第57話 リオン、牧場で働く一日目
朝露に濡れた草の香りが鼻をくすぐる。リオンは早朝の空気を胸いっぱいに吸い込むと、満足げに息を吐いた。村とは違う、でもどこか懐かしい感覚がここにはあった。
「ちょうどいいところに来たわね。今日は一緒に朝の作業をしましょう」
振り返ると、銀髪が朝日に輝くリーフィアが優しく微笑んでいた。
「はい、リーフィア姉さん!何から始めればいいですか?」
「まずは動物たちの様子を見て回ることかしら。それぞれの好みもあるから、覚えておくといいわ」
朝露の残る牧場を歩きながら、リーフィアは次々と家畜たちのことを説明していく。リオンは目を輝かせながら、熱心にうなずいていた。
――――――
「この子がヘラクレス。角から炎を出すことがあるから、近づくときは正面を避けるのよ」
巨大な牛が、のんびりと草を食んでいた。リオンが恐る恐る近づくと、ヘラクレスは大きな瞳でじっとリオンを見つめ、鼻息を荒くした。
「大丈夫、怖がらないで。ヘラクレスは朝は少し機嫌が悪い時があるの」
リーフィアがヘラクレスの首筋を優しく撫でると、牛はおとなしくなった。
「流石リーフィア姉さん!どうやって動物たちと仲良くなるの?」
「心を開いて、彼らのことを理解しようとすることかしら。彼らにも感情があり、それぞれの事情があるのよ」
リオンは感心したように目を見開いた。
「次は水晶リスのアクアと、カーバンクルのテラに会いに行きましょう」
――――――
「わあ!水が結晶になった!?」
リオンの歓声が牧場に響く。アクアが尻尾を振ると、空中の水滴が青い結晶となって輝いた。テラはその周りをくるくると回り、嬉しそうに「ミュウ」と鳴いている。
「アクアは水を操る力があるの。テラは土を耕すのが得意。二人はとても仲がいいのよ」
「村では見たことのない生き物ばかりです...」
リオンが感嘆の声を上げる中、悠真が納屋から出てきた。
「おはよう。早速仕事を覚えてるみたいだな」
「悠真さん、おはようございます!はい、リーフィア姉さんに教えてもらってます」
悠真は微笑み、リオンの肩を軽く叩いた。
「そういえば、この牧場の不思議な点にはもう気づいたか?」
「不思議……ですか?」
「ちょっとこっちに来てみるといい」
――――――
リオンは悠真とリーフィアに連れられて牧場の端から端まで歩いた。最初は普通の温度だったが、岩場に近づくと急に暖かくなり、水場の近くでは涼しい風が吹いていた。
「温度が...変わりますね?どうして?」
「俺の『牧場経営』というスキルの効果だ。動物たちがそれぞれ快適に過ごせるよう、エリアごとに気温を調整してる」
リオンは目を丸くした。
「すごい...!村では聞いたことないスキルです!」
「まぁ、ちょっと特殊なスキルだからな。おかげで冬でも暖かい場所があるし、夏でも涼しい場所が確保できる」
リーフィアが微笑みながら説明を加えた。
「最初は私も驚いたわ。でも、おかげで色々な生き物が快適に暮らせるの」
「牧場って……すごいんですね」
リオンの瞳に、新たな発見の喜びが輝いていた。
――――――
数日が過ぎ、リオンは少しずつ牧場の仕事に慣れていった。朝の餌やり、水場の清掃、草の手入れ。それぞれの動物たちの名前と性格も覚え始めていた。
「リオン、もう少し右側の草を刈っておいてくれるかな」
悠真の声に、リオンは鎌を振るう手を止めた。
「はい!...あれ?」
空を見上げると、何かが光を反射して輝いている。
「あれは...レインだよ」
悠真が微笑みながら空を指さした。青い空をまるで水の中のように泳ぐイルカの姿が見えた。
「空を…泳いでる…?」
「レインは空を泳ぐイルカなんだ。光を操ることもできるよ」
レインは優雅に空を舞い、時折キラキラと輝く光の軌跡を残していく。リオンは作業を忘れ、見とれていた。
