第55話 空から舞い降りた友達
長雨が続いていた。空は灰色の雲に覆われ、滴り落ちる雨音が牧場全体に響いていた。悠真は窓辺に座り、雨に煙る風景をぼんやりと眺めていた。
「この雨、いつまで続くんだろうな」
悠真の呟きに、足元で丸くなっていたルナが顔を上げた。黒猫の瞳が悠真を見上げ、「ニャ」と短く返事をする。
「お前は雨でも平気そうだな」
悠真が微笑むと、ルナは伸びをして、また丸くなった。この数日、外での作業が制限され、悠真たちは室内で過ごすことが多くなっていた。リーフィアは薬草の整理をし、動物たちも思い思いの場所で雨宿りをしている。
「少し本でも読むか……」
そう言って立ち上がろうとした瞬間、悠真は窓の外に白い影のようなものが動くのを見た。雨の中、ふわりと浮かぶような動きをする白い何か。
「あれは……何だ?」
好奇心に駆られた悠真は、傘を手に取り、玄関へと向かった。ルナも興味深そうに尻尾を揺らしながら、悠真の後を追う。
「ちょっと見てくるから、リーフィア」
「はい、気をつけてくださいね。雨が強くなっていますから」
リーフィアは手にしていたハーブの束から顔を上げ、心配そうに答えた。
――――――
雨の冷たさが頬を撫でる。悠真は傘を広げ、白い影を見た方向へと進んだ。牧場の上空を、何かが優雅に舞っている。近づくにつれ、その正体が明らかになった。
「……イルカ?」
『世界の希少生物図鑑』で見たことがある。空を泳ぐように飛ぶイルカの姿。純白の体に青い模様が浮かび、半透明の尾びれが雨の中で輝いていた。
「本当にいるんだな……ソライルカ」
驚きに目を見開く悠真に気づいたソライルカは、好奇心からか、ゆっくりと高度を下げてきた。空中を泳ぐような動きで接近すると、「ピィーピィー」と高い声で鳴いた。
「おいで、怖くないよ」
悠真が手を差し出すと、ソライルカはさらに近づき、その手に鼻先を軽く触れた。冷たくぬめりのある感触。まるで古くからの友人を見つけたかのように、ソライルカは喜びを表現するように体を回転させる。
「お前も、ここに来たかったのか?」
「ピィー!」
ソライルカの返事に、悠真は思わず笑った。次々と不思議な生き物が集まってくる牧場。もはや驚きもしなくなっていた。
「おまえもか。ここに住むんなら……」
悠真は辺りを見回した。もし水辺の生き物なら、もっと深い水場が必要かもしれない。しかし、ソライルカは空中に浮いている。
「よく考えたら、おまえには水場とかいらないのかな?」
そう呟いた瞬間、ソライルカは「ピー」と鳴くと、近くの泉に向かって一直線に飛び込んだ。水しぶきを上げ、泉の中で嬉しそうに泳ぎ回る姿を見て、悠真は納得した。
「あぁ、空を飛べても、やっぱり水は好きなんだな。大雨の時期に来たのもそのせいか」
ソライルカは水面から顔を出し、クルクルと回転しながら悠真に向かって「ピピピー」と鳴いた。その姿は、まるで「当たり前だよ」と言っているかのようだった。
「わかったよ。お前のために、いい水場を作ってやるよ」
悠真が微笑むと、ソライルカは喜びの声を上げながら再び水中へと潜った。
――――――
悠真は意識を集中させると地形カスタマイズのスキルを発動させる。牧場の一角、丘の麓にある泉を中心に、地形が緩やかに変化していく。泉は広がり、深さを増していった。光が消えると、そこには小さな湖のような水場が出現していた。
「どうだ、これで満足か?」
「ピィーーーー!」
ソライルカは新しい水場に飛び込み、嬉しそうに水中を駆け回った。時折、高く跳ね上がっては、空中で回転する。その姿に、悠真は心から微笑んだ。
「名前もつけてやらないとな。うーん、空を泳ぐイルカだから……スカイ?いや、ちょっと安直すぎるか」
悠真が考え込んでいると、ソライルカは水面から飛び出し、雨の中で輝く虹色の光を放った。
「そうだ、『レイン』はどうだ?雨の日に出会ったんだし」
「ピィー!ピィー!」
ソライルカ——レインは、名前を気に入ったらしく、嬉しそうに泳ぎ回った。
「よし、レインに決まりだ」
