第30話 ドミニクの訪問
朝霧が牧場を包み込み、優しい光が草原を照らす頃、白石悠真は牧場の小高い丘に腰を下ろし、一息ついていた。見学路が完成してから数週間が経ち、村の子どもたちが時折訪れるようになっていた。
「最近は賑やかになったな」
悠真はそう呟きながら、牧場の風景を眺めた。アズールは小さな池で水しぶきを上げて遊び、フレアは暖かい岩場で気持ちよさそうに昼寝をしている。ウィンドは空高く舞い、牧場の上空をパトロールするかのように飛んでいた。
「悠真さん、おはようございます!」
振り返ると、リーフィアが朝の水やりを終えたようで、手には空になった水差しを持っていた。銀色の髪が朝日に輝いて見える。
「おはよう、リーフィア。今日も早いな」
「はい。朝の光を浴びた植物たちは、一段と生き生きとしているように感じますから」
リーフィアは穏やかな微笑みを浮かべ、悠真の隣に座った。
「見学路ができてから、家畜たちも随分と落ち着いたようですね」
「ああ、初めは子どもたちの声にびっくりしていたけど、今ではすっかり慣れたみたいだ」
二人が話していると、シャドウがそっと近づいてきた。最近では人の気配にも慣れ、以前ほど警戒しなくなっている。悠真の足元に座り、尻尾をゆっくりと左右に振った。
「シャドウまでこんなに人懐っこくなるとはな」
リーフィアがそっと手を伸ばすと、シャドウは少し身を引いたものの、すぐに落ち着き、彼女の手の匂いを嗅いだ。
「人間にも色々いるってわかったんでしょうね」
悠真がシャドウの頭を撫でていると、牧場の入り口から人影が見えた。
「あれは……」
悠真が目を凝らすと、それはドミニク・バレルだった。アスターリーズ商会の取引担当で、しばらく牧場に来ていなかった。彼は深緑色のジャケットに赤いベストという、いつもの商人らしい格好で、興味深そうに牧場を見回している。
「おはようございます、白石さん!久しぶりにお邪魔します!」
ドミニクは口髭を撫でながら、大きな声で挨拶した。悠真とリーフィアは立ち上がり、彼を迎えに行った。
「おはようございます。ドミニクさん。久しぶりですね」
「それにしても……」
ドミニクは周囲を見回し、目を丸くした。
「牧場の様子がまるで変わっていますね!前回来た時はここまで……」
悠真は微笑んだ。
「少しずつ整備したんです。子どもたちも遊びに来るようになったので」
「なるほどそういうことですか。あっ、そうです。今日は、お礼を言いに来たんですよ」
ドミニクは誇らしげに胸を張った。
「白石牧場の畜産物が、アスターリーズで大評判なんです!特にサクラから採れる羊毛は、王都の貴族の間でも引っ張りだこですよ」
「それは良かった」
悠真が答えると、ドミニクはさらに続けた。
「それで、良ければ今日は牧場の様子を見せてもらえないでしょうか?」
「もちろんです。今から案内しましょう」
悠真は見学路に沿って、ドミニクを案内し始めた。リーフィアも一緒に付いてきた。
――――――
「これは素晴らしい!まるで公園のようですね!」
ドミニクは見学路の整備された様子に驚いていた。適度な間隔で設置された休憩所や、動物たちを観察するための展望台、四季折々の花が咲く花壇。それらが見事に調和していた。
「子どもたちの安全を考えて作ったんだ」
「さすがは白石さん!こういう細やかな配慮が、畜産物の質の高さにも表れているんでしょうね」
ドミニクが感心していると、池の方から「キュイ!」という可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。アズールが水から飛び出し、三人の方に向かって小走りで近づいてきた。
「あれは、まさか……ドラゴン!?」
ドミニクの目が大きく見開かれた。
アズールは好奇心いっぱいの表情で、ドミニクの足元までやってきた。青みがかった鱗は朝日を受けて美しく輝いている。
「ああ、アズールだよ。まだ子どもだけどね」
悠真が当たり前のように言うと、ドミニクは震える手でアズールを指さした。
「何を呑気な!ドラゴンですよ!?幻獣中の幻獣!一国の財宝にも匹敵する価値がある!」
ドミニクの興奮した様子に、アズールは首を傾げた。その仕草がさらに可愛らしく見える。
「白石さん!」
ドミニクが突然、真剣な表情で悠真に向き直った。
「このドラゴン、売ってくれませんか?いや、お値段は言い値で構いません!」
「え?」
悠真は驚いて声を上げた。
「いやいや、アズールを売るなんて、そんなことできませんよ」
「でも、考えてみてください!ドラゴンの子どももこれほど希少で、しかも人に懐いているなんて……王都の貴族たちが争って求めるでしょう!」
ドミニクの目は輝き、口髭が興奮で震えている。しかし悠真は穏やかに、だが毅然とした口調で答えた。
「彼には近くに親がいるんだ。そんなことをしたら大変なことになる」
「親、ですって!?」
ドミニクの顔から血の気が引いた。
「成体のドラゴンが……この近くに!?」
「ああ、シギュラって言うんだ。かなり大きいよ」
悠真が何気なく言うと、ドミニクはさらに青ざめた。
「い、いや……しかし……」
彼はまだ諦めきれない様子だったが、リーフィアが静かに言葉を挟んだ。
「ドミニクさん、アズールはただの商品ではありません。彼には家族がいて、この牧場が彼の住処なのです」
「それに彼を売ったりなんかしたら、シギュラが怒るのは目に見えてる。最悪、アスターリーズをそのドラゴンが襲うことになるかもしれませんよ?」
その言葉にドミニクの顔がさらに青ざめた。彼は口髭を撫でながら、深いため息をついた。
「……そうですね。それは……避けたいですね」
ドミニクは残念そうだったが、理解を示した。
「まさか、こんな小さな牧場でドラゴンが飼われているとは……白石さん、あなたは並外れた人物だ」
「そんなことないよ。彼らが勝手に集まってくるんだ」
悠真が謙遜すると、アズールは彼の足元に寄り添い、「キュイ」と嬉しそうな声を上げた。
――――――
見学を終え、ドミニクは牧場を後にした。彼の表情には名残惜しさと、新たな商機への期待が入り混じっていた。
「また来ますよ、白石さん!今度は別の商品も探してみましょう!」
悠真とリーフィアは彼を見送りながら、穏やかな笑みを浮かべた。
「ドミニクさんも、商人だけあって珍しいものには目がないのですね」
「ああ、でも悪い人じゃない。彼の目利きのおかげで、牧場の畜産物も広まったんだからね」
牧場に静けさが戻り、アズールは再び池に戻っていった。空では、ウィンドが優雅に舞い、フレアはまだ昼寝を続けている。シャドウは悠真の足元で丸くなり、穏やかな寝息を立てていた。
「結局は、この平和が一番だよな」
悠真はそう呟き、牧場の景色を満足げに眺めた。牧場で暮らす動物たちが、それぞれの場所で、それぞれの幸せを見つけている。彼らを見守ることが、悠真にとっての幸せだった。




