第127話 春風と共に訪れた白い綿毛
春の陽気が牧場全体を包み込む朝、悠真は広場のベンチに座り、ハーブティーを飲みながら、のどかな風景を眺めていた。空は澄んだ青さで、柔らかな風が頬を撫でていく。
「今日もいい天気だな」
冬の厳しさが和らぎ、牧場にも春の訪れを感じさせる変化が見え始めていた。花々は色鮮やかに咲き誇り、動物たちも一段と生き生きとしているように見える。
特にアウラとサフィアは、この季節になると一段と元気になる。二人の植物の精霊は、牧場の花壇の周りで踊るように動き回っていた。その側ではフレアが尾を三本揺らしながら、のんびりと日向ぼっこをしている。
「コン、コーン」
フレアが鳴きながら、悠真の方に顔を向けた。その先の空を見ると、何かが風に乗って舞い降りてくるのが見えた。タンポポの綿毛のような、ふわふわとした小さな白いものが、いくつも牧場に向かって漂っていく。
「あれは……タンポポの綿毛かな?」
悠真がそう呟いていると、リーフィアが水やりのバケツを持って近づいてきた。
「悠真さん、おはようございます。素敵な朝ですね」
「おはよう、リーフィア。ああ、この季節は特に気持ちがいいな。白い綿毛も飛んできてるよ」
悠真が空を指し示すと、リーフィアも顔を上げた。
「あら、綿毛がたくさん。自然の贈り物ですね」
風に乗って舞う綿毛は、まるで雪のように優雅に牧場全体に降り注いでいる。悠真とリーフィアがその光景を見つめていると、遠くから声が聞こえてきた。
「悠真さーん!リーフィアさーん!おはようございまーす!」
振り返ると、牧場の入り口から小走りでやってくるミリアムの姿が見えた。亜麻色の髪をなびかせ、いつもの薄緑色のワンピースドレスを着たミリアムは、両手を振りながら近づいてきた。
「おはよう、ミリアム。今日も薬草集めか?」
「はい!春になって、いろんな新芽が出てきましたから」
ミリアムは嬉しそうに笑顔を見せた。しかし、次の瞬間その表情が驚きで固まった。
「えっ……あれ、まさか!?」
「ん?何かあったのか?」
悠真がミリアムの様子に気づいて振り返ると、空からのひときわ大きな綿毛の塊が風に乗って、ゆっくりと牧場に近づいてきているのが見えた。それはタンポポの綿毛というには明らかに巨大すぎる。直径は1メートル近くあり、まん丸な形をしていた。
「何だ、あれ?」
「ポポリィですよ!信じられません!本当に見れるなんて……!」
「ポポリィ?」
ミリアムの言葉に、悠真は首を傾げた。
「子供の頃、ローザおばあさんから聞いたことがあるんです。ポポリィは春の訪れと共に現れ、風に乗って世界中を旅しているんだって。でも、環境の変化の影響なのか、近頃では見かけることがほとんどなくなってしまった生物なんです」
ミリアムの説明を聞きながら、悠真はゆっくりと近づいてくるポポリィを観察した。全身が純白の綿毛に包まれ、まるで大きなタンポポの綿毛のように見える。しかし、それが単なる植物ではなく、生き物であることが分かるのは、その中心部分から覗く小さな目と、ふわふわと浮かびながらも意志を持って動いているように見える姿だった。
「可愛い……」
「私も聞いたことはありましたけど、本物を見るのは初めてです。不思議な生き物ですね……」
ミリアムが魅了されたように呟き、リーフィアも興味深そうに眺めている。
「本当に珍しいんだな。それにしても、これはどうやって浮いてるんだ?ただ風に乗ってるだけでもなさそうだけど……」
「伝承によると、ポポリィは風の精霊の祝福を受けた生き物だと言われていたようです。きっとその祝福によるものではないかと」
「へぇ、なるほどなぁ」
そんな話をしながら悠真が興味深げに見つめていると、ポポリィはゆっくりと牧場の地面に降り立った。そして、まるで周囲を探索するかのように、ふわふわと弾むように転がりながら牧場内を移動し始めた。