「この牧場には、珍しいことか色々あるからな。いちいち驚いていたらきりがないぞ?」
――――――
「リオン君、ちょっと手伝ってくれる?」
昼食後、ミリアムが牧場を訪れていた。彼女は両手いっぱいの薬草バスケットを抱えている。
「はい、もちろんです!何をすればいいですか?」
「これを種類ごとに分けるの。シャイニングリーフは透き通るような緑色で、フィーバーダウンは少し赤みがかってるのよ」
二人は縁側で薬草を分類し始めた。ミリアムの明るい話し声と、リオンの真剣なまなざし。そんな平和な光景を見ながら、悠真とリーフィアはハーブティーを楽しんでいた。
「リオンも随分と牧場に馴染んできたようですね」
「ああ。彼はしっかりしてるし、飲み込みも早い」
その時、突然空気が震え、牧場全体に影が落ちた。
「な、何ですか!?」
リオンが驚いて立ち上がる。空には巨大な影が広がっていた。
「あぁ、シギュラさんか」
悠真は落ち着いた様子で言った。
――――――
「悠真さん、そちらに新たな住人が増えたようですね」
深く、重厚な声が響き渡る。リオンは震える足で立ち尽くしていた。目の前には巨大なドラゴンが降り立っていた。エメラルドグリーンの鱗が光を反射し、黄金の瞳がじっとリオンを見つめている。
「シギュラさん、お久しぶりです。はい。この子がリオンっていって、リーフィアの村から来た子です」
悠真が当たり前のように巨大なドラゴンと会話している光景に、リオンは目を疑った。
「ゆ、悠真さん…そ、それ、ドラゴン…ですよ!?」
リーフィアがリオンの肩に手を置いた。
「大丈夫よ。シギュラさんはアズールのお母さん。友好的な人だから」
「…友好的?」
シギュラは首を下げ、リオンの高さまで顔を近づけた。
「驚かせてしまい申し訳ありません。私は普段、姿を隠していますので」
近くで見ると、シギュラの瞳はより深く、知性に満ちていた。
「キュイ!キュイ!」
シギュラの背中から小さな青い姿が飛び降りてきた。アズールだ。
「アズールも挨拶したいようですね」
悠真が笑いながらアズールを抱き上げる。小さなドラゴンはリオンを見て好奇心いっぱいの目で「キュ」と鳴いた。
「この子が……アズール?」
震える手で、リオンはアズールの頭を撫でた。アズールは嬉しそうに鳴き、リオンの肩に飛び乗った。
「若きエルフよ。アズールをよろしく見守っていただければ幸いです」
シギュラの声は威厳があるのに、どこか優しさも感じられた。
「は、はい!こちらこそよろしくお願いします!」
リオンが緊張しながらも挨拶すると、シギュラは満足げに頷いた。
「では、私はこれで」
巨大なドラゴンの姿が徐々に透明になり、やがて完全に消えた。残ったのは青空と、リオンの肩で嬉しそうに鳴くアズールだけだった。
――――――
「はぁ…なんて日だ…」
夕食後、リオンは疲れた様子で縁側に座っていた。アズールは彼の膝の上で丸くなり、優しい寝息を立てている。
「大丈夫か?」
悠真が隣に座った。
「はい…ただ、一日でこんなに驚くことがあるなんて」
「シギュラさんは確かに驚くよな。最初に会った時は俺も腰を抜かしそうになった」
二人は笑い合った。牧場に広がる夕焼けは、穏やかな金色に染まっていた。
「でも、楽しいです。こんな不思議な場所で、こんな素敵な生き物たちと過ごせるなんて…」
リオンの顔には疲れと共に、確かな喜びが浮かんでいた。
「牧場生活、気に入ってくれたみたいでよかったよ」
悠真がリオンの頭を優しく撫でると、リオンは照れくさそうに笑った。
「はい!まだまだ驚くことばかりですけど、頑張ります!」
夕暮れの牧場に、新しい仲間の笑顔が加わった。これからもきっと、様々な出会いと驚きが待っているだろう。そんな予感と共に、穏やかな一日が終わりを告げようとしていた。




