第64話 魔王軍の強襲
朝の柔らかな陽射しが牧場を包み込む中、悠真は普段通りの作業に取り掛かっていた。リーフィアとリオンが近くで会話を交わし、ミリアムが薬草の手入れをしている。まるで何事もない穏やかな午前中。
「おはよう、アズール。少しこっちを手伝ってくれるか?」
「キュ!」
小さなドラゴンは誇らしげに鱗を輝かせ、悠真の作業を手伝っている。近くでは、ヘラクレスが角から小さな炎を吐き出しながら、木材を乾かしている。その姿はまるで職人のようだった。
リーフィアとミリアムは、牧場の隅の薬草園で作業をしていた。緑色の葉を優しく撫でながら、二人は会話を交わしていた。
「この薬草、とても元気そうですね」
ミリアムが笑顔で葉を撫でると、リーフィアは穏やかに微笑んだ。
「たしかに。悠真さんの牧場経営スキルのおかげでしょうね」
リオンは近くで動物たちの世話をしながら、二人の会話に耳を傾けていた。サクラ色の羊が彼の足元で草をむしり、クロロが小さな炎を吐きながら遊んでいる。
しかし、そんな平和な風景に水を差すように風が静かに吹き始め、空気が急に重くなった。ウィンドが銀色の翼を震わせ、異変を感じ取った。アズールも小さな体を固くし、警戒の姿勢を取る。
次の瞬間、牧場全体を覆うように、異様な空気が広がった。悠真は釘を打つ手を止め、微かに耳を傾けた。動物たちも一斉に動きを止め、緊張感に包まれていく。
黒い翼を広げた悪魔のような存在が、牧場の上空に姿を現した。鱗のような真っ黒な皮膚、鋭く研ぎ澄まされた牙、血のように赤く光る瞳。悪魔は牧場を冷徹な視線で見下ろし、低く響く声で語り始めた。
「人間ども。こんなところで、随分と奇妙な生き物を集めているようだな」
悪魔の声は氷のように冷たく、威圧的だった。家畜たちは本能的に身構える。ベルは小さな鈴を震わせ、雷を帯びた毛並みを逆立てた。ヘラクレスは角から燃え盛る炎を吐き出し、悪魔に向けて威嚇する。
「なっ、と、突然現れて、一体何なんだお前は?」
悠真の問いに、悪魔は牧場に近づきながらにやりと薄ら笑いを浮かべた。鋭い爪が光り、周囲の空気を切り裂くかのようだった。
「我は、魔王グレイヴァス様の配下が一人、ベレム・ゴーザだ。最近の人族は勇者などとこざかしい存在を呼び出して色々としているようだが、どうせここもその一環だろう?面倒だが、危険の芽は今のうちに摘ませて貰おう」
リーフィアが小さく息を呑む。ミリアムは本能的に後ろに下がりかけたが、すぐに踏みとどまった。彼女の目には、恐怖と同時に、何かを守りたいという強い意志が宿っていた。
「悠真さん……」
悠真は釘を握ったまま、一瞬たりとも目をそらさず、冷静に悪魔を見据えていた。
(たとえ、何の力もなかったとしても、この牧場は俺が守らないと……!)
