第125話 雲と虹
朝の牧場に、爽やかな風が吹き抜けていく。
ウィンドが銀色の翼を広げて青空を悠々と飛行し、その下ではラクルが羨ましそうに見上げていた。ラクルはその翼を懸命に動いているものの、空高くまで上がることはできず、「クルル」と少し残念そうな声を漏らしていた。
「おはよう、ラクル。今日も頑張っているな」
悠真が納屋から道具箱を運びながら声をかけると、ラクルは嬉しそうに「クルルー」と鳴き、小さな翼をパタパタさせながら悠真の方へ飛んできた。
「今日は屋根の修繕をするんだ。最近雨漏りがしてきたからな」
悠真は家屋を見上げ、はしごを壁に立てかけた。木製のはしごをしっかりと固定し、一段一段慎重に登っていく。ラクルは興味深そうに見つめながら、悠真に付いてきた。
屋根に登った悠真は、傷んだ部分を見つけ、修理を始めた。太陽が高く上り、汗ばむ陽気になってきたところで、作業もほぼ完了に近づいていた。
「よし、これで大丈夫だろう」
悠真が満足げに作業の出来栄えを確認しようと立ち上がった瞬間、足元の瓦が微かに動いた。
「あっ…!」
バランスを崩した悠真は、咄嗟に何かに掴まろうとしたが間に合わず、屋根から滑り落ちてしまった。落下する瞬間、悠真は反射的に目を閉じた。
――硬い地面に激突する衝撃を覚悟したが、予想に反して何か柔らかなものに包まれる感触があった。
「え……?」
恐る恐る目を開けると、悠真は地面から少し浮いた状態で、白い雲のような何かの上に横たわっていた。
「これは……一体……?」
驚きながら周囲を見渡すと、必死に翼をパタパタさせているラクルの姿が目に入った。ラクルは明らかに限界に近い様子で、全身を震わせながら悠真を見つめていた。
「これ、まさか、ラクルが……?」
悠真が問いかけるが、ラクルは答える余裕もなく、翼をバタつかせ続けていた。悠真はすぐに状況を理解し、雲から地面に降りた。
「ありがとう、ラクル。大丈夫だ、もう降りたぞ」
悠真が雲から離れると同時に、ラクルはふらふらと地面に降り立ち、白い雲は霧のように消えていった。ラクルは疲れ果てた様子で、うつ伏せに倒れ込んでしまった。
「ラクル!」
悠真は急いでラクルに駆け寄り、小さな体を優しく抱き上げた。
「大丈夫か?無理をさせてしまったな……」
ラクルは力なく「クルルゥ」と鳴き、悠真の手の中でぐったりとしていた。
「よく頑張ったな。ありがとう、おまえは命の恩人だよ」
悠真はラクルを大切に抱きかかえ、家の中へと急いだ。リビングに入ると、リーフィアとリオンが話をしていたが、悠真の慌てた様子を見て立ち上がった。
「悠真さん、どうしたんですか?」
リーフィアが心配そうに尋ねる。
「ラクルが俺を助けてくれたんだ。屋根から落ちそうになった時に、雲のようなものを作って受け止めてくれた」
「ええ!?落ちたって、大ごとじゃないですか。それに、ラクルにそんな力が!?」
リオンが驚きの声を上げた。悠真はソファの上にクッションを並べ、その上にラクルを優しく寝かせた。
「あぁ、気を抜いていたつもりは無かったんだけどな……。そのせいでラクルにこんな負担を掛けてしまった。でも、ラクルにあんな能力があったなんて、俺も驚いたよ」
リーフィアがラクルの額に手を当て、静かに状態を確認する。
「力を使い過ぎて疲れているだけのようです。少し休ませてあげれば大丈夫でしょう」
「そうか。良かった……」
悠真はほっと息をついた。
「たぶんだけど、俺が危険な状況にあるのを見て、無意識に力を使ったのかもしれないな。普段はあんな力、見せたことなかったし」
リオンがラクルの小さな翼を優しく撫でながら言った。
「こんなに小さいのに人を助けられるなんて、ラクルは凄いなぁ」
「そうだな。ラクルが助けてくれなかったらと思うとぞっとするよ。本当にありがとうな、ラクル」
三人は静かに眠るラクルを見守りながら、その夜を過ごした。
――――――
翌朝、朝日が部屋に差し込むと、ラクルは元気を取り戻したようだった。小さな体を起こし、「クルル!」と元気に鳴くと、パタパタと翼を動かして空中に浮かび上がった。
「おはよう、ラクル。もう大丈夫なのか?」
朝食の準備をしていた悠真が声をかけると、ラクルは嬉しそうに悠真の周りを飛び回り始めた。
「昨日はありがとうな。本当に助かった」
悠真が言うと、ラクルは誇らしげに胸を張った。そして褒められたのが嬉しかったのか、集中するような表情を見せて小さな手を前に突き出した。するとラクルの前に小さな白い雲が現れ始めた。
