか誇らしげに頷いた。しかし、アリシアの視線はすぐに牧場の一角にいる二匹の兎に引き寄せられた。
「ステラ!ルミ!」
アリシアは思わず駆け出し、ルナーホップの親子の元へと向かった。ステラとルミもアリシアを覚えていたのか、嬉しそうに「プゥプゥ」と鳴きながら近づいてきた。
「会いたかったわ」
アリシアは膝をつき、優しくルミを抱き上げた。その表情は、王女としての威厳を脱ぎ捨て、一人の動物好きな女性のもので満ちていた。
「やはりアリシア王女は、この子たちがお気に入りなんですね」
リーフィアがお茶を持ってきながら、穏やかに微笑んだ。
「ええ、忘れられなくて。王宮でも、いつかこういう子たちを迎えられる日が来ればいいなと思っていました」
休憩時間には、アリシアはベンチに座り、ルミを膝に乗せて撫でながら幸せそうな表情を浮かべていた。悠真はその姿を見て、心の中でほっとした。
――――――
夕暮れが近づき、帰る時間になったとき、アリシアは悠真たちに向き直った。
「今日は本当にありがとうございました。また一つ、大切な思い出ができました」
アリシアの瞳には決意の光が宿っていた。
「大変ですが、これからも両立の道を目指します。王女としての務めを果たしながら、生き物たちとの共存を実現する。小さくても、確かな一歩を進んでいきたいと思います」
悠真はその言葉に、心から頷いた。
「応援してますよ。また困ったことがあったら、いつでも相談してください」
「はい、必ず」
アリシアは晴れ晴れとした笑顔を見せ、馬車へと向かった。最後に振り返り、手を振る。
「また必ず来ますね!」
悠真たちも手を振り返し、馬車が地平線の向こうに消えるまで見送った。
牧場に戻ると、ルナが「ニャ」と鳴きながら悠真の足元にすり寄ってきた。
「ああ、アリシア様は帰ったよ。また来るってさ」
肩には再びラクルが戻ってきて、好奇心いっぱいの目で「クルルー」と鳴いた。
「アリシア様も自分の道を歩み始めたんですね」
リーフィアが静かに言った。悠真は頷き、夕焼けを見つめた。
「ああ、みんなそれぞれの場所で頑張ってる。俺たちも負けてられないな」
牧場の夕暮れは、やがて静かな夜へと変わっていった。明日もまた、新しい一日が始まる。悠真は柔らかな気持ちで眠りについた。