――――――
夕方になり、雨はすっかり上がっていた。牧場は新鮮な空気と雨の香りに包まれていた。悠真は、新しく作った水場の周りの気温も忘れずに調整しておいた。
「これで快適に過ごせるはずだ」
レインは水中を優雅に泳ぎ回り、時折空中に舞い上がっては戯れていた。その姿を見守りながら、悠真は静かに微笑んだ。
「また新しい仲間が増えたな」
リーフィアが悠真の隣に立ち、レインを見つめていた。
「はい。空を飛ぶイルカなんて、本当に珍しい生き物ですね」
「ああ。エイドさんはまた喜びそうだ」
「そうですね。研究員の方々は喜ばれるでしょう」
リーフィアが微笑む。静かな夕暮れの光の中、レインは水面から高く飛び上がり、空中で優美な円を描いた。その姿に、悠真とリーフィアは思わず見とれた。
ふと、レインが水面から顔を出し、悠真たちを見つめた。その瞳には知性の光が宿っているように見えた。
「レイン、これからよろしくな。この牧場は平和で安全だから、ゆっくり過ごしてくれ」
「ピィー!」
レインは嬉しそうに鳴くと、突然空高く舞い上がった。水滴が虹色に輝く中、レインは空中で美しい弧を描く。その姿はまるで舞うように優雅で、牧場の夕暮れの景色に溶け込んでいった。
「悠真さん、夕食の準備をしましょうか。今日はハーブスープはいかがでしょう?」
「いいね。冷えた体も温まるし」
「レインにも何か持って行ってあげましょうか」
「ああ、きっと喜ぶよ」
二人が家に向かって歩き始めると、レインはもう一度水面から飛び上がり、二人を見送るように空中でくるりと回った。
「また後でな、レイン」
悠真が手を振ると、レインは「ピィー!」と嬉しそうに鳴いた。
――――――
夕食後、悠真はリーフィアと一緒にレインの様子を見に行った。図鑑で確認したレインが好みそうな魚介類の餌を入れたバケツを手に持って。
月が雲間から顔を出し、水面を銀色に照らしていた。レインは水面近くで静かに浮かんでいるが、二人の気配に気づくと、すぐに顔を出した。
「ピィー」
「ああ、夕食を持ってきたよ」
悠真がバケツから魚を取って差し出すと、レインはゆっくりと近づいてきた。匂いを嗅ぎ、それをパクっと口にする。
「気に入ってくれたかな?」
「ピィー!」
レインは嬉しそうに鳴くと、水中でクルクルと回転した。その姿に、悠真とリーフィアは思わず笑みがこぼれた。
「悠真さんの牧場には、不思議な縁で生き物たちが集まってきますね」
「ああ。でも、それもまた楽しいものだよ」
二人が話していると、レインは水面下で小さな光を放った。その光は徐々に広がり、水面全体が淡い青色に光り始めた。
「これは……」
「きれいですね……」
幻想的な青い光が水面から立ち上り、周囲を柔らかく照らしていく。レインはその中心で、まるでダンスをするように体を回転させていた。
「これがソライルカの能力なのかな」
「光を操る力を持っているのかもしれませんね」
二人が見守る中、レインの放つ光はさらに鮮やかになり、やがて水面から立ち上がって夜空へと舞い上がった。青い光の粒子が星のように広がり、牧場全体を幻想的な光で包み込んだ。
「まるで光のショーみたいだ」
悠真の言葉に、リーフィアは小さく頷いた。
「牧場に来てくれたお礼なのでしょうか」
「かもしれないな」
光のショーは数分間続き、やがて光の粒子は徐々に消えていった。レインは水面に戻り、悠真とリーフィアを見上げた。
「ありがとう、レイン。素晴らしい光景だったよ」
悠真が頭を撫でると、レインは「ピィー」と嬉しそうに鳴いた。
「さて、そろそろ戻ろうか。明日からもまた、一緒に過ごそうな」
「はい。おやすみなさい、レイン」
リーフィアも優しく声をかけると、レインは水中から顔を出し、「ピィー」と別れの挨拶をした。
牧場の空に、再び星が瞬き始めていた。悠真とリーフィアは家路につき、新しい仲間を迎えた一日が静かに幕を閉じようとしていた。レインはまるで感謝するかのように、水面から飛び上がり、美しい円を描いて再び水中へと戻っていった。