ポポリィは牧場をゆっくりと巡りながら、ベルやサクラたちの前で立ち止まっては「フゥー」と挨拶をするように鳴いていた。動物たちも珍しそうにポポリィを見つめているが、怖がる様子はなかった。むしろ好奇心旺盛に近づくものもいる。
その時、牧場の入り口から別の声が聞こえてきた。
「悠真さーん、ちょっと良いですか?」
そう言いながら納屋から出てきたリオンは、ポポリィを目にして持っていたモップを取り落とした。
「えぇ!?こ、これって、ポポリィ?僕、初めて見ました!」
リオンが興奮した様子で近づいていくと、ポポリィはフワフワと浮きながらリオンの前で停止した。そして、まるで挨拶をするかのように「フゥー」と鳴いた。
「わぁ……こ、こんにちは」
挨拶を返しながらリオンが恐る恐る手を伸ばすと、ポポリィは少し体を傾けて、その手に触れるように寄り添った。リオンの手に触れたポポリィの綿毛は、想像以上に柔らかく、温かみがあった。
「すごく柔らかい……まるで雲に触れているみたいだ」
リオンの言葉に、ミリアムも好奇心から手を伸ばしてみる。ポポリィは彼女の手にも同じように寄り添い、その柔らかな感触にミリアムは歓声を上げた。
リーフィアも微笑みながら近づいて、優しくポポリィに語りかけた。
「よく来てくれましたね。ここは安全ですから、ゆっくりしていってください」
「そうだな。ようこそ、うちの牧場へ」
二人の言葉にポポリィは「フゥー」と鳴き、嬉しそうに体を膨らませた。
――――――
日が傾き始め、牧場は夕暮れの柔らかな光に包まれていた。ポポリィはすっかり牧場に馴染み、他の動物たちと仲良く過ごしている様子だった。特にアズールとフレアは興味津々で、ポポリィの周りをくるくると回っていた。
「あれは……ポポリィですか。珍しいですね、もう何年も見ていませんでしたが」
納屋から出てきたユエが静かな口調で言った。彼女は日が傾いてきたことで外に出てきたのだろう。赤い瞳がポポリィを優しく見つめている。
「あぁ、そうか。ユエはポポリィがたくさん居た頃を知ってるんだよな」
悠真が笑顔で答えると、ユエも微かに微笑んだ。
「はい……昔は、春先になると風に乗って流れていくポポリィたちをよく見かけました」
そう言って、ユエは昔を懐かしむように目を細めた。
「それにしてもあの子、随分牧場が気に入ったみたいですね。普通は日が暮れる頃には風に乗って人里からは離れていくのですが……」
ユエがポポリィを見ながら言うと、ポポリィは「フゥー」と肯定するように鳴いた。
「あの様子だと、しばらくはここに滞在しそうだな」
確かにポポリィは、いつの間にか自然に牧場の風景に溶け込んでいた。ポポリィが「フゥー」と鳴くたびに、ベルやリンカーの鈴が優しい音色を響かせる。二つの音が不思議と調和して、心地よいメロディを奏でていた。
「それなら、あの子にも名前をつけてあげないといけませんね」
リーフィアが提案すると、皆が頷いた。
「そうだな……ふわふわしているし、風に乗って来たから……『パフ』はどうだろう?」
悠真が提案すると、リオンが「いいですね!」と賛同した。ミリアムもユエも微笑んで頷いている。
「パフ……可愛らしい名前でぴったりですね!」
ミリアムの言葉に、ポポリィ――パフは嬉しそうに体を膨らませた。そして風に乗って悠真の元へふわりと移動し、彼の肩に優しく寄り添った。
「フゥー」
パフの柔らかな鳴き声が、夕暮れの牧場に優しく響いた。悠真はその温かな感触を感じながら、微笑んだ。
「ようこそ、パフ。これからよろしくな」
そうして、春風と共にやってきた不思議な訪問者「パフ」は、白石牧場の新しい仲間となった。
穏やかな春の夕暮れの中、悠真の牧場は新しい仲間を迎えながら、また平和な一日を終えていった。