「お、おい、大丈夫なのか?」
悠真が心配して言うと、ラクルは「クルル」と答えながらも、雲を広げ続けた。しかし、すぐに疲れた様子を見せ、雲は薄くなって消えてしまった。
「やっぱりまだ体力が戻ってないんだな。助けられた俺が言うのもなんだけど、ラクルはまだ小さいんだからあまり無理するなよ」
ラクルは少し残念そうに「クルゥ…」と鳴いた。
その時、庭から水滴が飛び散る音が聞こえた。窓の外を見ると、レインが水場から跳ね上がり、「ピュイ!」と鳴きながら空中で光の帯を作り出していた。
その光景を見たラクルは、何かを思いついたように「クルル!」と鳴き、窓辺から飛び出していった。どうしたんだ?と思いながら悠真も後を追って庭に出ると、ラクルとレインが何やら意思疎通をしているようだった。
レインは再び光の帯を作り出し、ラクルはその近くで集中し始めた。すると不思議なことに、レインの作った光の帯が徐々に変化し、虹色に輝き始めた。
「これは……?」
悠真が近づくと、レインが「ピュイ!」と鳴きながら、悠真の背中を鼻先で軽く押した。まるで「乗ってみて」と言っているようだった。
「まさか、この虹に……?」
恐る恐る足を伸ばして虹に触れてみると、驚くことに足が沈み込むことなく、しっかりと支えられた。
「すごい……本当に虹の上に立ってる……」
悠真は慎重に一歩、また一歩と進み、虹の上を歩いてみた。まるで夢の中にいるような不思議な感覚だった。しかし、そこでラクルは大丈夫なのかとそちらに目を向けると、少し離れたところでラクルは頑張って力を維持していた。見る限りでは昨日ほど苦しそうではない。
「レインと力を合わせることで、負担がかなり軽減されているのか……?」
「悠真さん!?そ、それ、何で虹の上に乗ってるんですか!?」
悠真がそんなことを考えていると、リオンが驚きの声を上げながら庭に駆け出してきた。
「あぁ、これはレインとラクルが力を合わせて作ったんだ」
悠真が虹から降りながら説明すると、リオンの目が興奮で輝いた。
「すごい!僕も歩いてみたいです!」
「ラクル、レイン、リオンにも少し体験させてやっても大丈夫か?」
二匹は「クルル!」「ピュイ!」と気合を入れるように鳴き、同意の意思を示した。
リオンは恐る恐る虹に足を乗せ、その感触を確かめた。
「うわぁ……本当に虹の上を歩けてる……」
少年の顔に純粋な喜びが広がる。リオンが虹の上でゆっくりと歩き、その感覚を味わっていると、牧場の動物たちも興味を持って集まってきた。フレアが「コン!」と鳴き、アクアは「チチチ」と興奮した様子で虹を見上げていた。
「ラクルの負担にならないように、そろそろ降りておこう」
悠真が言うと、リオンは少し残念そうにしながらも素直に虹から降りた。するとラクルとレインの力が解け、美しい虹はゆっくりと消えていった。
ラクルは疲れた様子ながらも、達成感に満ちた表情で「クルル」と鳴き、レインも「ピュイ!」と嬉しそうに応えた。
「二人とも、素晴らしい力だな。こんな素敵な体験をさせてくれてありがとう」
悠真はラクルを手のひらに乗せ、もう一方の手でレインの頭を優しく撫でた。
――――――
その日の夕食時、リオンは身振り手振りを交えながら虹の道の体験を熱く語っていた。
「そして、踏み出した瞬間、ふわっと浮かんだような感じがして……本当に虹の上を歩けたんです!」
リーフィアとユエはリオンの話に聞き、興味を惹かれた様子を見せた。
「それは素敵な体験ね」
「私も……一度、歩いてみたいです」
普段は控えめなユエが珍しく自分から希望を口にしたことに、皆が驚いた。
「それなら、ラクルとレインが元気な時にまた頼んでみようか」
悠真がそう提案すると、ラクルは「クルル!」と元気に鳴き、まるで「任せろ」と言わんばかりの自信に満ちた様子を見せた。レインも「ピュイ」と嬉しそうに鳴く。
「ラクルの雲と、レインの光が合わさって虹になるなんて、まるで魔法みたいでした」
リオンが昼間のことを思い出しながらそう言うと、悠真も微笑んだ。
「そうだな。この前のジリウスさんの話を聞いた時にも思ったが、この世界の魔法のようなものは、まだまだ知らないことだらけだ」
そんな会話が温かく流れる中、夕暮れの牧場に優しい風が吹いていた。窓の外では、満月が昇り始め、その光が牧場全体を銀色に染めている。
牧場の夜は静かに更けていき、皆の心に新たな思い出が刻まれていった。




