第19話 ヘラクレスの悩み
朝の光が牧場に差し込み、悠真は納屋の掃除を終えたところだった。汗を拭いながら外に出ると、どこか物憂げな様子で草を食むヘラクレスの姿が目に入った。
「どうした、ヘラクレス?今日はなんだか元気がないな」
悠真が近づくと、炎の角を持つ牛は小さく鼻を鳴らした。いつもの力強さが感じられない。ヘラクレスの角に目をやると、普段は明るく燃えているはずの炎が、今日はかすかにしか揺らめいていない。
「角の炎が弱くなってる…」
悠真が心配そうに呟いた時、リーフィアが水の入ったバケツを持って納屋から出てきた。
「悠真さん、どうかしましたか?」
「ああ、ヘラクレスの調子が良くないみたいなんだ。角の炎も弱くなってる」
リーフィアはバケツを置き、ヘラクレスに近づいた。銀色の髪が朝の光に照らされて輝いている。
「確かに、いつもより元気がありませんね。体温も少し高いような…」
彼女が牛の体に手を当てると、ヘラクレスは小さく首を振った。
「病気なのかな?」
リーフィアは考え込むように眉をひそめた。
「可能性はありますが…ヘラクレスさんのような特別な牛については、私もあまり詳しくないんです」
二人が頭を悩ませていると、フレアが小走りで近づいてきた。赤い毛並みが朝日に照らされ、まるで小さな炎のようだ。火狐はヘラクレスの足元で鼻を鳴らし、悠真の足に擦り寄った。
「フレア、おはよう。ヘラクレスの様子がおかしいんだ」
フレアはヘラクレスの方に歩み寄り、じっと見上げた。火狐と牛は何かを伝え合っているようだ。やがてフレアは悠真の方を振り返り、短く鳴いた。
「何か分かるのか?」
フレアは尻尾を振り、牧場の奥にある小さな丘の方向を指し示すように見つめた。
「あっちに何かあるんだな?よし、行ってみよう」
悠真はリーフィアに振り返った。
「ヘラクレスを連れて行こう。フレアが何か知っているみたいだ」
「はい、わかりました」
三人はヘラクレスと共に丘の方へ向かった。丘を登りきると、そこからは牧場全体と、遠くにはアスターリーズの町並みが見渡せた。朝の光に照らされた風景は息をのむほど美しい。
「ここからの景色はいつ見ても素晴らしいですね」
リーフィアが感嘆の声を上げる。しかし、フレアの目的はそれではないようだ。火狐は丘の中腹にある大きな岩の方へと走っていった。
「あの岩か?」
悠真が近づくと、岩の表面に奇妙な模様が刻まれているのが見えた。まるで炎の渦巻きのような模様だ。
「これは…何でしょう?」
リーフィアが模様に手を伸ばそうとした時、ヘラクレスが低い声で鳴いた。牛は前に出て、弱々しい角の炎を岩に近づけた。
「まさか…」
悠真が息をのむ間もなく、岩の模様が淡く光り始めた。ヘラクレスの角から炎が溢れ出すように強まり、岩の表面を照らしている。
「すごい…岩が反応してる!」
岩の表面から小さな火の粒が浮かび上がり、ヘラクレスの角へと吸い込まれていく。それは数秒で終わったが、その間、丘全体が夕暮れのような赤い光に包まれた。
光が消えると、ヘラクレスの角の炎は以前より強く、鮮やかに燃えていた。牛自身も元気を取り戻したように見える。
「どうやら、この岩はヘラクレスの力の源だったんだな」
悠真は岩に手を触れた。温かさを感じるが、火傷するほどではない。
「炎の力を持つ生き物にとって、特別な場所なのでしょうね」
リーフィアが感心したように言う。フレアも満足げに尻尾を振っている。
「でも、どうしてヘラクレスは弱ってしまったんだろう?」
その答えは牧場に戻った時に分かった。納屋の隅に積まれた干し草の山が、いつもより明らかに少なくなっていた。
「あれ?干し草がこんなに減ってる…」
悠真が首をかしげていると、納屋の扉が開き、干し草を抱えたミリアムが飛び込んできた。
「悠真さん!お早うございま……あ!」
彼女は悠真と目が合うと、驚いた表情を浮かべた。緑のドレスに身を包んだ少女の足元には干し草の切れ端が散らばっている。
「ミリアム?その干し草は…」
「あの、これはその、実は…」
ミリアムは言葉に詰まり、申し訳なさそうに微笑んだ。
「村の子どもたちが小動物の巣を作りたいって言うから、少しだけ分けてあげたんです。でも、気づいたら結構な量になってて…」
「そうか、それでヘラクレスの餌が足りなくなったんだな」
その言葉にミリアムは目を丸くした。
「えっ?ヘラクレスさんの調子が悪かったの?」
「ああ、角の炎が弱くなってたんだ。どうやら、ヘラクレスは普通の牛より多くのエネルギーが必要みたいでな」
「そ、そうだったんですか!ごめんなさい!」
ミリアムは慌てて干し草を納屋に戻し始めた。リーフィアも手伝いながら、優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ。もう解決したんですから」
「本当ですか?」
「ええ、フレアさんがヘラクレスさんを特別な場所に案内してくれたんです」
ミリアムの目が輝いた。
「特別な場所?それってどんなところですか?教えてください!」
悠真は丘の上の岩のことを説明した。
「へぇ~、そんな岩があったなんて全然気づきませんでした」
「見た目はただの岩だったからな。奇妙な模様は書いてあったけど」
「でも、とっても素敵です!牧場にはまだまだ不思議がたくさんあるんですね!」
ミリアムが目を輝かせる姿を見て、悠真も微笑まずにはいられなかった。
「そうだな。これからも色々発見があるかもしれないな」
――――――
夕暮れ時、納屋の前でヘラクレスに餌をやっていると、リーフィアが薬草籠を持ってやってきた。
「悠真さん、ヘラクレスさんの様子はいかがですか?」
「ああ、すっかり元気になったよ。見てみろ」
悠真が指さした先で、ヘラクレスは力強く角の炎を燃やしていた。その光は夕暮れの空に映え、牧場全体を温かな光で包んでいる。
「本当に美しいですね」
リーフィアが感嘆の声を上げる。フレアも納屋から出てきて、二人の足元に座った。
「フレアのおかげだな。ありがとう」
悠真が火狐の頭を撫でると、フレアは満足げに目を細めた。牧場の動物たちはそれぞれ特別な力を持っているが、今日の出来事でその不思議さを改めて実感する。
「牧場の動物たちはみんな繋がっているんですね」
リーフィアの言葉に、悠真は頷いた。
「そうかもしれないな。俺たちが思っている以上に」
ヘラクレスは二人に近づき、大きな鼻で悠真の肩を優しく押した。その目には感謝の色が宿っている。
「ヘラクレスさんも、あなたに感謝しているようですよ」
「いや、俺は何もしてないさ」
夕日が沈む中、牧場は穏やかな時間に包まれていた。明日もまた、新たな発見があるのかもしれない。そんな期待を胸に、悠真は空を見上げた。