悠真がそんなことを考えていると――
『私の留守を狙うとは、いい度胸をしていますね』
突如、牧場全体を包む緊張した空気を破るように、静かな怒りを孕んだ声が響いた。
「何っ!?」
悪魔がその声に驚愕した次の瞬間、空間が歪み始めた。透明な幕が剥がれるように、巨大な緑色の鱗を持つドラゴンの姿が出現する。エメラルドグリーンの鱗は黄金の陽光を反射し、黄金の瞳は冷酷なまでの静けさで悪魔を見据えていた。
『不可侵を破った以上、覚悟はできていますね?』
シギュラの声は雷鳴のように響き、周囲の空気が震えた。
いつもとは別人のようなシギュラの雰囲気に、悠真たちは思わず身を縮めた。しかし、アズールは悠真の足元でシギュラを見上げ、応援するように「キュイキュイ!」と叫んでいる。
悪魔は一瞬、動揺の色を見せたものの、すぐに狡猾な笑みを浮かべた。
「ちっ!だが、たかが一匹のドラゴンに、何が……」
しかし、その言葉が終わらないうちに、シギュラは圧倒的な力を放った。魔法にも似た、純粋な生命のエネルギーが空間を引き裂くかのように渦巻き始めた。
悪魔は抵抗しようとしたが、シギュラの一撃でその力も瞬時に粉砕された。まるで紙切れのように脆く、何の抵抗もできずに消え去っていく。
「なっ……そ……」
悪魔の最後の言葉さえ、呑み込みそのまま虚空へと消えていった。
――――――
事態が収まった後、シギュラがテレパシーで悠真に話しかけてきた。
『そちらは皆さんご無事ですか?』
「あ、あぁ。シギュラさんのおかげで全員無事だよ。助けてくれてありがとう」
『いえ、あなたがたにはアズールがお世話になっていますから。しかし、まさかこんなタイミングで仕掛けてくるとは、少々油断していました』
シギュラは牧場の外れに身を横たえ、悠真たちと向き合っていた。巨大な体格からは想像できないほど、穏やかな口調で説明する。
「それだけど、シギュラさんはあの悪魔みたいなやつのこと何か知っているのか?不可侵がどうとか言っていたけれど……」
『そうですね。こんなこともありましたし、話しておいたほうが良いでしょう。実はこの地には以前にも魔王の手先が来ていたことがあるのです。その際は私が適当に追い払っていました。彼らも人族と戦いながら私達ドラゴン族を敵に回したくはなかったのでしょう。少しして、彼らがやってくることも無くなりました。不可侵とは言いましたが、別に彼らとそんな約束をしたわけではありません』
「……そういうことか。そういえば今まで気にしてなかったけど、魔王軍がこの辺に来なかったのはシギュラのおかげだったのか」
シギュラの話を聞いた悠真は、納得したように頷いた。
『しかし、私の留守を狙ってまでこんなことをしてきたということは、恐らくは人族の抵抗に苦戦し始めて、別の所から打撃を与えようとでも考えたのでしょうね』
確かに、以前に届いた彼らからの手紙でもいくつかの地域を救うことができたと書かれていた。予想以上に彼らは魔王の軍勢を追い詰めているのかもしれない。
『とはいえ、私の怒りを買う可能性を取ってまでこんなことをしたということは、今後も魔王の手先がこの地域を襲う可能性もあります。もし、怪しい雰囲気を感じた時は迷わずその印を使って私を呼んでください』
言われて悠真は手の甲の印を見つめた。こんな形で必要になるとは思っていなかったが、もしあのような悪魔がまたやってきたら頼らざるを得ないだろう。
「分かりました。その時はよろしくお願いします」
『えぇ。それでは私は山に戻ります』
そういってシギュラが翼を広げると、飛び立つことを察したのだろう。リーフィア、リオン、ミリアムの三人が前に進み出て、丁寧に頭を下げた。
「「シギュラさん、本当にありがとうございました」」
シギュラは穏やかな瞳で三人を見つめると、一つ頷いて飛び立っていった。
アズールは悠真の足元でキュッと鳴き、ベルはほっとしたように小さな鈴を鳴らした。他の皆も危機が去ったことに安心したように各々の場所で休んでいた。
「とりあえず、皆が無事でよかった。今回はシギュラさんのおかげで助かったけど、またあんな奴が現れた時の為に何か対策を考えないといけないな」
「そうですね。倒すのは難しいかもしれませんが、魔法道具などを使えば守ることはできるかもしれません」
「だな。今度アスターリーズにに行ったときに探してみよう」
そうして、突如牧場に訪れた危機は一先ずの終息をみせた。悠真達は助かったことに安堵しつつも今後に向けた対策を考えながら家に戻っていった。
夕暮れの牧場は、まるで何事もなかったかのように、穏やかな光に包まれていた。




